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4月 18 2014

心のあり方の大事さ

11:10 AM ブログ

昨日、高橋先生のご著書「心の指針」に書かれてある、地獄に堕ちた鬼婆の生前のことを書きましたが、もう一つ生前は何も悪いことをしていないのに、死んで地獄に堕ちた人の話を書いておきましょう。(多くの人の参考になると思いますので)

釈尊在世当時、釈尊の右腕といわれたのは、シャリー・プトラーでしたが、そのシャリー・プトラーとともに、釈尊の二大弟子として有名な、シャリー・プトラーの親友でありましたモンガラナー(目蓮・もくれん)の母の話です。

ある時、目蓮は、死んだ母はどうしているのであろうと、母を霊視してみました。(目蓮は、神通第一といわれるくらい霊力に優れていましたので、亡くなった自分の母をすぐに霊視することができました)

すると、自分の家のすぐ近くに母は一人で立っていました。母を観ると水がほしそうでしたので、水を与えようと、手で水をすくって母の口元まで持っていくと、その水がボッと火に変わってしまったのです。

目蓮は不思議に思い何度も試しましたが、何度やってもダメなのです。目蓮の手元では水であったものが、母の近くまで持っていくと、その水がすべて火に変わってしまうのです。

それで釈尊に、なぜこんなことになるのか聞いてみました。

すると釈尊は次のようにいわれました。

「目蓮よ、お前の母は、バラモンの家に生まれたため気位が高く、周りの者に威張りちらし人から布施されても、感謝の心も行為もなく、貧しい人を見ても慈悲の心もなかった。生に執着し死を嫌がった。そのような心のまま死んだため、死後火炎地獄に堕ちたのだ」

釈尊にそのようにいわれ、目蓮は母の生前を思い出しました。

目蓮の母は我の強い人でした。釈尊のいわれるとおり、いつもバラモンであることを鼻にかけ、尊大な態度で、人から布施してもらっても、それに感謝の心もなく、貧しい人を見てもバカにするだけで、慈悲の心で、そのような人たちに布施を与えたことなど一度もなかったのです。

そうして死を怖がり、死ぬ時には「死にたくない」「死ぬのは嫌だ」と苦しみながら、鬼のような形相で亡くなったのです。

そのような生前の心と行いが、死後、火炎地獄を自ら作り出し、家のすぐ近くで、目蓮の母は地縛霊となって苦しみ続けていたのでした。

そのような母の生前の行いを思い出しながら「どうしたら、母を救うことが出来ますか」と目蓮は釈尊に尋ねます。

すると釈尊は「母を救いたいのであれば、そなたの母が生前行わなかった、貧しい者への布施の行為を、一年のうちのせめて三日ほどは、そなたがやってあげなさい。そうすれば、そなたがする慈悲の行為を母が見て、自分の生前の行いを反省し、いまいる地獄界より救われていくであろう」といわれました。

それを聞いて目蓮は、一年のうちの三日間は日を決めて、貧しい者への布施を行うようになります。

この目蓮の「貧しい者への布施」の行為が後世に伝わって、今のお盆の習慣になっていくのですが、現在日本にあるお盆の習慣は、死んだ人(自分の先祖)への布施に変わっています。

しかし、元々お盆の習慣は、目蓮の生きた人(貧しい人)への布施からはじまったのです。

それが、釈尊の教えが中国にわたり、日本に入ってきた時には、死んだ人への布施に変わってしまっていたのですが、よく考えてみれば、死んだ人にいくら布施しても、その死んだ人が、この世の食べ物を食べられるわけでもなければ、この世のお金を使えるわけでもありません。

亡くなった人に、いくらこの世の物をあげようと意味がないのです。

もし、亡くなった人が本当に成仏してほしいのであれば、目蓮が行ったように、生きた人(貧しい人、生活に困っている人)に布施してあげることです。それが一番、亡くなった人の救いになるからです。(そのような慈悲の行為を見て、成仏できていない人が慈悲の心を思い出すからです)

そう考えるのであれば、今やっているお盆の習慣(死んだ人への布施)は、まったく意味がないのです。所詮は間違った習慣でしかないからです。それを正しいと信じて、ずっと同じことを続けているだけなのです。

盆には、家族や親戚が集まり、故人を思い出して昔話に花を咲かせる、時にはそのようなこともいいでしょう。

しかし、本当に意味があることは何か、そのような正しいことを知らなければ、いつまでたっても故人も、そうして生きている人たちも、心から救われることはないのです。

お盆はお盆の習慣として、また変えられる時がきた時、変えればいいのですが、とりあえず、今の人たちの常識です。

目蓮の母は、生前何も悪いことはしていませんでした。ただ我が強く、傲慢で慈悲や愛の心が余りなかっただけです。(こういう人多いと思いますが…)

