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3月 21 2014

菩薩

11:27 AM ブログ

昨日は首都高速で火事があり(今年は本当に、このような主要な場所での火事が多いですね。そのせいで多くの人が大混乱です)今日は今日で、北日本など大荒れの天気になる予報が出ています。

法の流布を急がないと、このような災いばかり起こされます。このような現象が起きるたびに「法の流布を急がねばならない」と改めて思います。

それには、昨日書いた菩薩界から出てきた菩薩たちが自分の使命を悟り、法の流布に立ち上がってもらわないといけませんが、これがなかなか名乗り出る(私に協力する)人が出てきません。

菩薩とは、どのような方をいうのか、少し具体的に書いてみましょう。

高橋先生や園頭先生の身近なところで例をあげますと(高橋先生の弟子だった人には、たくさんの菩薩たちがいましたが)高橋先生の奥さんと園頭先生の奥さんは菩薩界の方です。

高橋先生の奥さんの過去世は、あの弥勒菩薩として有名なマイトレイヤーであり、園頭先生の奥さんは良妻賢母の誉れが高かった(インド当時はシャリー・プトラーの母であった)シャリーです。

このお二人のうち、私は園頭先生の奥さん(シャリーであった方です)とは、二~三度直接お話させていただいたことがあります。

園頭先生の奥さんは、やはり過去世で有名だった方だけあり、いろいろなことをご存知でずいぶん頭のいい方だなという印象がありました。(ただ人柄は、どこにでもいる田舎のお母さんという感じで、まったく偉ぶった感じのない人でした。正法会の会長の奥さんという感じではとてもありませんでしたが、元々園頭先生の奥さんは、そのような普通の方であったようです)

高橋先生の奥さんは(本やビデオで観たくらいで)あまり知りませんが、お二人とも両先生に尽くされ法の流布を手伝われました。

しかし、このお二人を比べると、一人の方は成功でしょうが、もう一人の方は失敗でしょう。それくらい今生の修行で差が出たのです。

あまり詳しくは書きませんが、園頭先生の奥さんは、今生の修行に合格し、高橋先生の奥さんは、今生の修行に失敗したということです。(その理由を簡単にいえば、園頭先生の奥さんは園頭先生が元気な時も、病気になられた時も、そうして亡くなられた後も、心を変えられることはありませんでしたが、高橋先生の奥さんは、高橋先生が亡くなられると、大きく心変わりされたということです)

この方々は、法の流布を手伝われ、両先生によく尽くされたにもかかわらず、それでも今生の修行を成功された方と失敗された方に分かれるのです。それだけ菩薩の修行はきびしくむつかしいということです。

それなのに、菩薩界から出てきて、まったく法の流布を手伝おうとしない菩薩が、もしいたとしたら、そのような菩薩は今生に生まれてきた意味があるのでしょうか?

法の流布を手伝っても、それでも失敗する菩薩がいくらでもいるのです。(高橋先生の弟子の菩薩たちはほとんど失敗しました。高橋先生に「本当にボサッとしています」といわれていたくらいですから)では、その法の流布さえしようとしない菩薩がもしいたとしたら、その菩薩は百パーセント今生の修行は失敗ということになります。

それでは、今生に生まれてきた意味もないでしょう、そんな菩薩ならいない方がましです。

ということで、菩薩界から生まれてきて、いつまでも自分の本当の使命に気づこうとしない菩薩がいてもいけませんので、そのような菩薩たちを祈ろうと思います。(もちろん喚起を促す意味でです)

菩薩たちが、本当の使命を果たしてくれなければ法は拡がりません。法が拡がらなければ、各地で起きる異常現象は収まりません。異常現象が収まらなければ、多くの人に災いが降りかかるのです。

すでに、そのような災いで生命や財産をなくした人は数知れず、それも現在生まれている菩薩が、いつまでもボサッとしていたことに原因があるのです。

そのような責任も含めて「神よ、今生まれている菩薩たちに、様々な現象を現し正しい道にお導きください」と祈ろうと思います。

名古屋で起きていることに、ピンと来る他の地域の人も少ないでしょう。私の周りに次々に現象が起きている、と書いても、それが実感できる人たちはこの辺りの人たちくらいで、他地域の人たちなど、下手すれば私が嘘を書いている(または、かなり大袈裟に書いている)と思われている人も多いでしょう。

そうであるなら、そうではないということを証明しないといけません。

それには、何もしようとしない菩薩たちを通し、それを証明するのが一番いいでしょう。(それだけ何もしようとしない菩薩たちは罪をつくっているということです)

菩薩たちが、いつまでもこの世だけの栄耀栄華に浸っていられては、皆が困るのです。(私など収入もほとんどなく、皆に嫌がらせをされていても、それでも法の流布を行っているというのにです。私がこのような状況なのも、その菩薩たちがボサッとしているからです)

そのような菩薩たちの目を覚まさせる意味でも、菩薩たちへの祈りを始めようと思います。どういうことになるか見ていましょう。

(大丈夫です。このブログを見ている人でも、そうは、そんな菩薩界のような高い世界から、生まれてきている人などいないと思いますので、私が祈ってもそれほどの害はないでしょう。少しくらい入るかもしれませんが、そのような人は、どうしたらいいか自分で考えることです。菩薩の修行はそれだけきびしのです)

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