9月 25 2014
主婦業の偉大さ
台風十六号から変わった温帯低気圧の影響で、各地で大雨になりました。
名古屋も未明から、ずいぶん激しい雨が降ったようで、名古屋駅の地下鉄に雨水が流れ込んで浸水し、一部の地下鉄が運転見合わせで、いつ復旧するかめどが立たないそうです。(名古屋駅の地下鉄ですからね、また混乱しますね)
今年は、このような大雨の被害が本当に多いんですが、昨日はそのような大雨被害ばかりか、福島で震度4の地震が続けて起きて、肝を冷やしました。
法もなければ愛もない、そのような国には本当にろくなことが起きません。それをいつ気づかれるのでしょうか。
このような災いばかり日本は起きていますが、愛のないところに災いは起きます。ですから、昨日の家庭内で愛をもらっていないという話を、もう少し書いておきましょう。
ある人が自分の家に帰ってきました。すると「お帰りなさい」と出迎えたのは子供たちでした。
いつもは妻が出迎えるのに、今日は子供たちです。
そうすると、その家に帰ってきた、その子たちの父であるその人の第一声は「お母さんどこ行った?」と聞くのです。
これは子供たちも同じでしょう。学校から家に帰ってきて、母以外の人が出迎えた場合、その子たちの第一声は必ず「お母さんどこ行った?」なのです。
母親は、少し近所の用事で出ていただけかもしれないし、食事の用意をしていて足らないものが出たから、それを近所のスーパーに買いに行っていただけかもしれない。
その後、すぐに母親が帰ってきても「お母さんどこ行ってたの」と子供たちに聞かれるわ、夫は不機嫌になるわで、一々干渉され「あなたたちのためにやっているんでしょう」と、その家の主婦は怒るかもしれませんが、しかし、そういうことで怒ってはならないのです。
その前にその家の主婦は、なぜ家に帰ってきた夫や子供たちが、自分がいない時の第一声が「お母さんどこ行った?」なのか、その意味をよく知るべきなのです。
なぜ夫や子供たちが家に妻(母)がいないと、その第一声が「お母さんどこ行った?」なのか?
それは女が家にいると心が安らぐからです。
家に帰ってきて妻(母)の声が聞こえると、帰ってきた夫や子供たちは「ホッ」として、それだけで心が安らぐのです。その安らぎを求めて家族は家に帰ってくるのに、その時、妻がいないと寂しさや不安が心をよぎり、それでいなかった妻が帰ってくると(本当はうれしいのですが)夫は「お前どこに行っていたんだ」と不機嫌になるし、子供は「どこに行っていたの」と一々聞くのです。
妻(母)がいなかった寂しさ、不安をまぎらわしたいがためにです。
そのような夫や子供の心を知ろうともしないで「一々干渉されて息が詰まる」と、それで外に働きに行ってしまう主婦もいるようですが、これでは妻としても母としても失格なのであり、昨日私がいった愛がない家庭とはこのような家庭をいうのです。(こういう家庭が最近は多いのではないでしょうか)
しかし、このような毎日の何でもないことでも、実はそこに愛の心が隠れているのであり、そのような愛を毎日もらった子供と、そのような愛をもらっていない子供(たとえば両親が共働きで、かぎっ子だった子など…最近かぎっ子っていわないですか?)では、成長した時に心に愛を持っているか、いないか大きく変わってくるのです。(当然、心に愛がたくさん入っている子の方がよい人生を送れることになります)
例えば、今回最悪の結果になった神戸の誘拐事件でも、あの容疑者は毎日のように酒を飲んで酔っぱらっていたといわれます。
あれなど心に愛が入っていない典型のような症状で、心に愛がないので素面(しらふ)でいると寂しくて仕方ないのです。その寂しさを酒でまぎらわしていたのですが、その心のすきに悪魔が入り込み、そうして今回のような、小さな子供をさらって殺し切断するという悪魔の所業を平気で行ったのです。(まだ自分がしたと認めていないので、はっきり犯人とはいえませんが)
結局、主婦が(家にいるかいないか)そのような小さな愛を少しづつでも出せるか出せないか、それだけでも、人一人の成長に大きくかかわってくるものなのであり、それだけ家庭内の母が出す愛、妻が出す愛とは大事なものなのです。
簡単な例を上げましたが、主婦業とは家事育児をただやればいい、というわけではなく、そのような生活の中で、自分にしか出せないを愛を夫と子供に出し尽くす、それが本当の主婦業であり、それを戦前の女性の多くは普通に行ってきたのです。
