4月 05 2014
神の業に逆らう愚かさ
昨日はやはり荒れた天気なったようです。関東では突風や大雨、ヒョウまで降ったところがあり、東北や北海道も、大雨や吹雪になったところもあったようです。(宮城も凄い雨が降ったようですが、大丈夫でしょうか)
今日明日も各地、大雨や大雪に注意が必要とのことですが、まったく異常現象が止まりません。
これだけ起こされても、それでも心を変えようとはしないのです。多くの人のその心の頑なさ、何が恐ろしいかって、それが一番恐ろしいですね。
昨日は東京も荒れた天気になったようですが、昨日の話ではありませんが、東京の人はずいぶんプライドが高いと聞きます。
名古屋の田舎者が何をいっとるか、と一笑に付すのではなく、少しは聞かれてはどうでしょうか、その田舎者の意見をです。
私は田舎者なだけではなく学歴もありません。(何せ、バカな高校出ているだけですから)しかし、そのような学歴にせよ、住んでる場所にせよ、皆それぞれ、自分の使命役割に合わせて、そのような道を自分で決めて生まれてきているから、そのような立場なだけであり、それで人の優劣が決まるものではありません。
釈尊やキリストの弟子たちは、田舎者や無学の者も多かったのです。しかし、法を知って多くの人々を救いました。(余談ですが、前に書きました、ペテロの過去世を持つ、元東大総長でありました矢内原忠雄氏は、キリストの弟子のペテロであった時代、自分が無学であったため、法の流布にずいぶん苦労されたそうです。それで今回はしっかり勉強してこようと、日本に生まれて東大の総長にまでなられたそうです。このように、勉強をしっかりする目的で生まれてきた人は、東大やら京大やらいって、勉強を通して自分の魂を磨くために、そのような道を進まれるのであり、運動では運動、また勉強も運動もそこそこで、と決めてきた人は、そのような道を通って魂を磨いていくのです。いい大学に行くか行かないかは、その人の決めてきた使命の違いでそうなっているだけであり、学歴と人の価値とは何の関係もないのです)
法を行じれば救われ、無視すれば、現在のように次々に災いが起きてきます。東京はプライドの高い人が多いというのであれば、日本で一番頭のいい(物分りのいい)人たちが集まっているのでしょう。
では、他の地域の人が理解できなくても、この法の価値を一番はじめに理解できるのは、東京の人たちということになるはずです。(それだけこの法は価値のあるものだからです)
その東京の人たちの優秀さ、ぜひ見せていただきたいものです。
いつまでも同じことをしていると、私のような田舎者に「東京の人たちも、いつまで同じこと繰り返しているんだろう、バカじゃないのか」とバカにされます。
私のような無学の田舎者にバカにされては、東京の人たちの沽券にかかわるでしょう。では、早くご理解ください。今の日本の最悪の状況を脱する唯一の方法をです。(もちろん、法を行じるしかないということです)
それで東京は東京としてです。名古屋の人もワンパターンですね。
今日も朝から、このブログを書くのを邪魔してる会社はある、そこら歩いていれば、バスやトラックはブシュブシュやってくる(マァ、前より減るのは減りましたが)会社の横を通ればでかい音を立てられる、前から歩いてくる人は「ゴホゴホ」セキをしだす人はいる、ザッと足で音を立てていく人はいる、遠くから私をにらんでいる人はいる、私の顔を見たとたん、凄くいやな顔をしてわざとらしく避ける人はいる、本当に皆さん同じことやっています。(笑)
昨日でも金山に行ったら、そんなことする人が一杯いました。(もはや不動の人気ですね、私も)
前から歩いてきたジイさんが、私の顔を見るなり「ゴホゴホ」やりだしたので「同じことばかりやってるなぁ、少し考え方変えるだけで奇跡が起きるのに、本当に残念」と私がいうと、なんとそのジイさんがすれ違いざま「いやだね」といったのです。
私が何かいっても、あんまりいい返す人いないですからね、ちょっと驚きましたが「じゃあ名古屋中に病人が溢れることになるけど、それでもいいんかい」と言い返すと、それには答えず無視して歩いていきます。
まったく議論になりません。逆らうだけ逆らい、では、こうなってもいいのか、こうなったらどうするのか、と聞いても、自分たちに都合の悪いことは一切答えようとしないのです。これでは話しにならないでしょう。
そちらから、先ほど書いたような嫌がらせを私に散々してくるから、私は祈ったり、いろいろいっているだけであって、何もしてこない人には何もしません。
それに、嫌がらせをしてくる人は、私に文句があるから、そのようなことをしてくるんでしょうから、何か文句があるならはっきりいえばいいのです。
先ほどのような「いやだね」とか「うるせえ」とか「問題ばかり起こして何をいっとるか」とか、私のやっていることに逆らっているだけという文句は、何人かの人にいわれたことがありますが、それはただ逆らっているだけで、まったく中身がありません。文句というか意見らしい意見は、誰からもいわれたことがありません。
名古屋には、私より頭のいい人や、宗教を私以上にやっている人はたくさんいるでしょう。それなのに、誰一人私に意見らしい意見をいう人はいないのです。(そういう人たちも、私のことを知っているということは、ある大きな宗教団体の信者や坊さんからも嫌がらせを受けたことで、その事実が分かります)
では、自分たちの方が間違っていると自ら認めていることになりますが、そのように判断してよろしいのでしょうか?(自分たちが間違っていると認めているから、意見をいわない〔いえない〕んでしょう)
自分たちが間違っていると認めるのであれば、早く私のいうことを聞いて、反省してください。そうしないと、この名古屋で起きているサイレンは止まらないからです。(昨夜もよく聞こえてきました)
同じことを繰り返していては、同じことが起き続けるだけです。ソロソロ態度を変えられてはどうでしょうか?そうしないと、名古屋中で病人が溢れるという事態になります。(これいいすぎでも何でもありませんよね。名古屋の人なら、そのようなことも想像できると思います)
意地やプライドだけで、私に逆らい続けても何もいいことありません。もうこのような状況が一年半も続いているのです。いい加減、現実は現実として受け入れるべきでしょう。自分たちが間違っているからこのような状況になっていると。(それを認めざるを得ないと思いますが、このような状況では)
名古屋が変わらなければ、日本も変わりません。何でも地元発などということはいいものです。
最近は、名古屋発やら愛知県発やら、そういうものがあまりにないからと、大村知事がフットサルのワールドカップの開催地に、愛知県が立候補することを決められたようですが、それはそれで結構ですが、日本だけでなく、いずれは世界を救うことになる法の流布を、この名古屋発で行わないで、一体何を行おうというのでしょうか。(これ以上のものはありません)
少し考えを変えるだけで、名古屋に奇跡が起き始めるのです。では、やってみてはどうでしょうか?
東京の人たちの鼻を明かせるのはもうこれしかありません。名古屋発、世界を救う法の流布を行うより、名古屋発展の道はないのです。(現実にそうでしょう、これだけ毎日、人が救急車で運ばれているのです。これでは名古屋が落ちていくことはあっても、発展しようがありません)
もう小さなことにこだわっている場合ではありません。そうして、自分たちの罪をいつまでも責任転嫁している場合でもありません。
すでに、神の御業はそこかしこに現れ、神の意識が支配する世界が日本に出来つつあります。
それにいつまでも逆らい続けているのは、愚かなこと以外の何ものでもないのです。



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