3月 24 2014
正しい祈りと間違った行い
ウナッシーさんが、どこでも感謝の祈りをするよう心がけるということですが、大変よいことです。そういうことは実践された方がいいでしょう。(私などほとんど祈りっぱなしです)
私は、人のことを知ると、ああいうことをしてくれるといいな、こういうことぐらいされるんだろうな、と勝手に期待してしまうんですが、まず、その期待通りの人はいません。(ほとんどの人が期待はずれです)
ウナッシーさんは、安倍総理に続き二人目ですね、私の期待の予想以上だった人は。(失礼ではありますが、あまり期待していなかったものですから)
ウナッシーさんを知って、どこにどういう人が眠っているか分からないということと(ウナッシーさんは私と同い年くらいの方だそうですが)年は関係ないということを改めて知りました。
いつどこで、どのような人が目覚めるか分かりません。第二、第三のウナッシーさんが出てくることを願わずにはいられません。
ただ祈りを間違うと大変なことになります。そこだけはお気をつけください。(自分がした祈りは全部自分に返ってくるからです)
名古屋の人たちなど、私が祈ると「ギョ」とする人や「ムッ」とする人が多いんですが(何か私が祈ると悪いことが起きると思っているようです)しかし私は、人を不幸にするような祈りは一度もしたことがありません。(先ほどもいいましたように祈りは自分に返ってきます。自分で自分を不幸にするような祈りなど頼まれたってやりません)
不幸な現象が、私に祈られた人に現れるなら、それはその人が不幸になるようなことを自らしているからです。私の祈りのせいにするより、まず自身の心と行いを反省されてはどうでしょうか。(こんなこと書くと、烈火のごとく怒る人も多いんですが、どれだけ怒っても、自分が悪いから自分に悪いことが起きるのです。一人一人がそれを直さないと、名古屋に起きている恐ろしい現象も収まりません。どれだけ怒ろうが、直してもらうしか道がないから書いているのです)
だいたい、人に嫌がらせをしていくことがよいことですか?そういうことをしてはいけないと、いくらいったところで聞く耳を持たない人ばかりではないですか。だから「ああかわいそうな人だな」と思って祈っているのです。(私に嫌がらせしたままでは地獄行きですからね)
私は愛の心で祈っているのです。自分たちが悪いのを人のせいにして、怒って嫌がらせしていく人と、私では、その心において天と地ほど違うのです。なぜ、一方には奇跡が起き、もう一方には災いが起きるのでしょうか。
その起きていることが、すべてを物語っているのではないでしょうか。
もし、私が祈らなければ、私に嫌がらせをしていく人たちなど、では、どうしたら反省するのですか?私がそんな人たちに知らん顔をしていては、その人たちの行為はドンドンエスカレートするのです。
そんなことをし続ければ、その人たちは罪を次々につくっていくということになり、その一人一人の罪が大きくなれば、名古屋にどんな大きな災いを起こされるか知れないのです。私の祈りはそんな大きな災いを未然に防いでいるのです。
口でいっても分からないから、祈っているのです。祈られるのが嫌なら、そんなくだらないことされないことです。どちらにしても、そのような態度は子供のようです。私に文句があるならはっきりいうべきでしょう。それが人としての常識というものです。(ところが誰一人、私に文句をいう人はいないのです。嫌がらせをしているだけです。それはなぜか?自分たちが悪いということを皆知っているからです。言い合いになれば、自分たちが分が悪いと分かっているからです。では、私のいうことを素直に聞けばいいのですが、それは聞かない。すでに自分たちが悪いと分かっていても、それでも正しい意見に従おうとしないのです。それが人の“我”というものです。その我が邪魔をして素直に人の意見を聞けないのです。〔これは別に名古屋の人だけではありませんが〕しかし、よい意見には従うという聞く耳をもたないと、これからはロクなこと起きません。名古屋がいい例です)
どちらにしても、名古屋の人がどれだけ口をつぐんでいても、この名古屋で起きている現象は、いずれ全世界に知られることになります。あまりに聞き分けがないと、その時に格好が悪いだけです。
よい意見には従う、この当たり前のことを実践できるようになれば、名古屋には奇跡が起きてくるのです。それができない人が多ければ、今の状況は変わらない、それだけのことです。
名古屋の人は、もう神の心に目覚めるしかないのです。それだけ多くの人々が本当の神の教えを知ったからです。(多分世界一でしょう、これだけ多くの人が本当の唯心有神論を知っているのは)
それだけ進んだことを知りながら、これまでと同じような生活を望んだところで、もう出来るわけがないのです。その心に応じた現象が現れてくるからです。心が進めば、その心に応じた行いをしなければ、よい事が起きなくなるのです。
もうそういうレベルに名古屋の人たちはなってしまったからです。(今さらまた唯物無神論に戻れないでしょう。それができるなら戻れるんでしょうが)では、それに応じた行いをすればいいのではないでしょうか。(それが一番自分自身にとってよいことだからです)
名古屋は、これから世界に法が拡がって、その時に人々はどのような行いをしなければいけないか、その見本となるのです。
名古屋がこれから、よい町になるのか、それともこのまま(毎日サイレンが聞こえてくる)呪われた町になるのかは、名古屋の人々の心と行い次第ということになります。
ただいえることは、世界で自分たちの心が一番進んでいる、だから、それに応じた行いをしなければいけない、それだけです。(この世に生まれてきた以上、一番よい修行を名古屋の人たちはしているのですが、何か文句がありますか?〔天上界の人たちは大喜びですが…〕文句があるなら神にいってください。私はただやらされているだけですから)
追伸…大阪市長選が終わりましたが、投票率が過去最低だったそうですね。(これだと逆に都構想に民意はないと取られかねませんが…)
予想どうり、あまり状況が変わったようには思えませんが、これからどうされるのでしょうか、大阪市長さんは。
今回のことでもそうですが、何か大阪市長さんは、口では大阪の二重行政の無駄をなくすためとかいいつつ(ブログ内でも書きましたが)自分の我を通しているだけのようにしか見えません。(本当に大阪のためと思っているなら、もっと投票率は上がったと思いますが)
どちらにしても残念な結果でしかないと思います。もう少し調和ということを心がけてはどうでしょうか。(どうせ聞く耳を持たないのでしょうが。大丈夫です。そういう人たくさんいるので慣れてます〔笑〕)
そうしないと天の協力(奇跡)も得られないのです。



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