7月 26 2014
信じられないくらいの貴重な体験
昨日は暑かったですね。岐阜県の多治見市で、気温が三十九度を超え名古屋も三十八度を超えました。(夜も暑くて寝苦しく完全に寝不足状態です)
特に昨日は東海地方が暑かったんですが、相変わらずの異常な暑さで極端な天気が繰り返されています。こういうことが連日起きていて、私がこのブログで「このままではいけない」と言い続けていても、それでも多くの人は私の言葉を無視し続けています。
これでは神の業は止まらないでしょう。
と、こう書いても、昨日のウナッシーさんのコメントでよく分かりますね。この辺りの人と、他地域の人とではかなり感覚が違っているということがです。
他地域の人は、私がこのように書いて、ここに書いていることが起きていても、それでもまだ〈神の業〉といわれてもあまりピンと来ないようで、このような異常現象も自然現象の延長くらいにしか考えていないのではないでしょうか。
しかし、この辺りの人は違います。私がいっていることを切実に感じている人も多いのではないでしょうか。ただ切実に感じてはいますが、それがまだ行動に結びつかない、そのような感じのようです。(怒り心頭の人も多いみたいですし)
私がこのようなことばかり書いても(例えば昨日ブログのようなことです)誰一人、私に協力しようとしないのですから、多分他地域の人は、私がここに書いている名古屋で起きていることは、嘘とまでは思いませんが、かなり大げさに書いているのではないかと思っている人も多いでしょう。
もし、このブログに書いているようなことが、実際に名古屋で起きているなら、名古屋の人が私に協力しないのはおかしいだろうと考えるからです。
でしょうね、私だってそう考えます。この辺りの人、なぜ誰も反省しようとしないのか私が聞きたいくらいです。
しかし、ここに書いていることは、嘘でもなければ大げさでもありません。起きていることをそのまま書いているのです。それはこの辺りの人たちが一番知っているはずです。
なぜ、この辺りの人が反省しようとしないのか、それは私にも分かりませんが(多分私の評判があまりに悪いのと、もう災いばかり起きているので意地になって〔この災いは私のせいだと皆さん思っていますので〕あんな悪い奴に頭を下げるなら、死んだ方がマシとでも思っているのでしょう)この辺りで起きていることが明らかになれば、日本中どころか世界中がこの法に注目することになると思っています。
それほどのことが現在の名古屋には起きていると思います。(この毎日聞こえる救急車のサイレンだけでも十分異常ですから)
今は他地域の人に信用されなくても、それでも昨日のようなブログは書き続けないといけないのです。そうしなければ、この辺りの人を救うことはできないからです。
なぜ私が「早く反省してください」とか「私に布施して感謝の心を現す以外、この異常現象から逃れる術はありません」などということ繰り返し書いているのか、いずれ他地域の人も実感として分かる時が来ます。
その時に衝撃の事実が明らかになるでしょう。
そう考えると、他地域の人と名古屋の人では、すでにかなり感覚が違ってきているのは確かなようです。(これほどのこと他の地域で起きていないんですから、感覚が変わるのが当たり前といえば当たり前なんですが)
昨日でもそうでした。私が金山に行くと皆凄い顔で見てきます。(ギョとする人やムッとする人が多いのですが〔苦笑〕)そうして間の悪いことに、私が金山駅周辺を歩いていたちょうどその時、どこからか「ピィポーピィポー」というサイレンが響いてきて、横の道路を救急車が走って行ったのです。
当然ではありますが、周りにいたほとんどの人が、それは私のせいだと思っています。
私の前を横切ったオッサンが、凄い顔で私を見てきました。それで「俺のせいじゃないだろう」とそのオッサンにいったのですが、そのオッサンは凄い顔で私をにらみ「お前のせいだ」と口を動かしました。
確かに、そのオッサンはそのように口を動かしたのですが、声は出ていませんでした。私は「アレッ」とこけそうになりました。その人は口だけ動かして声を出さなかったからです。
あの場面でそのような声を出したら、もちろん私も言い返してその場で口げんかが始まったでしょうが、まずそんなことしないでしょうね。私に口をきいてくる人はいないからです。やることといったら、音を立てるか咳でもする嫌がらせくらいだからです。(子供がバカにして「何ですか~」などといってくることはありますが、それでも私が言い返すと逃げて行ってしまいます。この辺りで私とまともに話す人いません)
どちらにしても、他地域の人にはピンと来ないでしょう。私に起きていることもピンと来なければ(普通、多くの人が一人の者に、よってたかって嫌がらせするなど考えられませんもんね)この名古屋に起きていることもピンと来ないでしょう。(救急車のサイレンが毎日聞こえたり、癌になる人が続出している会社があるなど、どう考えても信じられないでしょう)
しかし、私の周りでは、そのような他地域では起きていないことが(もしかしたら世界中のどこを探しても起きていないことが)次々に起きているのです。
これは事実ですので、いずれは日本中の人々に、そうして世界中の人々に知られることになります。
神の教えが現れる時、その教えに逆らい続けるとこのよう異常現象が次々に起きる、そのような事実を名古屋の人々は自ら体験しているのです。
しかし、そのような体験は大変貴重なものであり、その証拠に、名古屋の人々と、他の地域の人々とでは、神や神の業(奇跡)への感覚が全く違っているということを知るべきなのです。
それはもちろん名古屋の人々の方が、他地域の人々よりも、神にも神の業にも断然近い感覚をすでに得ているということであり、このような感覚を持てるようになるだけでも、普通は、何十回も何百回も(人によっては)何千回もの輪廻転生を繰り返さないと理解できない感覚であるのです。
このような感覚を自ら得るということは、それはグッと神の心に近づいたということであり、心の世界(あの世)から観るなら、これほどの心の成長はないのです。
名古屋の多くの人々は、この世にいるので、そのありがたみが分からないだけです。(この名古屋のすべての人が死んだら私に死ぬほど感謝します。〔?〕)
この世に生まれてきた目的は、すべての人が同じです。心を磨くためであり、心の成長それのみなのです。そのように考えるなら、名古屋の人々は、このような感覚に心にこれまでなったことがあるのでしょうか?
今自分たちが経験していることは、これまで誰も経験したことがなく、今のような思い(神やあの世、人の輪廻転生を信じる)になることもありませんでした。
そのこれまで誰もならなかった感覚、考えに現在の名古屋の多く人々はなっているのです。
これほど多くの人の考えや感覚が変わるような、貴重な体験をしている、このような経験に感謝こそすれ、怒りをもつなど考えられないくらい間違っているのです。
もっと心を広げるのであれば、私のいうことが分かります。
多くの人が私に感謝こそすれ怒りを持つなど本当に愚かなことなのです。



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