4月 29 2014
昭和の日
今日は昭和の日ですが、それで昭和天皇のことを書こうかとも思いましたが、このブログは誰が見ているか分かりません。やはり時期尚早のような気もしますのでやめておきますが、ただ昭和の時代は大東亜戦争もあり、激動の時代でありました。(戦前と戦後でまったく時代が変わってしまいましたからね。そこに大東亜戦争が起きた意味があるのですが、その意味も時期尚早ですから書きません)
そんな時代に天皇になられたのですから、昭和天皇は大変な使命を持って、日本に生まれて来られた方だったのです。
そのような、大きな使命を持たれた方でありましたので、昭和天皇は高い世界から出て来られた方であったようです。(菩薩界の上段階の方〔ですから如来に近い心の高さを持たれた方です〕であったと高橋先生はいわれていました)
ですから昭和天皇は、戦後マッカーサーに「自分はどうなってもいいから、国民を助けてほしい」ということをいわれたのです。それだけ徳のある方であったからです。
だから、今日を昭和の日としたのは、よかったと思いますが、昭和天皇の話はこれくらいにしておきましょう。
昨日の件をもう少し書きますが、何ですかね、前の会社の連中のあの騒ぎようは。よくあれだけ騒げるものです。(今日は幸い休みだからいいんですが)
あれだけ騒がれると町中に聞こえるでしょう。これでまた私の人気が上がります。こういうことが起きると、悪いのは全部私ということになるからです。(最悪です)
どう考えても、あんな大騒ぎしている方が悪いし、その原因にせよ、私がつくったわけではありません。自分たちが、散々このブログを書くのを邪魔していたのが悪いのであり、それも自分たちの責任のはずですが、何か知りませんが、悪いのは皆私ということになるようです。
何で、何でもかんでも私のせいなのか、と思うんですが、しかし、もう何をいってもこの辺りの人は聞かないでしょう。頭から悪いのは私と決めつけているからです。自分たちの態度や不信心など悪いとは思わない(思おうとしない)のですから、これまで起きていない悪いことが起き出したのなら、その原因はどこかにあるはずですし、悪いことが起きだした原因を自分たちにあるとは、死んでも認めようとしないのですから、では責任を誰かに転嫁するしかありません。
必然的に「悪いのは全部お前」というようになるようです。これだけ起きることが違っていてもです。
昨日でも、二~三ヶ月ぶりに行った公園があるのですが、久しぶりにその公園に行って、二~三十分もベンチに座っていると、周りにいたすずめたちが騒ぎ出してピイピイ、キャーキャーにぎやかなものでした。
私以外の誰にもそんなこと起きないのに、その現象を見て、すごいと思う人もいなければ驚く人もいません。(もうこの辺りの人は、私がいるとすずめが騒ぎ出すことを皆知っているからです)逆に、すずめがうるさいと(急に「ゴホゴホ」セキなど始めて)怒り出す人がいるくらいですから呆れてしまいます。
これだけ起きることが違っているのに、皆そのような現象は一切無視して、自分の悪を認めようとせず、悪いことは全部私のせいにしているのです。これではよいことが起きるわけがありません。(その通りの悪いことが名古屋には次々に起きています)
しかし、そのような態度もソロソロ限界が来ているように思います。
昨日の騒ぎを知るのであれば、よほどのことが起きはじめたと思えるからです。
これから、責任転嫁ばかりしている人たちには、次々に現象が現れるでしょう。特別名古屋だけではありません。
北海道や東北など、天気が続いて、カラカラに乾燥しているため、山火事が多発しているとか。そうして今日からは、西日本から大雨の天気になるようですが(高気圧が低気圧の行く手を邪魔しているため、低気圧の進むスピードがかなり遅くなってです)このような極端な天気になるのも、全国の人々が、責任転嫁ばかりして自分の責任を認めようとしないからです。
この前も、自分が受けもつ小学校の新一年生の入学式を休んで、自分の子供の学校の入学式に出席した教師のことが、新聞に載っていました。
どっちがいいかは賛否両論があり、大論戦に発展していると新聞に書いてありましたが、こういうことなど、一昔前までは話題にもならなかったのです。(こういうことをやる教師などいなかったからです)
自分が受けもつ、新一年生の入学式に出席するのが当たり前のことだからです。公より私を優先するなど考えられないことであったからです。(これも、自由平等、個人の自由の弊害です)
このようなことを考えましても、多くの人の心は、進歩どころか退歩しているのです。それこそ昭和の時代より、平成の時代の方が劣っているのです。言い訳ばかりして、責任逃ればかりしているからです。
そのような人が増えたから、そのような心ではいけないということで、今のような不幸な現象が続出し出したのです。あまりに多くの人の心が退歩しているからです。
何度もいいますが、責任転嫁ばかりしていても、自分の心は進歩しません。そうして、物事を小さく小さく考えてしまっても、心は退歩していきます。
そのような小さな心が、今のような恐ろしい現象が現れている、その本当の原因である、ということに早く気づくことです。
今日は昭和の日です。「国民の罪は我が罪である」と思われ、自分の命と引き換えに日本国民を守ろうとされた、昭和天皇の大きなお心を思い出し、自分自身を問うてみてはいかがでしょうか。
そのような自分の罪を自分の罪と認め、勇気を持って反省できる人こそ、真の勇者であるのです。
そういう人しか、これからの時代救われません。それだけ正法の世とは、厳しい時代であるからです。



人目の訪問者です。

私が今朝気になった新聞の記事は、学校の先生が通勤時に自家用車で事故を起こしてたその原因(言い訳)は「配置転換で勤務地が遠くなった」と言うものでした。
車の運転は距離ではなく、ハンドルを握ったら安全運転をする義務が運転手には発生します。また社会人になったら健康管理等の自己を管理する責任があるはずと思うのですが先生も学校のことで気持ちがいっぱいなのですかね。
ウナッシーさんがいわれるように、この先生が事故を起した原因は、安全運転の義務を怠ったからでしょう。学校の近い遠いはまったく関係ありません。
そんな距離の遠近で、事故が起きるの起きないの言い出したら、普通の会社での社員の配置転換も出来ません。言い訳もここに極めり、といったところでしょうか。(笑)
こういう事故を起した先生の言い訳にも、最近の世相が出ています。
どれだけ言い訳しても、何が真実かは分かります。
この法を知り、どれだけやらない言い訳を並べようが、それは所詮ごまかしでしかないのです。
しかし、法を無視し、忙しかっただの何だの後で言い訳しようが、神はそれを認めることありません。
先ほどの事故を起した先生も、どれだけくだらない言い訳をしようと、事故の責任は取らされるのです。
それと同様、法を知りながら無視している人は、その責任は取らされることになります。
しかし、交通事故の責任よりも、法を無視した責任の方が、はるかに重いのです。