1月 12 2014
新興宗教のおかしさ④
園頭先生のご著書「正法と現代宗教」より抜粋します。
<ひとのみち・PL教団
ひとのみちは、禅僧であった御木長次郎(徳一)が、僧をやめ、金田徳光が始めた徳光教の信者となり、徳光が死んだ後、その跡をうけ、大正十年一月一日、小さな自宅に「御獄教徳光大教会創立事務所」の看板をかけた。
徳光教は、信者の病気を教祖が引き受けるという「お振替(ふりかえ)」と、教育勅語を教理とした小さな教団であったが、徳一はそれを踏襲し、昭和六年、ひとのみち教団と改称、朝参り、日の丸バッジ、新聞広告をやり、道徳の徳は損得の得だといい、都会の商人や小市民層をつかみ、教育勅語の中の親孝行や夫婦和合の道徳を強調し、昭和十二年には信者数六十万に達した。
「お振替」は、教祖が自分の病気を引き受けてくださったという催眠暗示効果は多少あって、一時、心の安心を得たとしても、それですべての病気が治るということにはならないし、また、信者の業を教祖が引き受けるということはできない。本人の業は本人以外に誰も引き受けることはできない。気休めの安心感を与えるに過ぎない。国の方針にそって教育勅語に示されている道徳を説いたとしても、道徳は道徳であって宗教ではない。
日本の教祖たちは、宗教と道徳の区別がついていない。宗教は、霊の向上、人格の向上と悟りを説くもので、道徳は霊の存在を説かず、肉体を持って生きている間の人間の生き方を説くものである。正しい人間としての生き方は、人格の向上にはなるが、悟りについては全くふれていない。だから、ひとのみちは、最初から修養団体というべきで宗教団体ではないといってよい。
(中 略)
昭和二十一年九月、佐賀県鳥栖で、パーフェクト・リバーテーという名称をこしらえ、PL教団として開教式をあげ、ひとのみちからの引き続きで金田徳光の遺訓を掲げ、新たに「人生は芸術なり」「人の一生は自己表現である」「自己は神の表現である」「表現せざれば悩みがある」「真の自由を生きよ」などのスローガンを掲げる。
しかし、ただスローガンを掲げただけで具体的な真理を説いているわけではない。物事を深く考えることをしない、特に宗教の本質について全く考えることをしない民衆は「人生は芸術なり」というスローガンに魅せられて信者になった。宝生袋を与えてたくさん寄付するほどご利益があるといって金を集め、やがて大阪の南効羽曳野一帯にPLランドをつくり、その中にゴルフ場あり、子供遊園地あり、病院ありで、中央に正殿と脇殿とあって、正殿には大元霊(宇宙一元の根元力)と、教之祖(金田徳光と御木徳一の霊)を祀ってある。
このような神殿をつくることも正法ではないが、不可解なことは宗教団体と自称しながら、これが宗教とどういう関係があるのかと疑われるような多彩な営利事業をやっていることである。
東京と大阪にクラブ「VAN」バー「美紀」を、東京四谷には洒落たイタリヤ料理店を、その他、英会話学校、給食センター、ゴルフ場、不動産業、建設業、花火会社等を経営している。それらの資金は全部信者からの献金である。
古めかしいひとのみちを、モダンな教団にしたのが御木徳近であったが、事業欲を旺盛にして金儲けすることが人生の芸術とは、芸術という言葉さえ泣くというものである。>
人の病気を自分に振り替えるということはできません。(そんなことをしていたら、キリストなどあっという間に病気になり、死んでしまいます)
つまりこの教団は、最初からできもしないことを、さもできるようにいい、信者を集めたのです。
そうして教育勅語(明治天皇が教育に関して与えられた勅語)を教理としますが、それは道徳であって宗教ではありません。それに道徳の徳を損得の得としてしまうのですから、すでにその教えは道徳でさえもなくなり、ただの金儲けになっているのです。
その精神がPL教団と名を変えてからモロに現れます。それが宗教団体とは思えない、数々の営利事業です。
釈迦教団が、飲み屋や遊園地をつくったでしょうか?キリストが自分の教えを聞く人が増えたからと(元々キリストは大工さんでしたので)建設業など始められたでしょうか?
そんなことはないはずです。釈尊など多くの人から布施を受けましたが、その使い道といえば、すべて釈迦教団の運営、あるいは精舎の建設などにあてられたのです。
この教団はいっていることもおかしければ、やっていることもおかしいのです。(まったく神の心ではないということです)
しかし、このPL教のような教団はいくらでもあります。そのような大教団は、皆、神の名を利用し、金儲けをしている宗教産業に過ぎないのです。(園頭先生がいわれた言葉です。こうなるともはや金儲けしている普通の会社と何ら変わりません。とても神の教えを説く宗教団体ではないのです)
このような神の心から離れた、宗教団体とは名ばかりの、ただの宗教産業の教えでは人は救われないし、神の業も収まりません。
やはり、本当の神の教えを知らないと救われないのです。
追伸…元総理のコンビで、今度の東京都知事選に出馬するとか、しないとか話題になっているようですが、あの元総理が「脱原発」を旗印に、都知事選に出られても違和感がありますし(国政じゃないんですから)それに、その「脱原発」を旗印にすること自体、すでに都政をよく見ていない証拠です。
したがって、あの元総理が出馬して、もし東京都知事にでもなるようでしたら、それこそ東京に何が起きてくるか分かりません。
このブログは東京の人も見ていると思いますが、今度の都知事選は選ぶ人を間違うと大変なことになります。
東京の方々は、よくよく選ぶ人をお考えください。



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