7月 20 2014
愛がなくて起きる不幸
本当に不幸ばかり起きている会社があるようですが、なぜ、この会社は不幸ばかり起きるのでしょうか?ちょっと具体的に書いてみましょう。
この会社の人たちは人の邪魔ばかりしているのです。(小さなことを気にしてです)
そうして、その邪魔ばかりしている人に、散々知らないことを教えてもらっているにもかかわらず、感謝一つしないのです。そうして、その人の邪魔ができるなら、回りに迷惑をかけようが、お客さんに迷惑をかけようがお構いなしです。そこらのものを床に叩きつけたり、ガンガン叩いたりして、でかい音を立て続けているのです。
この人たちは、そういうことをしていても少しも悪いと思っていません。
この会社の人たちは、いろいろ教えてくれた人に少しも感謝しないばかりか、そのようなでかい音を立てて周りに迷惑をかけ続けているのに、それを悪いとも思わない、そんな床に叩きつけた物を品物として売っているんですから、自分のところの品物を大事にしているわけでもなく、お客さんに叩きつけた物を売って申し訳ないとも思わない、本当に愛のない人たちである、ということです。
こういう人たちに天罰がくだらないと思いますか?
逆に天罰がくだらなかったらおかしいでしょう。不幸なことが起きていると、起きた現象ばかりに目をやり、それで起きた人はかわいそうで、何も起きていない私に全責任を押し付け「それはあいつのせい」ということを皆いうのでしょうが、その前に、そのような天罰が起きている人の言動を、しっかり知らないといけないのではないでしょうか。
天罰がくだるには、くだるだけの理由が必ずあるからです。
この会社のような愛がないところに不幸は起きるからです。
岡山の小学生がいなくなったということで、ずいぶんニュースになっていました。その小学生が無事に保護されたということで、それはよかったのですが、このような事件も、実は家族の(特に母親の)愛が深ければ防ぐことが出来たのです。
愛が足りなかったため、このような事件は起きたからです。
この家族は愛があったではないか、子供を心配して母親はその子を学校まで迎えに行っていたし、GPS機能がついた携帯も持たせていた。今回誘拐されたのは、たまたま母親が学校に迎えに行けない時に起きただけではないか、それが何で愛が足りないのか、といわれる人もあると思いますが、たしかにそうでしょう。
この家族は子供に対する愛がありました。だから今回無事ですんだのです。
しかし、この家族に愛がもっと深ければ、このような事件になることもなく、この事件は未然に防がれたということです。
その家族の愛が深ければ深いほど、その家の子供は守られるからです。(天からです)
この家族の愛が深ければ、この誘拐された子は、誘拐される前に誰かにその誘拐を止めてもらえたでしょうし(中学生を誘拐しようとして、通りがかりの人に助けられたという事件がこの前ありましたが、あのようにです)もっと愛が深ければ、このような事件に遭遇することもなかったでしょう。(天が、危ない事故や事件に遭わないよう導いてくれるからです)
しかし、助けられたとはいえ、このような事件になり警察は元より、多くの人に迷惑と心配をかけたということは、やはり家族に愛が足りなかったからであり、だからこのような事件にまで発展したのです。それをこの子の家族はよく反省しないといけないのです。(こういうことが起きれば、その家族はそのような心になりますよね。「皆さんにご心配をおかけして…」という風にです。ただ、その原因を子供になすりつけ「知らない人について行ったらだめでしょう」で終わらせてはいけないのです。子供に対する、親たちの愛が足りなかったからこういうことが起きた、とその原因をはっきり理解して反省しないといけないのです)
一体あの人たちのどのような愛が足りなかったのか、どこにでもいる家族と変わらないではないか、といわれる人もいるでしょう。
私も、あの家族のことをよく知りませんので、細かいことまではいえませんが、ただいえることは、愛が足りている家族にこのようなことは絶対に起きない、ということです。
昨日、ウナッシーさんからのコメントにもありましたが、最近はかかあ天下の方がいいという風潮がありますが、しかし、残念ではありますが、かかあ天下ではその家族に妻の愛、母の愛があるといえないのです。
かかあ天下は法ではないからです。(法ではないことをやっていては愛は出てきません)
母が父にギャーギャーいっていてはいけませんし、妻が夫にあれこれ指図してももちろんいけません。順序が違うからです。(夫がしっかりしないから、という人もいるでしょうが、それは妻が夫がしっかりするよう育てないといけないのです。それも妻としての役割だからです。主婦の家事育児とは(子供だけでなく夫も含めた)そのようなこと全般をいうのです。だから私は、家庭の主婦の仕事も男が外でしている仕事と同じくらいの価値がある、と何度もいっているのです。こういことを片手間でやれるものでしょうか?)
