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7月 18 2014

心を救う大事さ

10:43 AM ブログ

昨日の名古屋はずいぶん暑かったんですが、途中、凄いカミナリになりました。

夕方四時頃だったでしょうか、私が歩いていると黒い雲がもくもくとわいてきて空がゴロゴロなり始めました。

「これはヤバイな」と思いながら歩いていたんですが、雨が降ってきそうでなかなか降ってきませんでした。そうして私が白鳥公園の近くまで来て、横の堀川にかかっている橋の近くまで来た時「ここまで来たらもう大丈夫だ。雨が降り出してもあの橋の下に入れば濡れることはない」とフッと思ったのですが、そう思った刹那のことです。

「ゴロゴロ、ガガーン」と大きなカミナリが近くに落ちて(かなり驚きました)大粒の雨が凄い勢いで降り出したのです。これもまたあまりといえばあまりのタイミングでした。

私は大急ぎで橋の下まで走ったのですが、予想以上の大粒で激しい雨です。橋の近くまで来ていたとはいえ、それでもずいぶん頭から体から濡れました。

「しまった、橋の下まで来た時にあのようなことを思えばよかった」と少し後悔したのですが、すでに後の祭りでした。(笑)

「もう大丈夫」そう思ったとたんに激しい雨が降り出したのです。家に帰ったとたんに激しい雨が降り出したこともあれば、ずっと降っていた雨が「やめ」といってしばらくしたらピタリとやんでしまったこともあります。

本当に不思議なことがよく起こります。(笑)

それはともかく、私はその橋の下で雨がやむのを待っていたのですが、二~三十分くらいだったでしょうか、激しい雨とカミナリが続いていました。二、三の人が同じようにそこで雨宿りをしていたのですが、三十分を過ぎた頃でしょうか、段々雨もやみ始めて雲も切れ出しました。

それで雨も大分小降りになってきたものですから、雨宿りしていた人たちはみな行ってしまったのですが、私は雨がやんだら行こうと思って、もうしばらくその橋の下で雨宿りしていたのです。

すると一台のパトカーが走ってきて、私が雨宿りしている橋の下に止まりました。おまわりさん二人が慌ててパトカーから降りてきて、一人のおまわりさんが浮き輪を持っていました。

「ン?」何か起きたのか、と私が思い二人のおまわりさんを見ていると、一人の人が橋の上から降りてきて「川に流されている人はあそこにいる」とか何とかおまわりさんに話しているようでした。

どうやら横の堀川に流された人がいるようです。

さすがに私もそれを聞いて驚き「ウソッ」と思って(おまわりさんたちが救助作業をしている)反対側から川をのぞいてみると、一人の人が川に腰までつかり(どうも堀川の端は段になっていて浅いようでした)救助を持っているようでした。(私は死体でも流れて来たんじゃないかとビビリましたが)

そうこうしているうちに、あちこちからサイレンがしてきて、パトカーや消防車など十数台が集まってきたのです。(警察官やら消防士やらで二~三十人の人がいたんじゃないでしょうか)

「一人の人を救うだけで、これだけ集まるの」とさすがに私も驚いたんですが、どこかの国の救助隊とは全然違うなと改めて思いました。

昨日の私は、その橋の下で雨宿りをしていたばかりに、衝撃の現場に出くわすことになったのですが、一人の人を救うだけでもこれだけ大騒ぎになるのです。

では、何千、何万という人を救うには一体どれくらいの人数が必要になるんでしょうか?

私は一人で何万、何十万という人を救っています。(ただし肉体ではなく心を救っているのですが)

私の話を聞き(またはブログを読み)心が救われた人は多いと思います。

その多くの人々の心を救っている(現在進行形です)私のいうことを無視し、嫌がらせまでしている人がいるのです。(今日も前の会社の連中、何とかこのブログを書かせないようにしよう、嫌がらせしようと必死です。執念のようなものを感じますが、そういうことをしていて平気でこのブログを読んでいるのです。やってること支離滅裂です)

それでよいことが起きるでしょうか?

それで天罰を食らっているのに、その天罰まで多くの人は私のせいにしているのです。

あまりに都合がいい話なのではないでしょうか。人の本質は心にあります。肉体をどれだけ救っても、その心が救われないなら、その人は本当に救われたことにはならないのです。

神があり、あの世があり、人は生まれ変わる、そのような事実を知って、多くの人の心はずいぶん軽くなったのではないでしょうか。

その「自分の心が軽くなった」という事実、これに勝る救いがあるのでしょうか。

肉体を救うことはたしかに大事なことでしょう。しかし、それ以上に大事なことが心を救うことなのです。

あまりに多くの人が「人の心を救う」そのような行為を、軽く見すぎているのではないでしょうか。

追伸…今度は青森の市議の十五人が逮捕されたそうですが(票の取りまとめの報酬としての現金の授受)最近は続々と議員の問題が現れてきます。

このようなことを見ていると、やはり時代が変わった、と改めて思います。

これまでは許されてきたこと(おかしなヤジや票欲しさの賄賂など)がもう許されなくなってきたのです。

末法の世から正法の世に変わったからです。

末法の世なら、少々の悪いことも許されたのですが、正法の世になるとそれが許されなくなります。(今回のように、その悪が表に現れてきて裁かれることになる、ということです)

「これくらいのことはいいだろう」「こんなこと昔から皆やっている」という悪が通用しなくなり、正しいことをしているか、していないか、それのみで判断されるようになるのです。(それが当たり前のことなんですが)

現在日本中で起きている異常現象も、名古屋で起きている異常現象も同じでしょう。これまでは許されてきたことが、もう許されなくなり、その悪が現象化しているということです。

そのような時代となっているのに、いつまでたっても同じことを繰り返していては、もうよいことも起きてこないでしょう。(悪いことばかり起きている、そんな会社が現にあります)

すでに時代は変わっています。早くそれを自覚することです。

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