5月 01 2014
神が定めしルール
昨日、一昨日の雨は、やはり各地に大雨をもたらしました。
和歌山県の新宮市や三重県の尾鷲市など、三百ミリ前後の大雨が降って、四月の観測史上最多。そうして私の地元、名古屋市でも、やはり四月の観測史上最多の雨が降ったようです。
和歌山県や三重県など、地形的に大雨になりやすい地域でありますが、名古屋まで月間最多の雨が降るなど、名古屋の皆さんよほど天から嫌われているようです。
しかし、名古屋はこれだけいろいろ起きていて、それに加えて大雨まで降って、踏んだりけったりなどという話しではすでになく、踏んだりけったり、どつかれたりぶん投げられたり、くらいのレベルでしょうか?
などという話はどうでもいいんですが、名古屋はこれだけ悪いことが続いているのです。(はっきりいってもう書ききれません)名古屋の皆さん、いい加減、反省されてはどうでしょうか。
神やあの世の存在、人の永遠の生命など(この世に出てきても)ちょっとやそっとで分からないことを教えてもらい(まずそんなこといわれても、この世では信じませんから。それを大勢の人々が理解できたなど、それだけでも奇跡です)数々の奇跡まで目の前に現れているのです。(現れっぱなしですけどね、悪い方の奇跡が)
感謝こそすれ、怒ったり嫌がらせしたりするなど、信じられないくらいの罰当たりな行為なのではないですか。それでもまだ、そんな罰当たりな行為を続けますか?(もう罰が当たりっぱなしなんですけど)
私に感謝の行為をされてはどうでしょう。そうすれば、よい方の奇跡が一変に起こり始めます。その逆のことをしているんですから、悪い現象が起きるのは当たり前でしょう。(いろいろ教えてもらったら、感謝の行為をするのが当たり前のことだからです)
どれだけ自分たちに非はない、と言い張ろうと、これだけそうではないという(悪い)現象が出続けているのです。(今日もすでにサイレンが何度か聞こえていますが)これだけの現象が出続けていて、自分は何も悪くない、は通らないでしょう。
今日から五月です。四月までの自分は捨て、五月から新しい自分に生まれ変わられるなら(それには反省するしかありませんが)起きる現象も変わってきます。
月の替わり目が、気持ちの変わり目に、ぜひなっていただきたいものです。
私は一年のうちでこの五月が一番好きです。
体温から十二度ほど引いた気温が、一番快適な気温といわれます。それくらいの気温の日が、五月は多いですからね。それに梅雨前でカラッとしています。天上界の気温もこれくらいの気温だそうですから、自然が多いところにいくと、新緑も鮮やで本当に天上界にいるようです。
そのような気持ちを持続したいものです。(この辺りの人は、地獄界の気持ちを持続している人が多いですからね)
先ほど十二という数字をいいましたが、この十二という数字は(倍数も含めて)人との関連が強いのです。(ちなみに、男女の身長の差も十二センチほど違っているのが、一番いいそうです。それくらいの差が一番しっくりくるそうです)
一年は十二ヶ月ですし、一日はこの十二の倍数の二十四時間です。人の体温は三十六度で、人の一分間の心拍数は六十回程度、脈拍数は七十二回程度、その倍の百四十四は血圧、その倍の二百八十八は赤ちゃんが母親のお腹の中にいる日数です。(四十八も、何か関連することがあったのですが忘れました)
このようにすべて十二という数字が元になっているのです。
不思議ではありませんか?
このようなところにも、神が定めたルールはあります。
すべて偶然のようで、実は、すべて必然に起されていることなのです。
よいことをすればよいことが起きる、悪いことをすれば悪いことが起きる。「善因善果 悪因悪果」これもまた神が定めたルールです。(釈尊が、そのようにいわれているのですから間違いありません)
悪いことをしているから悪いことが起きているのです。決して人のせいではありません。
悪いことをよいことに変えればよいことが起きます。
よいことが起きてほしいのなら、よい行いをすることです。



人目の訪問者です。

ようやく私の心が分かりかけてきました。
妻も子も、御近所さんも、友達もまた先輩後輩、そして
上司や役員、議員も知事も、そして 総理や陛下。
近隣諸国から全てにいたる
人達は神の子(何となくです)。
その神の子は(法が分かった訳ではないですが )法の下で
活かされている。今まで何回もブログを読み理解していたつもりでしたが、
心で理解出来ていなかったことも何となく分かりかけています。
これも先生のお陰でと思い有り難く思います。
今日は、久しぶりにゴルフを観に行って、ブログを書くのを休んだのですが、踏んだりけったりでしたね。
その件は明日書きますが、しかし、ゴルフを観に行って、早く多くの人が法を理解した方がいいと改めて思いました。
すぐには理解できなくても、理解しようとする心が大事なのであり、そのような心を忘れなければ、常に心の内より導いてくださるでしょう。
そうして法をよく知って、実践されることです。そうするれば、法の理解も段々深まっていくでしょう。