それでも地獄に堕ちるのです。

心の中がどうあろうと、行いさえ悪いことをしなければそれでいい、と思っている人も多いと思います。

しかし、残念ではありますが、このブログに書きましたように、心が怒りや憎しみや恨み、ねたみやひがみなどに満ちていれば、その人は死後、確実に地獄に堕ちるのです。

そうしてこのような心は自身の心を汚しもします。表面上はどうあれ、心の中が真っ黒では、そのような人はとても善人とはいえず、むしろこの世的には偽善者、詐欺師のような扱いを、あの世に帰ればされるのです。(地獄に行くのですから、それはこの世的にいえば刑務所に入るのと同じことです。では、顔と心が裏腹な人など、あの世から観たら犯罪者と同じということになります)

怒りや憎しみ、恨みやねたみなど、そのような心を持ち続けることが、いかに悪いことかお分かりいただけるでしょうか?

よく人の悪口をいう人など、そのような悪心が常に自身の心にあるということです。では、そのような人も、死後地獄に堕ちるということになります。

多くの人は、悪く思うことを軽く考えて過ぎているのです。思うことくらい自由にさせてくれ、と思う人もいるでしょう。しかし、それが一番いけないのです。

その人が思っている以上に、悪い心を持つことは悪なのです。

心から良い人間にならなければ、自信も救われない、ということです。

追伸…、韓国フェリーの沈没事故は、天候が悪くなかなか救助が進まないようですね。

救助に一時の時間も無駄に出来ないこのような時に、よりにもよって、天気が悪いなど、ずいぶん運が悪い話です。

このようなところでも、日ごろの行いが現れます。

今日のブログの話ではありませんが、日ごろから人同士だけでなく、国同士の心と行いも気をつけたいものです。その心と行いさえ間違わなければ、どのような時でも天が味方してくれて、予想以上の良い結果が得られるからです。

3コメント

3 コメント to “心のあり方の大事さ”

  1. ウナッシー2014/04/18 at 12:38 PM

    私の母は健在ですが、父が早くに他界して独り暮らしの年金生活をしています。少し認知症が出てきていますが生活には困っていません、しかし、自分の受ける年金額を気に止めず使う浪費癖になってる為、小遣いの要求がたちません。宜しければ、解決に至る御指南をお願いできますでしょうか?

  2. gtskokor2014/04/18 at 2:31 PM

    そうですか、それはお困りでしょう。
    そのような態度を、お母様がウナッシーさんに取るのは、ウナッーさんの愛が、お母様に対し少し足らなかった、ということに原因があります。(だから、子の愛がほしいため、そのような態度を、お母様はウナッシーさんに取り続けられるのです。お父様〔夫〕を早くに亡くされているのなら、よけい子の愛がもっとほしかったんだと思います)
    まずそのことを反省し、心の中でしっかり、自分が母に対する愛の足りなかったことを、神に詫びられることです。
    そうして、その自分が母に出しきれなかった愛を、神がかわりに出してくださるよう神に祈って、お母様が、もらう年金だけで満足して、幸せな生活をしていられることを、心の中にアリアリと描きます。
    そうして「神よ、母に光をお与えください、安らぎをお与えください、どうぞ母を正しくお導きください」と祈ればよいのです。
    そのような祈りを続けていれば、すぐにお母様の浪費癖は直らないかもしれませんが、ウナッシーさんの反省ができて、お母様の心が神の愛に満たされ次第、お母様の浪費はなくなっていくでしょう。
    多少時間はかかるかもしれませんが、お母様がウナッシーさんを愛してくれた時間に比べれば、短いものです。
    今生最後の親孝行だと思い、お母様に最高の祈りをプレゼントしてあげてください。
    すべてのことは、ご自身の心の成長のため起こされていることです。
    なんでも神に感謝の心を忘れずされるのであれば、このような問題も調和と安らぎのうちに解決されるでしょう。
    どうぞお母様への祈り、かんばってください。

  3. ウナッシー2014/04/18 at 5:45 PM

    誠に有り難う御座います。
    確かに私にとって子供の頃から母は反面教師の面があり最近こそ見方が変わりましたが、それまでは母の親心知らずの態度をとっていました。
    御内容を落とし込みしっかりと反省をさせて頂きます。

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