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3月 28 2014

臨死体験者と法の一致

10:50 AM ブログ

コメント欄にも書いたのですが、どうもウナッシーさんの知り合いに、臨死体験をされた方がいられるようです。

臨死体験が書かれた本はたくさん出ているのですが、だいたい臨死体験者がいわれることは共通しています。

暗いドームのようなところを飛んでいて、そのドームの先には光が見えた、お花畑のようなところで神様のような方と話した、三途の川を渡りかけたところで声がして戻った、自分の一生をビデオカメラを見ているように振り返った、などなど、このような体験をされた方のほとんどは、元気になると人が変わったようになるそうです。

それまで人のことなど考えなかった人が、人一倍、人のことを考えるようになり、愛を出すようになるとか、金儲けの話ばかりしていた人が、金に興味がなくなり、人のために尽くすようになるとか、それまでは愛のかけらもなかったような人でも、愛ある人に変わってしまうそうです。

そうして、このような方々が持つようになる共通した意識が(昨日のウナッシーさんのコメントにもありましたが)死を恐れなくなるということと、あの世に持って帰れるのは“心”だけと知ることです。

だから、臨死体験者は愛が深くなり、金などのこの世の物質に対し興味がなくなるのです。

あの世には、この世の金や地位、名誉など持って帰れないことを知るからです。自分の心しか持って帰ることが出来ないことを知るからです。(だから人に愛を出すようになるのです。それが一番、自分の心を愛で満たすことになるからです。愛を人に与えれば、その愛は自分に返ってくる、そのことも理解するからです)

このようなことは法で教えていることです。

死は怖いものではない、金、地位、名誉などあの世に持って帰れない、あの世に持って帰れるのは自分の心だけ、人に愛を出さないといけない、などなど、すべて、このブログの中に書いてあります。

すでに私がいっていること(法)を、臨死体験者は自分の経験として知るのです。

このような臨死体験者の話を聞きますと分かります。ここに書いてあることを、なぜしないといけないのか?ではなく、人は、元々このようなこと(法)を実践するために生まれてきているのです。しないといけないのではなく、そうすることが人として当たり前の行為だから、そうしないといけないといっているだけなのです。(当たり前のことを当たり前にいってるだけです)

そうして臨死体験者は、自分の一生をビデオカメラを見ているように振り返る、という体験もしますが、これも法では伝えています。自分の心に、自分のやったことや思ったことは、すべて記録されている、だから一分一秒がすべて勉強なのだと。

よいことも悪いこともすべて心に記録されるのです。だから、自分が死んだ時、その自分の心の中にあるビデオテープが再生しだして、自分の一生を自分で見て“反省”させられるのです。

ただ、このビデオテープは現在あるビデオテープと違うところがあり、その違うところとは、自分が悪いことをした場面でも、よいことをした場面でも、そのようなことをした相手の気持ちに自分がなるということです。

つまり、悪いことをした自分の気持ちを自分で反省するのではなく、された方の気持ちになって、自分が反省しなければいけないということです。

臨死体験者が皆いうのですが、自分の一生を振り返って、人に悪いことをした場面が出てくると、その悪いことをされた方の気持ちにそのままなるそうです。そうして、そういうことをしたことが、どれだけその人を嫌な気持ちにさせたのか、それが実感として分かるそうです。

これは、よいことをした時も同じで、よいことをされた方の気持ちになり、本当に自分の気持ちがよくなるとのことです。だから、よいことをした方がいいのであって、少しのことでも人に対し、悪いことはしない方がいいのです。人に悪いことをすれば、その悪いことをした分だけ、自分がその気持ちを味わわなければいけなくなり、後で自分が苦しむだけだからです。

このような体験をさせられるということでも分かりますが、人はよいことをし、悪いことをしてはいけない、これもまた当たり前のことなのです。(私に嫌がらせを続けている人たち大丈夫ですか?神の使いに嫌がらせをしているのです。このような体験プラスアルファで苦しい体験をさせられます。それだけ罪の重いことをしているからです)

このように、臨死体験者と、法でいってることが一致している箇所が多いのです。

それはなぜか?

それは、臨死体験をした人は、一度死を体験し、この世に戻ってきた人ばかりだからです。あの世のことを少しでも体験として知っているからです。

だから、法のいっていることと、臨死体験者のいっていることは共通点が多いのです。これこそ、この法が正しい神の教えである、という証拠ではないでしょうか。(ということは、唯一あの世のことが正しく分かり、あの世のよい世界にはどうすれば〔どういう心になれば〕いけるのか、その方法も正しく分かる教えということです)

なぜ、この法を実践しないといけないか。それはこの世に生まれた人の、するべき当たり前の行為だからです。

追伸…深海に住むダイオウイカが、最近は頻繁に捕まえられているとのことですが(これも異常現象の一つでしょうか?)このダイオウイカは、ずいぶん巨大に成長するそうですが、昨日その巨大生物のことをテレビでやっていました。(宇宙人のこともやっていましたが〔笑〕)

このような巨大生物が存在するかどうか、よく議論になりますが、昨日テレビでやっていた巨大生物が本当に存在するのかどうかは分かりませんが、高橋先生は、このような巨大生物は存在するといわれていました。

ですから、この地球上には、いくつかのまだ未発見の巨大生物は存在しているようです。

そのように考えるのであれば、そのような巨大生物をみつけるのも、それはそれで夢がありますね。(笑)

2コメント

2 コメント to “臨死体験者と法の一致”

  1. ウナッシー2014/03/28 at 12:38 PM

    先日、子供と一緒にTVを見ていたらそのワンシーンで 妊婦さんが集まった会話のなかで「これから先、同じ境遇の方々と話ができて安心感がありますね」と言った会話に心が動きました。私も考えてみれば短期間で自分が変わり(多分周りも気付いていると思う)日々気付きもあり、見えてくる環境の変化を何とか自覚できているかな位のサイクルにあっては、先程の妊婦さんの言われる言葉に甘えたくなります。この今の現状が窮屈なのかと問えば、いたって普段通りでストレスもなく過ごせていることに感謝しているものの何かが足らないと思うものが心に引っ掛かります。

  2. gtskokor2014/03/28 at 2:18 PM

    結局、法を知ったからです。
    法を知ると、愛をもっと人に与えたい、即ち、法の流布をもっと行わなければいけない、と自分が生まれた本当の使命を自覚しますので、ただ普通の生活をしているだけでは、その部分が物足らないと感じるのです。
    少しずつで結構です。周りに法の流布を行う(愛を出す)ようにすると、そのような心の引っかかりはなくなっていきます。

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