それはもちろん子供にもいえることであり、口でギャーギャーいったところで子供は反発しますし、では、何もいわなければいいのかといえば、これもそうではありません。
親とは、木の上に立って子供を見る、と書くのですから、その読んで字のごとく、少し高い位置から子供よく見て、必要なことだけアドバイスしてやればいいのであって、必要以上にかまってもいけないし、かまわなくてもいけない、この親としての子供の教育もまた“中道”でないといけないのです。
それが親としての勉強であり、最近子供が自殺するほど悩んでいるのに、それがまったく分からない親もいるというのですから、そのような家族に愛があるとはとてもいえないでしょう。(それでは子供のことを愛を持ってよく見ているとは、とてもいえないからです。それで子供が自殺して、自分たちが気づいてやれなかったのが悪いと、反省する親はまだいいのですが〔このような親の子は、自殺してもその親の愛で早く地獄から抜け出すことが出来ます〕ひどい親は、その自分たちの愛が足りなかったせいで自殺した子の責任を、他の人に押し付ける人がいます。〔どこかの市長さんそれで訴えられていますが〕こういう親は最悪です。自分たちばかりか、自殺した子も地獄で長く苦しむことになるからです)
一見すると愛がある普通の家庭に見えますが、しかし、その家庭内のことをよく知ると、案外愛のない家庭は多いのです。(妻がうるさいだけでも、また順序が違うだけでも、そこに愛は流れなくなるからです。その分その家庭は愛が少なくなります)
特に昨今は、例の男女平等、同権がいわれるようになって、これではよけい家族としての愛が出てこなくなり、こういう家庭は突然の不幸に見舞われることがよくあるのです。
この辺りでも、家族に悪いことが起こり、それを私のせいにしている人が大勢いるのですが、その家庭に愛が満ちていれば、仮に私が悪魔で、その悪魔の能力をどんなにその家族にかけようと、愛が満ちている家族に不幸が起こることはありません。(愛は何ものにも勝るからです。どんな悪よりも強いからです)
この辺りで不幸になっている人が多いのは、その不幸になっている人の心と、そうしてその家族に愛が足りないからです。
自分たちの愛が足りないのを棚に上げ、それを私のせいにしているようでは、先ほどの自分の子供が自殺したことを他の人のせいにしている親と同じで、それでは自殺した子も責任転嫁している親もどちらも救われないでしょう。
この名古屋も救われない人が多いように思います。最近はサイレンも減ってきたように思いますが(昨日はよく聞こえてきましたが)しかし、だからとはいえ神の業が減っているのかといえば、前の会社を見る限り減るどころか増えています。
しかし、どのような災いも自分たちに愛があるなら、防ぐことが出来るのです。
その愛は(人として)当たり前のことを当たり前にやれるなら現れてくるのです。
犯罪を犯すのは論外ですが、感謝するべき時に感謝する、順序は守る、責任転嫁はしない、そのような当たり前のことを当たり前にできないから、愛がなくなり不幸な現象が起きるのです。
もう少し愛が出る行いをされてはどうでしょうか?それが不幸がなくなる一番の方法だからです。
(あまりケチくさいのも愛がない証拠ですけどね)



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