7月 13 2014
心の汚れ
この前の話です。道を歩いていると、前から小学校三~四年生くらいの男の子が一人で歩いてきました。
こちらも歩いていると私の顔を見た瞬間、その小学生の顔つきが変わました。そうして持っていた傘を地面にカチカチ叩きつけながら、私の横を通り過ぎたのです。
特別その小学生だけではなく、私の顔を見ると似たような嫌がらせをする人も多いんですが、それでその小学生に「おいおい、神からあの世から人の生まれ変わりから、学校では教えてくれないことを教えてくれた者に、そういう態度しか取れないのか」と私がいうと、その小学生は「ビクッ」として急に態度を変え、私に頭を何度も下げながら帰っていきました。
「ほーう、なかなか素直じゃないか。そういう態度を取ればいいんだよ、そういう態度を取る奴が増えれば奇跡も起きるのに」といって私も歩いていきましたが、珍しいですね、あんな態度を取る小学生もです。
少しは私の辻説法がきいているのかもしれません。(笑)
しかし、学生など(自分たちが先に嫌がらせをしているにもかかわらずです)だいたいは私が何かいっても無視するか、よく聞こえないふりをして「何ですか~」くらいしかいいません。
そういう小、中学生がほとんどなのですが、この前は高校生にそのような態度を取られました。
その高校生とは一人は茶髪、もう一人は頭にパーマをかけた不良っぽい高校生です。(もう一人いたんですが、それは女子高生でした)
その三人が私とすれ違う時に、パーマを書けた高校生が急に足を引きずりはじめ「ザッザッ」と音を立てながらすれ違いました。「またか」と思い「お前ら知らんこと教えられてなんだその態度は」とブツブツいいながら私が歩いていくと、そのパーマをかけた高校生が「何ですか」とか「何かいいました」とかいって、ニヤニヤしながら私に話かけてきました。
私が振り返ると、三人とも私の方を振り返りながら、ニヤニヤ笑って歩いていきます。明らかにバカにしている態度でした。(こういうこともよくされます。小学生にもです。しかも低学年にまでです。凄い態度でしょう。この辺りの学生は平気で大人をバカにします…マァ、私だけにでしょうが)
小、中学生を、あまりしつこく相手にしては変質者と間違われてもいけないのでできませんが、相手は高校生です。しかも明らかに不良と思われる格好もしているんですから、こういう連中ならしつこく相手にしても、回りから変な奴とは思われないでしょう。
それにこのような連中、どうせ親も回りも泣かしているんだろうと思い、ちょっと意見してやろうとも思って、私はきびすを返して「何だお前ら俺のこと知ってるのか」といいながら、歩いて行く不良高校生の後を追いました。
そうしたら、この連中も逃げるように急に足を速め私から遠ざかっていきます。
「エッ」と思いました。こういう格好をしている連中です。私はてっきり「おいおいおっさん何か文句があるのか」とか「けんか売ってんのか」とかいって立ち止まって、私と立ち話くらいしてくれるとばかり思っていたんですが(笑)このような連中まで逃げ出すのです。
「何だ、どいつも一緒だな」と思って、その高校生たちの後を追いながら「お前ら、神からあの世から生まれ変わりから教えてくれた者に感謝くらい出来ないのか」とか「心を救ってくれた者に嫌がらせか」とか「お前ら、その自分の性格棚に上げて人にどうこういうな」とか散々いったんですが、大分先を行っていた高校生は「うるせえ」とか「バカ野郎」とかいってるだけでした。
とても話をしてくれそうもなかったので、途中で諦めましたが、この高校生だけではありませんが、なんで皆私とまともに話そうとしないんでしょうか?そのくせ相手にだけはなってきます。
やってる意味が分かりませんが、どの人も私のことを知っているのは事実のようです。
バカにする学生はいますが、では私のいうことを信じていないのかといえば、そうではないようで要はこのようなこと(サイレン)が起きているので、それを私一人のせいにして「お前がいるからこういうことになる」と嫌がらせをしているのでしょう。
しかし、先ほどもいいましたが、では、そのようにいう人がそれほど善人なのでしょうか?
そんなにいい人が人に嫌がらせをするのでしょうか?そんなにいい人が人をバカにするのでしょうか?そんなにいい人が人の悪口をいうのでしょうか?
このようなことを、悪いことを私一人のせいにしている人たちは皆平気でやっているのです。
「それはお前が悪いことをしているからだ」という人もいるのでしょうが、相手が悪いことをしているからと、それでこちらも悪いことで返すことが善人のすることでしょうか?
では、釈尊やキリストはそんなことをされたでしょうか?相手に悪いことをされたからと、釈尊やキリストも悪いことで返されたでしょうか?決してそんなことはないはずです。
釈尊やキリストは相手が悪いことをしたからと、同じように悪いことで返されるということはありませんでした。釈尊やキリストは相手に悪いことをされたら「そういうことはしてはいけない」としっかりいわれ、そのような悪の行為を善の行為で、愛の行為で返されたのです。
だから、釈尊やキリストは偉大な人といわれ奇跡まで起きたのです。
そのような偉大な人にまでならなくても、自分が本当の善人なら奇跡が回りに起きてきます。それが災いしか起きないということであるなら、それは自分はまだ善人ではないのでしょう。
どこか自分に悪いところがあるから災いが起きるのであり、決してその災いは人のせいで起きているわけではありません。
人に嫌がらせが出来る、そのような人の心は汚れていないのでしょうか?人をバカに出来る、そのような人の心は汚れてはいないのでしょうか?人の悪口をいっている、そのような人の心は汚れていないのでしょうか?
そのようなことをしている人の心は汚れています。その心の汚れは悪いことなのです。
多くの人が思っている“悪いこと”の基準が実は違っているのであり、犯罪を犯さなければいい、ではなく“自分の心を汚している”のも実は悪いことなのです。
心の汚れも悪、ということを多くの人は理解しないから、自分は悪いことを何もしていないのに悪いことが起きる、だからそれはお前のせい、という理論が成り立つのであって、自分の心が汚れているのも悪である、と理解するのであれば、回りに悪いことが起きてきても、それは自分のせいと理解できるわけです。
人に嫌がらせをすることも悪なら、人の悪口ばかりいうのも悪なのです。(十分自分の心を汚します)
こういうことを知り、それでも自分は悪いことをしていない、と胸を張っていえる人がいるのでしょうか?(もちろんそれ以外のことでも悪いことは一杯あります。ただ犯罪を犯さなければ善という思いは間違いなのです)
本当の善人には災いは起きません。奇跡が起きてくるのです。このブログを読んでる皆さんはそれほど頻繁に奇跡が起きているのでしょうか。
もし、自分には奇跡らしい奇跡が起きていない、というのであれば、その人はまだ善人ではないのです。
まだまだ反省すべきところがある、学ぶべきところがある、未完成な人間であるということです。
そのような謙虚な心になってこそ自分の成長があるのです。あまりに傲慢な人が多いのではないでしょうか。(もちろん傲慢も悪です。そういう人が名古屋は多いのではないですか?今日は今日でマンションの連中が〔嫌がらせのように〕網戸をバシバシやっていますが、そのような行為も悪なのです。だからサイレンが止まらないのです。それを人〔私〕のせいにしています。それもまた悪なのです。知らず知らずのうちに多くの人が多くの悪を犯しているのです)



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