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11月 22 2010

園頭広周師⑰

10:20 AM ブログ

同じく園頭広周先生著「現代の釈尊 高橋信次師とともに」より抜粋します。

<言葉にならない声だけを出すのは少し恥ずかしいという気持ちはあったが、いわれるままに口を開いて「あー」という声を出した。そのとたんに私の口からこれまで習ったこともない言葉が次から次へと飛び出してきた。その言葉の意味はわからない。だが、高橋先生がなにかをいわれるとそのたびに、言葉よりも先に涙がふき出してなつかしさに胸が一ぱいになり、そうしてつぎに言葉が出る。そうしている私を冷静に見つめているもう一人の自分がいる。「これは催眠術にかけられているのではないか」「暗示に引っかかったのではなかろうか」と、目覚めた私の理性は客観的に自分を見ている。

最初わからなかった言葉の意味が次第にわかるようになってきた。それに対していっている自分の言葉の意味もわかってくる。「あなたはこういう人を知っているはずです」「ハイ、その人はよく知っています」この世では習ったこともない言葉が自然と口をついて出て、そのたびにたとえようもないなつかしさに涙が溢れ出るのであった。

「肉体を持っている人よ、今度は日本語で答えなさい。あなたはヘイマカという人を知っているはずです。その人はあなたと過去世でどういう関係にあった人であるか、日本語で答えなさい」

「ヘイマカ」という人が日本人であるはずがない。どこの国の人でどういう関係にあったのかといっても、私はそれまで海外に出たこともないし、また海外に知人がいたわけでもない。日本語で答えようとして頭の中の記憶を探(さぐ)ってみても少しも思い浮かんでこない。自分でもう一人の自分に向かって、腹の底の方に問いかけるような気持ちで、頭脳の動きを停止して、「この人はどういう関係にあった人ですか」と問いかけた。

一つの答えが腹の底から胸の方へぽっかり浮かんできた。しかし、私はその言葉を即座に否定した。そうしてもう一度問いかけてみた。また、同じ言葉が浮かんでくる。浮かんできた言葉に代わる言葉を頭の中で探したが、それ以外の言葉が出てこない。私の前に坐っておられる高橋先生は、そうした私の心の中の動きをすべて知っておられたのである。「今、思い浮かんできた言葉をそのまま口にしなさい」

畏(おそ)れ多い、と思いながら、「その人は私の侍従(じじゅう)をしていた人です」といった。

「ウパテッサよ」といわれたとたんに、私は高橋先生に向かって「ブッダ」と叫んでいた。あのなつかしさ、さのなつかしさ、このなつかしさに涙がとめどもなく流れてくる。その私の眼にはっきり見えるのは、「お釈迦さま」であった。「ブッダ…、ブッダ…」。そう呼びながら、私はひれ伏していた。

「そなたは二千五百年ぶりの約束をよく果たしてくれました。今生でも、あのインドの時と同じように正しい法を伝えていきましょう。今生でこうして会えてうれしいです」

その声はまことに厳(おごそ)かであった。>

この昭和四十八年当時「ウパテッサ」(シャリー・プトラーの幼名)という人物が誰であるか、などということを知っている人はほとんどいませんでした。(一部の仏教学者くらいのものだったでしょう)

それが高橋先生の口から(高橋先生は高電工業というコンピューター会社を経営していられ、講演ではいつも『私は仏教やキリスト教など学んだことがありません。ただの電気屋のオヤジです』と言っていられました)「ウパテッサ」という固有の名が自然に出てきて、古代語である当時のインドの言葉で話していられるということは、非常に真実性がありリアリティーがあります。

このような箇所を見ても高橋先生の観自在力(すべてのものを見通す力)が、本物である証拠といえますが、高橋先生はこのような方法で多くの人が見守る講演会場でも、多くの人の過去世の記憶を紐解かせました。これはイエス・キリストがこの世に現れ、その弟子たちに起きた現象(使徒言行録に書かれてあるところです)と同じことが、この日本で起きたのです。

それは実に、イエス・キリストがこの世に現れて以来二千有余年、光の大指導霊と呼ばれる方が、この世に出世された時だけに起きる奇跡の現象だったのです。

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