12月 17 2010
高橋信次師の後継者④
人の人生で何が一番大事なのでしょう?お金でしょうか、地位名誉でしょうか、それとも幸せな生活をすることでしょうか。
金や地位や名誉があれば、それがイコール幸せな生活であるとはいえないはずです。
大金持ちでいい家に住んでいたとしても、家族の仲が悪くいつその金を家族に取られるかもしれない、寝首をかかれるかもしれない、などと思って生活している人がいれば、そんな人を幸せな人とは誰も思いません。
いくら地位や名誉があっても、その地位や名誉に胡坐をかき、周りに威張り散らして偉そうな態度ばかりとっている人がいれば、誰もその人を人格者とは思いませんし、人に嫌われ誰もその人には近づかくなるでしょう。
どれだけお金があろうと地位名誉があろうと、そのようなものだけでは幸せな生活を得られることはありません。
それともお金があり地位名誉があれば、家族の仲は自然によくなり人にも好かれ、よい人間になって幸せな生活ができるとでも言うのでしょうか?そんなことはないでしょう、現にお金があってもうまくいっていない家など山ほどあるし、地位名誉があっても悪いことをする人はたくさんいます。
心に何のわだかまりもなく、家族みんなが毎日オホホ、アハハと笑って明るい生活ができる、そのようなものを人は望んでいるのではないでしょうか。心に安らぎのある生活こそ人生で一番望まれていることなのではないでしょうか。それを幸せな生活というのではないでしょうか。
心の安らぎなくして、金や地位や名誉だけでは人は幸せにはなれないのです、仮に外側からはそのように見えたとしても、そのような人たちの心の内面が怒りや妬みや愚痴であふれていたら、それは決して人として幸せなことではないのです。
人が一番望むべきものは、心に安らぎのある幸せな生活であり、そのような中で人の心は向上し、最高の喜びである悟りが開けてくるのである。
そう教えたのが釈尊の正法でありキリストの福音でした。それを正しく今生に蘇らせていただいたのが高橋先生が説かれた法であり、その高橋先生が説かれた法を、高橋先生の後継者として、より分かりやすく私たちに伝えてくれたのが園頭先生でした。
園頭先生は心のあり方の大事さを説かれ、心を向上するには法を実践するしかないと、霊道現象のような不思議なことを一切されず、法を知りそれを実践するにはどうしたらいいかという講演を全国(海外も何度かいかれました)各地でされ、病気で困っている人には光を与えて癒し、悩みのある人にはそれがどうしたら解決するかを指導し、正法会を二十年近く一人で運営され法を説かれました。
そのような意味では(ご自身で本も何冊も書かれましたので)何万、何十万という人に法を伝えられたと思います。
しかし、これだけ園頭先生が頑張られても正法会の会員は、多い時で三千人ほど平均で二千人の人くらいしか集まりませんでした。
ほとんどの人が病気が治り悩みがなくなると園頭先生の下を離れたのです。その時は助かったと思っても悩みがなくなれば、それ以上その人のところにいても仕方がない、喉元過ぎれば熱さ忘れる、そういう人が多かったのです。
不思議なことをするわけでもなく、法を実践するとよくなりますよ、よいことが起きてきますよ、というだけでは多くの人が園頭先生の下にはとどまりませんでした。もちろん他の弟子(高橋先生の弟子たち)はまったく園頭先生に協力せず、自分たちそれぞれで勝手なことをしているのですから、それぞれの弟子たちの縁に繋がる人たちも、あちこちに散らばって一所に集まって法を聞き、それを世に伝えるということもならなかったわけです。
また園頭先生の縁に繋がる直弟子たちもだらしなく、少し園頭先生にほめられたり幹部になるととたんに威張りだし、弟子の間で揉め事ばかり起こして(私はこのとき正法会にはいましたが、そういう人たちとはまったく付き合いがありませんでした)法を多くの人に伝えようとはしませんでした。(私も園頭先生が亡くなって初めてこれはいけないと思ったくらいですから)
このように今生は悪いことが重なって(もちろん私も含めた法に縁がある弟子たちがだらしなかったせいなのですが)高橋先生(釈尊)の法を園頭先生(シャリー・プトラー)が正しく継ぎ世に伝えたのですが、大きく拡がるということにならなかったのです。
そうして園頭先生が亡くなられた今、法はなくなってしまったのかということですが、もし、法がこの日本からまったくなくなっていたとしたら、日本はただではすまなかったでしょう。(神の約束を違〔たが〕えたのですから)それこそアトランティスではありませんが、一夜にして海中に没していたかもしれません。しかし、依然として(いろいろ災いは起こっているにせよ)日本は健在です。
ということは、まだ日本には法はかろうじて残っているということになります。(高橋先生や園頭先生の本がまだ残っているということもありますが)
そのかろうじて残っている法を、では誰か継いでいるのかということになりますが、園頭先生は倒れられる直前、不思議な手紙をある人宛に正法誌に書かれています。



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