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7月 11 2014

祈って起きる現象の仕組み

11:07 AM ブログ

今回の台風はずいぶん広範囲に被害を及ぼしたようです。(今日もまだ東北や北海道など雨が心配ですが)

沖縄はもちろんですが、九州、四国、東海、信越、東北に至るまで、風もそうですが、特に雨が災いしたようです。

まだ七月です。この時期にもう台風の被害です。では、これから台風の季節(八月末~十月)になったらどうなるのでしょうか。

来週は、また台風が出来るのではないかといわれていますが、このままでは同じような台風がまたきかねませんね。こういうことが起きているのに、皆さんが少しも心を変えようとしないからです。

心を変えようとしなければ、また同じ現象が現れます。いつになったらそれが分かるんでしょうか。

何が起きても一切心を変えようとしない、それがどれだけいけないことか、身近なところで例をとって書いてみましょう。

例えば前の会社の連中など、相も変わらず一生懸命私に嫌がらせをしています。(仕事をもう少し一生懸命やればいいのに、と思うんですが〔苦笑〕)なぜ、そんなことを毎日執念のように続けているのか?

それだけこの会社に何か起きているからでしょう。それを皆私のせいにしているのです。お前が祈るからいけないとです。

しかし、この人たちは何も分かっていないのです。祈って何か起きる現象の仕組みがです。

仮に私が祈って、この会社の人たちに癌が続出しているとします。

それで私が加害者で自分たちは被害者であると、この人たちは思い込み、私を親の仇のように思って執念で嫌がらせを続けているんでしょうが、そもそもそれが間違いなのです。

何が間違っているのか?それは自分たちが被害者だと思っている、その思いが間違いであるということです。

例えば、私がこの連中に何かの薬品をまいたり、おかしな薬を飲ましたりして、それで癌になる人が続出した、というのであれば、これは私が加害者でこの会社の人たちは被害者です。

しかし、祈りでこのような現象が現れた場合は違うのです。そのような現象が現れた人が加害者であり、その人が反省しないといけないのです。

それが天の祈りの仕組みだからです。憎しみでどれだけ人を祈ろうと、そんな祈りはきかれないからです。(憎しみをこめて祈っても、きかれるのはきかれますが、その場合は自分も同じ病になります)

何度もいいますが、私は私におかしなことをしてこない人を祈りません。この会社の人たちのように、人に平気で嫌がらせをしてくるような人には、それではいけないと思うから「どうぞこの人を正しくお導きください」と祈りますが、その人を不幸にするような祈りは絶対しません。(そんな祈りをすれば自分が不幸になることを知っているからです)

「正しくお導きください」と天に祈るだけなのですから、そういう祈りをされて癌になる方がおかしいのです。普通であればそんな祈りで癌になるはずがないからです。

では何で癌になる人がいるのか、ということですが、もしそういう祈りで癌になった人がいるのであれば、その人は結局何年か先には癌になったのです。それが私の祈りで癌になるのが多少早まったということです。

その早まったのがいけないと思うかもしれませんが、そうではありません。その人にとっては早まった方がよかったのです。

それはなぜか、ということですが、それはそのタイミングで癌になることが、その人にとって一番自分を反省できる、一番いい時期であったからです。

だから、その時に癌が現れたのです。それがもう何年も後にその人が癌になっても、何で自分がそうなったのかよく分かりません。「年だからしょうがない」で終わらせてしまいます。それでは自分の悪いところをしっかり反省できないということで、私に嫌がらせをしている最中に癌が現れたのです。それが自分の悪いところが分かる、自分が反省が出来る一番のタイミングだったからです。

だから、いっているのです。私の祈りは肉体ではなく心を救うのである、と。

そのような病気になり、反省が出来るか出来ないかは、その人のその後の人生(この世だけでなくあの世も含めた)にとって非常に大きなことであり、そこで反省出来るか出来ないかで自身の心の成長が大きく変わってくるのです。

もちろん反省出来れば心は成長しますし、出来なければしません。お前のせいでこうなったと恨んで死んでいけば深い地獄に堕ちなければいけませんが、しかし、それでもそのような形で病気になり死ぬのであれば、何がしかの気づきはあります。

どちらにしても、ただ癌になって死ぬよりは、私が祈りそのような現象が現れる方が、よほどいろいろな考えが浮かんできて、反省のチャンスは増えるのです。

癌になっていいとはいいませんが、ただ自分たちが被害者と思っているのではなく、まず自分たちがやっていることをよく考えることです。

この人たちは今日もそうですが、私に嫌がらせをすることに必死です。(仕事することより大事なのではないか、とさえ思えるほどです)物を叩きつけたり、ガンガン叩いたり、とにかく音を出して嫌がらせを私にし続けているのです。

そんなでかい音を立てれば、私だけでなく周りの家の人たちにも迷惑です。しかし、そんなこと一切関係ないのです。

そればかりか、この会社の人たちは、そのようなやたらでかい音を立てた(叩きつけたり、ガンガン叩いたり)品物を、平気でお客さんに売りつけているのです。そんなことをした品物など、どこかに傷がついたり、曲がったりしているものもあるでしょう。しかし、そんなことおかまいなしにそれを売り先に売っているのです。

このようなやり方を見ていると、いかにこの会社の人たちは愛がないか分かります。

いってはいけませんが、この人たちは元々このような心の人の集まりなのであり、それでこのような愛のない行為が平気で出来るのです。(愛があるなら、私にはともかく、周りの人に悪いとか、お客さんに悪いとか思うでしょうし、品物だってもっと大切にするはずです)

こうなったのもお前のせい、とこの人たちはいうのでしょうが、それはもちろん責任転嫁以外の何ものでもないでしょう。私のせいでそうなったのだから、周りの家の人たちに迷惑をかけてもいいのでしょうか?お客さんに傷がついた物を売ってもいいのでしょうか?

それとこれとは話が別であり、私のせいでそうなったというのであれば、私だけに嫌がらせをすればいいのであって、周りの家やお客さんにまで迷惑をかけることはないでしょう。まして物に当たるなど言語道断です。(その品物のお陰で自分たちは飯を食べていけるのです。物は何もいわないからと、あまりに感謝のない態度です)

それは分別がない行為なのであり、愛がないことに変わりないのです。

だから私は、この人たちは元々愛がなかった、といっているのです。

そういう人たちが集まっているから、おかしな現象が次々に現れるのであって、今この会社で起きていることは、私が祈ったから起きたことではなく、私が祈らなくてもいずれこの会社の人たちには現れてきたであろうことなのであり、それだけこの会社の人たちは愛がない人たちであったということです。

そこを反省してもらうため、私の祈りにより、そのような現象が次々に現れているのでしょう。だからこの人たちは、私を恨むのではなく、自分たちの愛のなさを反省しないといけないのです。

もちろんこれは例え話です。(それはそうでしょう。だって私は、前の会社の人に癌が続出しているかどうかなど分からないんですから)

ただ、自分のことを棚に上げ、責任転嫁をしている人があまりに多いと思ったものですから、少し分かりやすく書いたまでです。(本当に起きていることと、起きているかどうか分からないことを混ぜてです)

まだ七月なのに台風が来て、その台風が全国に多大な被害をもたらしました。

このような現象が現れるのは、やはり日本の人々の心が悪いからです。一体どこが悪いのか、いい加減自分で気づかなければいけないのです。

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