6月 29 2014
起きて当たり前の罰
前の会社がやっているのといないのとでは全然違いますね。こう考えるなら、本当に前の会社は罪をつくり続けています。(しかもずいぶん重いです)
そういうことをやってはいけない、という現象が現れ続けているのに、それに逆らい、一生懸命このブログを書く邪魔をし、ブログを書いていない時でも少しでも私に嫌がらせしようと必死です。
そういう愚かな行いをすることで、どれだけ恐ろしい現象を自分たちに現されているのか、いつまでたっても分からないのです。(悪いことはすべて私のせいですから)哀れというしかありませんね。(マッ、特別それは前の会社だけではありませんが)
この辺りの人も、これだけ神や天上界や人の道などのいろいろなことを教えられ、そうして、これだけいろいろな現象を体験されているのに「いろいろ教えてくださりありがとうございます」と謙虚に、私にいわれた人など一人もいないんですから、それはいい現象が起こるわけがありません。(誰も私に感謝していないんですから、無理といえば無理なんですが)
そういう自分たちの態度は少しも改めようとせず、悪いことが起きればそれをすべて私のせいにしています。
あまりに都合がいい話なのではないでしょうか。
だいたい、私に嫌がらせなどしなかった時は、そんな現象は現れていなかったのです。この名古屋に響くサイレンでも、バスやトラックの連中が私に嫌がらせを始めてから始まったことです。なのになぜそれが私のせいになるんでしょうか?
昨日でも、ちょっと広い道を歩いていればバスやトラックが「ブシュブシュ」やっていきました。(私はただ歩いていただけです。そのようなバスやトラックに嫌がらせなど一度もしたことがないのにです)
そのバスやトラックの運転手は私のブログを読んでいる人もいて、私のブログからいろいろ自分たちが知らなかったことを、散々教えてもらったはずなのに、それに少しも感謝しないで、人の顔を見ればそういう嫌がらせを一方的に続けているのです。
これでは罰が当たらない方がおかしいのではないでしょうか。
こういう、自分たちが行っている悪の行為を一切無視し、自分のことを棚にあげて「お前だけが悪い」と私の悪口をあちこちでいいまわり、そうして私の顔を見れば嫌がらせです。
これだけ悪い行いを実践していては、それはいいこと起きません。(当たり前です)そうして、自分たちの態度があまりにも悪いため起されている天の気づきの現象を、それさえも私のせいにして、散々私に嫌がらせをし続けているのですから、それではもっと恐ろしい現象も現れてきます。
こういう(自分たちの心と行いが悪いために起されている)起きて当たり前の現象を、なぜ自分たちが悪いから起きていると気づかないのでしょうか?
昨日もいいましたが、いろいろなことを教えられて一つも感謝しないのです。それどころか、そのいろいろ教えてくれた人に嫌がらせを一方的にしているのです。(何度もいいますが、私はそのような人たちに一度も嫌がらせをしたことがありません)
一体悪いのはどちらの方なのでしょうか。
子供でも分かりそうな簡単な問題なのですが、この辺りの人は、大人から子供までそれが分からないのです。というか正解者がいないのです。(すべての人が不正解です。だって私が悪いと皆が思っているのですから)まったく持って不思議な話です。なぜ、こんな簡単な問題に正解できないんでしょうか。
しかし、正解者が出てくるまでこの現象は続きます。多くの人が自分が悪いと気づいて、態度を改めてもらうしか、この名古屋で起きている恐ろしい現象を止める手立てはないからです。(だって私は悪くないんですから、私がいくら皆さんに謝ってもこの現象は止まりません。逆に皆さんが私に謝るなら、この現象は止まりますが)
反省されてはいかがでしょうか。
昨日も、普段歩かないところを歩いたのですが、私のことを知らない人はいないようでした。公園の横を通ると、そこで遊んでいる子供などが一斉に私の方を見ます。(すずめが騒ぐのですぐに分かるのでしょう。普段歩かないところを歩くとよけい見られますね)
このように考えますと、一体名古屋でどれくらいの人が私を知っているのか分かりませんが、少なくとも半分くらいの人は、私のことを知っているのでないかと想像できます。
名古屋の人口の半分といえば、約百万の人が私のことを知っているということになります。ということは、すでにその百万の人たちは、考えが唯物無神論から唯心有神論に変わっているということになり、その人たちの心はかなり救われたということになります。
このブログを書いて、人に嫌がらせをされるだけで百万の人の心を救えるのなら、それはそれで良しとしなければいけないのかもしれませんが(というか、まさに海老で鯛を釣るの典型ですね)しかし、そのように心を救われた人は、救ってくれた人に感謝の心で報恩の行為は当然しなければならないのです。
その報恩の行為をしてくだされば、より多くの人の心を救えることになります。(当然私が、その報恩の行為をしてくださったもので、より多くの人にこの教えを知らせるからです)
名古屋だけではありませんが、少しでも心を救われたと思われる人が、少しの報恩の行為をしてくださるだけで、より多くの人の心を救えることになるのです。
では、それをしようとしない人の罪もまた、どれだけ大きいかお分かりいただけるのではないでしょうか。
今日、このブログを書いている最中だけでも、今度は前のマンションの連中が、例の網戸をバシバシ開け閉めして、ブログを書くのを邪魔しています。しかし、そういうことをしているマンションの人たちも、皆このブログのことを知っていて、このブログによって心が救われた人たちばかりなのです。(それはそうです。このマンションの人で、まだ唯物無神論を信じている人など一人もいないでしょうから)
自分の心が救われているのに、それに感謝しないばかりか、そのブログを書くことに少しの協力もせず邪魔しているのですから、そのような人たちによいことが起きてくるわけがないのではないでしょうか。(常に自分のことしか考えていないんでしょうか?なんと小さな考えでしょう。結局そのような小さな考えが自分自身を不幸にしているのです)
そうして起きてくる悪いことをすべて私のせいにしていますが、自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きるのです。
悪いことをすべて人のせいにしている、その間違いに気がつき、そうして行いを変えてくださるだけで、より多くの人の心を救うことが出来ます。
自分たちのことばかりいっているのではなく、少しはそのような人のことも考えてはいかがですか?
そのような行為こそ菩薩行であり、自分をも救うことになるからです。



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