>>ブログトップへ

4月 17 2014

心の基準

11:07 AM ブログ

群馬で、大きな山火事が起きているとのことですが、毎日のように起きますね変事が。

それもこれもすべて皆さん(このブログを見ている人、私のことを知っている人)が何も(神の運動を)しようとしないせいなのですが、昨日のこの辺りの人の態度を見ていても分かりますが、まったく反省がありません。そういう態度で大丈夫なんでしょうか?

昨日でも、あんなブログを書けば、意地になってブシュブシュやってくる運ちゃんがいましたが(それもかなり多くの)そんな子供のような反応をされてもね、もう少し大人の反応をしてもらえませんか?

そのせいで、ずいぶん昨日はサイレンが聞こえてきました。今日は今日で、明らかに昨日と雰囲気や態度が違うところもありますし。(癌になる人が出ているみたいです。「癌になる奴がまた出たのか」と声を出したら、やかましかったのが、とたんに静かになりました。〔図星だったようです〕ずいぶん恐ろしいことが立て続けに起きているようです。その会社)

この辺り、かなり恐ろしいことと、そうして(私の周りに鳥が集まってくるような)奇跡的なことが混在して起きているようです。つまり、地獄界で起きるようなことと、天上界で起きるようなことが両方起きているということです。

片方には、次々に奇跡的な現象が起きて、鳥たちもたくさん寄ってきますが、もう片方には災いばかり起きて、病気やけがをする人が数知れずということになれば、もうどちらが正しいことをしているかは明白だと思いますが、これだけ分かりやすい差が出ていても、それでも私に協力しようとしないんでしょうか?

この辺りの人たちは、そのようなことが目の前で展開されているのです。それでも私を認めようとせず、自分たちの非を認めないんでしょうか?

「自分たちは何も悪いことはしていない、悪いのは全部お前」ですか?では、何で自分たちに悪いことばかり起きるんでしょうか?

この前、地獄界のことを高橋先生のご著書から抜粋しましたが、あそこに出てきた鬼婆は生前どのような人であったのか、あの「心の指針」の中に書かれてあります。

あの鬼婆は、百姓の家に生まれ、家が貧しかったため吉原に売られたそうです。

そうして吉原では、毎晩のように遊び人や武士が、あの鬼婆(その時は、若くきれいな女であったのでしょうが)の下に来て、鬼婆の体をもてあそび、それはそれはつらい毎日であったそうです。

病気をしても休むことが出来ず、客を取らなければひどい仕打ちを受けます。生きる希望もなく、親を恨み、人を恨み、身の憐れを悲しみ、そのような心のままで死を迎えたのです。

そのような心の状態で死んで、気がついたら地獄で人を殺しては食べる、鬼婆になっていたのです。

あの鬼婆は、生前、人を殺したわけでも悪いことをしたわけでもありません。ただ、貧しい家に生まれて吉原に売られ、恨みつらみの人生を送っただけです。

それでも、死ねば、あのようなひどい地獄界で暮らさなければいけないのです。(それも何百年もです。あの鬼婆は江戸時代の人だったそうですから)

このようなことを考えるのであれば、現在、自分たちは何も悪いことをしていない、といってる人たちは、本当に悪いことをしていないといえるでしょうか?

悪いこととは、行いだけではないのです。この世の法律では、行いだけでしか裁かれませんが、それはあくまでこの世だけの法律であり、死後の世界、生まれて来る前のあの世の基準は、悪いこととは心の問題が主なのです。

つまり、行いよりも、一人一人の心のあり方を重視するということです。(そうでなければ、先ほどの鬼婆が地獄に堕ちるのはおかしいでしょう。生前は何も悪いことをしていないのですから)

この世に生まれた真の目的は、自分の心をきれいにすることなのです。狭く小さな心を、広く大きく豊かにすることが、この世に生まれた最大の目的であり目標であって、どれだけ金持ちになっても、どれだけ有名になっても、この世に生まれた自分の本当の目的を達したことにはならないのです。

そうして、怒り、恨み、憎しみ、ねたみ、そのような心は持つだけで罪となるのです。

そのような心の基準を知るのであれば、皆さんは本当に悪いことをしていないのでしょうか?(この近辺の人、悪いことをしっぱなしの、罪をつくりっぱなしの人もいるようですが)

金がほしい、あるいは出世したいがため、無理をして、人を怒ったり、恨んだり、ねたんだりしていなかったでしょうか?

あるいは嘘ばかりついていなかったでしょうか?そのようなことは皆罪となって、自分の心に残るのです。

心を大きくしよう、豊かにしようと思われたでしょうか?心をきれいにしようと思われたでしょうか?そういう心を持とうともせず、小さい心のままで責任転嫁ばかりしていなかったでしょうか?(そういう人もたくさんいるように思いますが…)

このようなことすべて悪であり、罪となります。

では、悪を犯していないと、胸をはっていえる人はどれくらいいるのでしょうか?

自分は悪を犯していないなど、とんでもない間違いなのです。そのような人は心の基準をまるで分かっていないのです。

自分たちが悪を犯しているから、自分たちに悪いことが起きる。

これが神理なのです。

追伸…韓国で、乗客が四百人以上も乗った大型客船が沈没したようですね。

死者も出て、行方不明者がまだ二百九十人もいるそうですが、これだけの規模の大事故が起こるなど、よほどのことです。

いってはいけませんが、韓国大統領が日本を平気で陥れるようなことをしているのです。その国の長がそんなことをしていては、このような事故も起きかねないといえます。韓国はこの前も雪の重みで建物が崩壊し、百人もの人が下敷きになるという事故がありました。

中国でもそうですが、あまりに露骨に、よその国を陥れて自国の利益を伸ばそうとしても、その反動の方が大きくなります。

韓国大統領も、もう少し日本との関係をよくするよう努力されてはいかがでしょうか?

日本に対し、今のような態度を続けるのであれば、また、このような大惨事が起きることになるからです。

2コメント

2 コメント to “心の基準”

  1. ウナッシー2014/04/17 at 12:29 PM

    今朝偶然とも言い難い現象が有りました。私は会社員で会社へは自家用車で通勤しています。片道20分位の道のりとなってます。いつもと同じように家を出て道のりの半分くらい過ぎた辺りで何気にバックミラーを覗くと後ろから煽ってくる車がいました。始めは気にも止めなかったのですが、そのうちに心が騒ぎ出してきて再度バックミラーを見るとまだ煽っているのです。それでそのことに心が騒いでいるのかと気が付き「我は神の子である」と始め神への感謝を済ませて心が穏やかに戻ったところでバックミラーを見ると、今度は車1台分離れているのです。自分の速度を変えた訳でもなく、もちろん警告したということもないのです。それからその車が道をそれるまで車間距離をつめることはなかったです。
    いつも気持ち良く通勤しているので心の変化が感じることができました。

  2. gtskokor2014/04/17 at 1:15 PM

    神を思い、神に感謝する心は周りを調和します。
    逆に神を神と思わず、怒りやねたみの心ばかり持っていると、不調和をきたします。
    この辺りの人々は、ウナッーさんとは逆の思いばかり持っているようです。
    不調和な現象ばかりが、この辺りは起きいるからです。

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。