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4月 04 2014

意地とプライド

11:03 AM ブログ

豚伝染病が流行りだしたそうですが(十七県で、四万頭近くの豚が死んでいるらしいですね)インフルエンザやノロウイルスの流行が終わりかけたら、今度は豚に感染する豚伝染病が流行りだすとは、本当にいろいろな伝染病が流行るものです。

昨日は伊豆大島がまた大雨に見舞われ、今日も関東から東北にかけて、太平洋側など大雨になるところもあるとか、本当に毎日のように何か起きますね、日本は。(もちろん異常現象がです)

名古屋も毎日のように何か起きているんですが、それはそうでしょう、毎日のように、このブログを書くのを邪魔はする(今日も朝からガンガンやっています。家の前の会社や横の会社が)そこら歩いていれば嫌がらせしてくるで、名古屋の人たちいいこと少しもしません。

では、悪いことしか起きないでしょう。(昨日のブログでも、あまりに書いている最中うるさかったものですから、途中から何を書いているか分からなくなったほどですし…さすがに頭に来たから、その後、ずっと祈っていましたけどね、前の会社のオオシオの連中を)

これだけ、法の流布の邪魔はする、嫌がらせはする、協力はしない、の三拍子が揃えば、いいこと起きるわけがありません。日本に毎日異常現象が起きるのも必然でしょう。

昨日、金山のある公園まで歩いて行き、そこに座っていると、私の近くにたくさんすずめが集まってきて、ピーピー大騒ぎしていました。最近は道を歩いていても、あちこちですずめが騒ぎ(それで私が歩いていることが、そこらの人にすぐばれてしまうのですが…そうするとわざわざ家から出てきて、嫌がらせする人もいますので〔苦笑〕)私が歩いている上空を飛び回っているすずめもいます。

人とすずめではこうも違うのかと、あまりの差に愕然としてしまいますが、それにしても不思議なものです。

私から法を聞いたわけでもないすずめたちが、異常に私になつき、法を聞いている人たちが異常に私を嫌うのです。(または、異常なほどの無視の仕方です)

別に私は、すずめたちに餌をやったわけでもなく、法を説いて救ったわけでもないのに、そのようなすずめたちが私を好いて、法を知ったことで救われているはずの人たちが、私を嫌い無視をするのです。

起きていることが逆のような気もしますが、そのような逆の現象が私の周りに現れています。

まったく不思議なことですね。

すずめたちと人では一体何が違うのでしょうか?

姿かたちや役割や使命はもちろん違いますが、心、思いという一点だけ見れば、すずめも人も変らないでしょう。自分がいいと思えば好きになるでしょうし、よくないと思えば嫌うでしょう。

では、すずめは私のことをよいと思い、人はなぜよいと思わないのでしょうか?

その好き嫌いの思いのどこに違いがあるのでしょう?

人にはあってすずめにはないもの、それは意地とプライドではないかと思います。

人は、その意地とプライドが邪魔をして、なかなか素直な態度が取れないのではないでしょうか。

これだけ一方に奇跡が起き、一方に悪いことが起き続けているのです。どう考えたって奇跡が起きている人のいうことを聞いた方がいいと思いますが、それが出来ない、それはなぜか?それぞれの人には皆、意地がありプライドがあるからです。

自分はこのように思ってきた、それが間違っているはずはない、お前より私の方が上、お前なんぞに負けるわけがない、そのような意地とプライドが邪魔をして、どれだけ、そのような思いとは逆の現象が現れていても、その現象を認めることが出来ない。

また、私を無視している人たちも同じでしょう。どれだけ不思議な現象が現れようと、また、いったとおりの不幸な現象が現れようと、自分の方が上なのだから、自分より下の奴が何をいっても知ったことではない。

そのような考えにプラスして、ねたみやひがみ、そうして人の目ばかり気にする、人のことは関係ない、という小さな心が、今のような不幸な状況をつくりだしているのではないでしょうか。(自分が悪いせいで悪いことが起きたのに、それを私のせいにして、いつまでも根に持っている、そのような心も同じでしょう。心が小さいので責任転嫁ばかりして、まったく反省できないのです)

