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9月 14 2014

愛がある人と愛のない人

11:01 AM ブログ

結局、もう恰好だけでは通用しない時代となったということです。

人前でいくらいい恰好をしても、それで自分たちに悪いことが起きているようでは、その人は善人ではないということです。

自分が善人か悪人か、それがすぐに分かる時代となったのです。

昨日もこのようなことがありました。

私がある高校の近くを歩いていると、女子高生三人と出くわしたのです。(多分その高校の生徒でしょう)

私の前を、その三人の女子高生たちは歩いていましたが、たまに振り返りながらこちらをチラチラ見ています。

「私のことを知っているな」と思いながら、その女子高生たちの少し後を私は歩いていましたが、急にその三人の中の真ん中の女子高生が、空のペットボトルを取り出して自分の足をバシバシ叩き出したのです。

しかし寄りにも寄って、その真ん中の女子高生は、体重が百キロはあろうかと思われるほどの超巨漢です。その叩く音のでかいことでかいこと。(どんな女子高生やねん。〔笑〕ちょっとオーバーですが、百キロくらいあるのではないかと思えるくらい超おデブな子でした)

「嫌がらせしているな」とピンときた私は歩きながら辻説法を始めました。

「オイオイ、神からあの世から生まれ変わりから、何から何まで教えてもらい、散々心を救ってもらった者に嫌がらせかよ」「そういうことに少しも感謝もしなくて、一方的に嫌がらせなどしていたら、そりゃ罰も当たるわな、天罰も下るわ。そうしたらその天罰までこちらのせいだ。皆さんのお蔭で私は大悪人です」

「そういう大悪人に何で鳥が寄って来るんだ、自分らのような善人に何で鳥が寄って行かないんだ、その理由を教えてくれよ」

「鳥が教えているだろう、自分らが悪人なんだよ。だから天罰を食らうんだ」

「そういう天罰を食らっているんだから、俺にいくら嫌がらせしたところで、サイレンなんか止まるわけないだろ。自分たちに天罰が下っているんだから、自分たちが反省しないとサイレンは止まらないんだ」等々、後ろから説法をしていたんですが、たまに振り向くその女子高生たちの顔は皆怒っています。

「お前のいうことなど聞けるか」という顔で「すべてお前が悪い」という態度で、振り返るたびに私をにらんでいます。

特に、真ん中の超巨漢の女子高生がよく振り返るのですが、その真ん中の女子高生は鬼瓦のような顔をしていて(ムッとしていたからかもしれませんが、私にはそのように見えました)その顔の怖いこと怖いこと、振り返るたびにドキッとします。(おもわず「ホラー映画観てんじゃねえぞ」と思ってしまいました。〔笑〕)

最後まで、その女子高生たちが反省する様子はありませんでしたが、それでも時折、体をビクッとさせていたことは事実です。

態度は無反省な態度でも、心の中にはしっかり「自分たちが悪いのではないか?」という種はまかれたものと思われます。

私は間違ったことをいっていません。間違っているのは、私を目の敵にしている人たちの方なのです。だから私の話を聞けば、必ず自分の間違いに気づいてくれると私は思っています。

昨日でも私は、中川運河を通りましたので運河の脇まで行き「お前ら元気か」と運河に向かって呼びかけると、私が見ている目の前の運河のあちこちで、小魚がピョンピョン跳ねていました。

そうしてその後、堀川にも行きましたが、その堀川でも同じようなことが起きたのです。(堀川では初めてですね。何度呼びかけてもこれまではシーンとしていましたが、昨日初めて、あちこちで魚が泳いでいるようなさざ波が立ち、何匹かの魚影が見えました)

私が川に向かって呼びかけると、魚たちが寄ってくるのです。

こういうことが普通起きるでしょうか?鳥でも同じです。私が呼びかけると嬉しそうに飛び回り近くに寄ってくるのです。こういう奇跡が私は毎日起きているのです。

私に嫌がらせをしている人たちは、このようなことが起きる人がいるのでしょうか?多分起きている人は一人もいないでしょう。

では、そのような人たちと私の違いは何でしょう。何が違うのでしょうか?

それは心に愛があるか、ないかの違いでしょう。

心に愛があれば鳥たちはもちろん、このような魚たちまで寄ってきて私の近くを嬉しそうに泳いでいます。愛ある人の近くにいれば、自分の安全はもちろんですが、その愛で自分たちも癒されるからです。そのことを魚も鳥も知っているのです。

しかし、そのような愛のない人たちには鳥も魚も寄って行きません。愛のない人に寄って行けば自分たちが危険なのはもちろんのこと、癒されることもないからです。そのようなことも鳥や魚は知っているのです。

愛がない人たちに鳥や魚は寄って行きません。しかし、愛ある人には鳥や魚は喜んで寄って行くのです。

愛がないから人に責任を全部かぶせ平然としていられるのです。愛がないから人に平気で嫌がらせができるのです。

その愛がないから、神からも守られず災いが起きるのです。

すべてのことにおいて、自分の心に愛があるかないか(全然愛がないとは申しませんが、愛が多いか少ないか、という意味です)愛で心が満たされていれば、その愛は外にどんどん広がり、自分に関わるすべてのものを癒すのです。(それは鳥や魚だけに限らず植物、鉱物などすべてです)

現在日本に起きている様々な異常現象は、日本の人々が、あまりに愛をなくしてしまったその結果であると思います。

自分さえよければいい、自分たちさえよければいい、そのような小さな愛では、もう日本に起きる災いは止まらないのです。

鳥や魚のような力のない小動物でも喜んで寄ってくる、それくらいの広い愛の心を一人一人が持たないと、もはや救われない時代になりました。(今日このブログを書いている時だけでも、このブログを書いているパソコンの音がうるさいと「ゴホゴホ」「バシバシ」やっている人たちがいます。なんて心が狭く愛のない人たちでしょう。〔私は家の中でパソコンを打っているだけなのに〕このブログを読んで心が救われたことなど、これっぽっちも感謝していないようです。このような人たちに災いが起きるのです。そのような狭く愛のない心ではいけないからです。万物の霊長である人間として非常に遅れているからです)

もう善人のふりだけではボロが出る時代となったのです。

では、心を変えられてはどうでしょう。鳥や魚くらい寄ってこないような心をいつまでも持ち続けていては、あまりに人として恰好が悪いからです。(うわべだけの格好ではなく、人として本当の格好が悪いという意味です)

本当に格好がいい人とは愛ある人をいうのです。そのような人が増えれば、自然と日本は救われていくのです。

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