だから、家族が十人いようと十五人いようと(戦前は大家族でしたから)今のように洗濯機やら掃除機やらない時代であっても、その大家族を一人で面倒を見ることが出来たのであるし、そのような大家族で育った子供たちも、みな立派に育ったのです。
そのような母の愛をいっぱいもらっていたからです。
現在は、その戦前に比べどれほど物質的に豊かになったでしょう。しかし、心的にはどれくらい貧困になったか分かりません。現在の母親は、たった一人の子供さえしっかり育てることが出来ないのです。その一人の子供で育児ノイローゼなる人もいるからです。
それもこれも、心に愛がなくなったため起きる不幸なのです。
先ほどのような凶悪な事件だけでなく、自分の子供に食事を与えず餓死させてしまう親もいます。パチンコに夢中になり、車の中に置き去りにした子供を熱中症で死なす親もいます。このようなことすべて、愛がないから起きることなのです。
このようなことが戦前に起きていたでしょうか?食事ができなくて餓死するということはあったかもしれませんが、子供を平気で餓死させる親や、子供をほっておいて熱中症で死なせる親などいなかったように思います。(最近ですもんね。こういう事件が起き出したのも)
戦前の主婦業こそ、本当の愛ある主婦業であったからです。だから多くの人が愛ある人に育ったのです。
それを社会、共産主義者が、戦前の女性は虐げられていたと、家に縛り付けられていたと、専業主婦がさも悪いことであったかのようにいいまわったのです。
その結果、現在のようにまともな主婦業が全くできない女性が増加し、愛ある人が減り、治安も悪化し、国力も落ちるという惨憺たることになっているのです。(結局、元である家庭を壊されたら〔まともな主婦業ができない女性が増えれば家庭は壊れます〕当然社会生活もおかしくなります。だから、その元の家庭を、愛ある家庭に変えないと社会生活もまともにならないということになります)
しかし、戦前の女性は別に虐げられていたわけでも(そういう部分がゼロだったとはいいませんが、そういう部分は戦後改善されているはずです)家庭に縛り付けられていたわけでもなく、女としての本当の使命を役割を果たしていただけなのです。(ほとんどの女性は、そのような主婦業を通し自分の心を磨くよう使命を持って生まれているからです)
この世に愛を復活させるには、まず家庭内での本当の母の愛、妻の愛を復活させないとできないのです。
それには片手間に主婦業をやられても困るので、それで私は「仕事を望む女性ばかりでなく、専業主婦を望む人にも、もっと支援をしないといけないでしょう」といっているのです。
しかし、主婦業とは、現在の多くの人が思っているような軽いものでも、女性を縛り付けるものでもありません。すべての人を生み育てる偉大な仕事なのです。(私たちは、そのような主婦の下で皆育って来たのです。それこそ総理大臣から、私のような一般の者までです)
何でそんな偉大な仕事を軽く見るのですか?
現代の主婦業を軽く見る、まず、そのような思想を改めなければいけないのです。



人目の訪問者です。

今日は会社で少し驚く事が有りました。私の働きぶりは、仕事中は必要以上は話はせず黙々と業務をこなしていく、いわば寡黙な方です。そんな中で直属の上司と話をする機会が有りました。今も会社の中は昨年からのゴタゴタが続き社員と執行部の間はギクシャクしていて、雰囲気はあまりよくありません。
時期的にそろそろ組織の見直しで人事部が動き出す頃なので、そんな話をしているときにその上司は、あまり目立つと標的になるからと言ったので、私は周りのようのに話などせず静かにしているから大丈夫だな。と話したら、え~ツ?すごい目立っているですけど、なんて言われました。まあ、私は別に異動になろうと関係ないですが、目立っているのかと言われると不思議な気がしました。
普通は寡黙だどそういう話にはでないのではないのかと思いました。
逆の意味で目立っているのかもしれませんね。(笑)
自分の仕事を黙々とこなしているなら、それでよいではありませんか。また別な道がついて来れば、感謝してそれをされればいいのですから。
要は、まじめに正直に、その仕事をやれるかどうかです。(仕事にかこつけ、人に嫌がらせばかりして天罰が当たりたくっている人たちもいますので)
そうしているのであれば、またよい道もついてこられるでしょう。頑張ってください。