そうして、そのような意地やプライドを持たない人が、私のいうことを聞き、そこに奇跡が現れているのではないでしょうか。(それは違うといわれても、現実にそのようになっています)

もし、意地やプライドだけで私に逆らい無視を決め込むなら、そんな意地やプライド早々に捨てた方がいいでしょう。そうして、ねたみやひがみ、人の目ばかり気にしていたり、人のことなど知らない、などという小さな心も早く直された方がいいでしょう。

そのような心をどれだけ持ち続けても、人は進歩しないからです。

人として何の成長もないからです。

多くの人の心が進歩していないという証拠は、この日本に起き続けている異常現象で分かります。この数年の間に、どれだけお金を稼いだ人でも、名を売った人でも、その人の心の進歩という点においては、何も進歩していないのです。

だから、これほどの異常現象が日本に起き続けているのです。金を稼ぐことや自分の名を売ることが、心の進歩とは何も関係ないと知らせるためです。

また、大震災が起こり、多くの人は震災の被害に遭った人のため、寄付もしたし、ボランティアにも行っている、それなのになんで心の進歩がないというのか、と思う人もいるでしょう。

それでもダメなのです。それだけでは本当の心の進歩はしないのです。

まず、その起きた原因(多くの人の心)を理解し、その起きた原因の心に自分がならないようにしないと、自分の心は成長していかないのです。

つまり、寄付やボランティアより先に、意地やプライドを捨て、そうして、ねたみやひがみの心を直さないといけない、ということです。小さな心を改めて、そうして寄付やボランティアをするのであればよいのですが、順序が逆であるということです。(そうしないと、いくら寄付やボランティアをしたところで、肝心の心を直さないと、また同じ現象が現れるからです)

すべてのことにおいて、まず、自分の心を神の方に向け、神の心を知ってからしないと、意味がないということです。

だから、神の心を一にしないといけないのです。

神の心を一にするには、意地やプライドは邪魔なだけです。一日も早く、ねたみやひがみの小さな心など持たないようにすることです。

今日もこのブログを邪魔し続けている連中はいます。今も近くでサイレンが響いています。

この異常現象を収めるには、一人でも多くの人が、意地やプライドを捨て、神の心に目覚めることです。

そのようないらないものをすべて捨て(心が)裸になった時、はじめてそこに神の光が降りるのです。

2コメント

2 コメント to “意地とプライド”

  1. ウナッシー2014/04/04 at 12:44 PM

    昨日の仕事で今の自分を知ることが有りました。
    仕事の納期が過ぎてもまだ部品待ちの仕掛かり品がありましたが
    お昼前に部品が揃い特急の仕事になったのです。しかし、この仕事は特注仕様で
    部品精度とスキルが要求されるものでした。ひと手間もふた手間も時間を惜しまずに満点の完成を思い地道にやった結果見事に特注精度がクリアしました。
    その時の第1一念は「神よ、有り難う御座います。」でした。
    考えてみれば、ここにきて何か現象が現れると「神よ有り難う御座います」と 思っていることが多いのに気が付きました。
    以前より神に対する信心が深くなったな、以前はラッキーとしか考えなかったところでも神に思いを抱けているのかなと思いました。
    そして話は仕事の続きですが「神よ有り難う御座います」と思った後に「これでお客様が喜ぶな」と思えたのです。仕事もまた完了すれば良いのではなく祝福と感謝で終わることを、自分の何気ない思いに感じました。

  2. gtskokor2014/04/04 at 1:55 PM

    よいことです。第一念が、自分がやった、ではなく、神への感謝、そうして人の喜びを我がことのように喜ぶ、人の心とはそうでなくてはいけません。
    それに比べて、自分が、自分が、という人がなんて多いことでしょう。名古屋など最悪です。自分の罪を人のせいにして怒っている人ばかりなんですから。
    こういう心の人が多くては、よいこと起きません。

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