9月 28 2014
災いと奇跡
御岳山が噴火しましたね。あそこは小さい頃、父によく連れていってもらいましたので驚きました。
死傷者もたくさん出ているようですが、この噴火がどれくらいの規模になるのか心配ですね。(学者連中は、そういうことが全然分からないんでしょう。起きてから騒ぐことなど誰でもできます。噴火の予知も出来なければ、噴火の規模も分からない、一体何の研究をしているんでしょうか?)
これは、いよいよ富士山の噴火も近いのではないでしょうか。その富士山の噴火も大きな噴火になるのか、それとも小さな噴火になるのかは皆さんの心次第です。
今のような心の人が多ければ、もちろん規模の大きな噴火となるでしょう。(残念です)
相変わらず災いが次々に起きているんですが、私は昨日また不思議なことが起きました。それを書いておきましょう。
昨日私は、中川運河を通りましたので、例の昭和橋の横から運河の近くまで下りていきました。
すると昨日は珍しく中川運河の水がきれいで、底の辺りまで透き通って見えていました。(いつもは運河の水は真っ黒で水の中など全く見えません)
「珍しいな」と思い、運河の中をのぞいてみましたが魚がいる気配はありません。
それで、これは魚がよく見えるチャンスだと思い「オイ、お前ら元気か」と呼びかけてみたのです。そうして運河を見ていたら、少し先の水の中でチラチラ白い物が見えました。
「ンッ、あれなんだ?」と目を凝らしていると、その白い物の数がだんだん増えて、それがこちらに近づいて来ます。
よく見るとその白い物とは魚の腹だったのです。
魚が水の中で勢いよく泳ぎ回っていて、中には反転しながら泳いでいる魚もいたものですから、その反転した時に魚の白い腹が見えます。(魚の体の上の部分は黒いうろこに覆われていますので)その白い腹が先ほどからチラチラこちらに見えていたのでした。
その勢いよく泳ぎ回っている魚たちが、こちらに近づいて来ました。辺りを見渡すとあちこちにさざ波が立っていて、かなり広い範囲に魚がいるようです。
そうして私の目の前に魚たちが集まってきたのですが、驚きました。何に驚いたかって、その数にです。
これまで中川運河のその場所は、水が汚くて上からは全く魚影が見えませんでした。
それで飛び跳ねる魚がいますので、その辺りか、またはさざ波が立っているところもありますので、そのさざ波が立っているところは、水の中には、たくさん魚がいるのだろうと想像していましたが、しかし、その水中にいる魚を実際に見たことはありませんでした。
だから想像するしかなかったんですが、昨日は水が透き通っていましたので、運河の水の中までしっかり見えたのですが、実際に魚が水中を泳いでいるところを見て驚きました。
自分が想像していたよりも、ずっと魚の数が多かったからです。
私の目の前を凄い数の魚が泳いでいるのです。それこそ跳ねたり、水面のギリギリまで出てきてさざ波を立てている魚など、ほんの一部で、多くの魚たちが水の中を泳ぎ回っていました。三~四センチほどの大きさの魚から、十五~二十センチくらいまでの大きさの魚まで、大小様々な魚がです。(それ以上大きな魚はいなかったようです)
「凄い数だな」「ようけおるわ」(…これ名古屋弁ですかね?)「こんなにいるの」と、私はその魚たちを見て一人でしゃべっていました。
とにかく水の中の見える範囲に魚がたくさん泳いでいるのです。(だから何百匹もいたんじゃないでしょうか。かなり広い範囲にさざ波が立っていましたから)
「水の中にこんなにいたのか」と改めて驚きました。
しばらくそこにいましたが、私があまり長くいては、魚たちも疲れるだろうと思い「またな」と魚たちにいって中川運河を離れました。(ほんと、これはこれで気を使います〔笑〕)
そうして今度は堀川にいったんですが、そこで不思議なことが起きたのです。
堀川に行くと、すでにあちこちでさざ波が立っていて、魚たちが水面に上がってきているようでした。
こういう時は、私が叫ぶとすぐに何匹かの魚が跳ねます。だから「オイ元気か」と堀川に向かって叫けびましたが、案の定、何匹かの魚がすぐに跳ねたのです。
しかし、これは別に驚くことではありません。いつものことです。不思議なことが起きたのはその後のことです。
たくさん魚が水面にいたので「オオ、元気いいな」とか「頑張れよ」とかいいながら、堀川の土手(舗装してあります)をゆっくり歩いていましたが、ある場所まで行くと魚も飛ばなくなり、水面に出ている魚もいなくなりました。(水面が静かになりましたので)
魚の気配もあまりしなくなったので、この辺りで一度呼びかけたらどうなるかなと思い「オイ、お前ら元気か」「いるなら顔見せろよ」と堀川に向かって呼びかけたのです。
そうしたらです。少し遠いところを見ていましたが、その辺りは水面もシーンとしていて魚がいるような気配はありませんでした。
「やっぱりこの辺りはいないのかな」と思い、フッと自分の足元の水面を見たのです。
すると(それこそ昨日今日卵から孵化〔ふか〕したばかりくらいの)細かい魚たちが数匹ほど上がってきていました。
「ハハ、何だお前らも俺のこと知っているのか」と笑いながら話かけていると、あちらから数匹、こちらから数匹と、その同じくらいの細かい魚たちが上がってきて、私のすぐ前の水面に数十匹ほどの細かい魚たちが集まってきたのです。
またまた私は「うそっ」と思いました。何でこんな生まれたばかりのような細かな魚たちまで、私のことを知っているんでしょうか。
その細かい魚たちは私が立ち去るまで、私の前で泳いでいました。
まったく不思議でしたが、しかし、このような現象をまじかに見ると、脳でものを考えたり思いついたりしているのではないということが、改めて分かります。
こんな細かな魚たちまで私のことを知っているのです。もし脳でものを考えているのであれば、こんな細かな魚たちの脳みそなど、それこそ顕微鏡で見なければ分からないくらい小さなものでしょう。そんな小さな脳で私のことが把握できるわけがありません。
しかし、実際にこのようなことが起きているのです。このような現象を、科学者はどのように説明されるのでしょうか?
こういう魚たちの態度を見れば分かります。この魚たちは、明らかに脳以外の部分で私のことを理解し、そうして寄ってきているのだなということがです。
それが心であるということです。心に教えられ、そうして心で理解し、それで私の近くに寄ってきているのです。(これは鳥たちも同じでしょう)
鳥や魚に理解できることが、なぜ人間に理解できないのでしょう。
法を知っている人間こそ、愛ある人であり、そうしてその法こそ、すべての物を生かし癒し育てるものであるということを、魚や鳥たちは理解しているのです。
しかし、それが人間には全く理解できないようです。
今日のこのブログを書いている間だけでも、このブログからいろいろなことを教えてもらった、そのような事実は一切無視し、窓をバシバシやって嫌がらせをしている人たちがいます。
しかし、そのような法を理解しようとしない人たちは、愛のない人たちであり、自らの心の狭さゆえ自らを殺しているのです。それが現象として現れるのです。(自分で自分を殺しているんですから私のせいではありません)
法を知っている者に愛をかければ愛が、憎しみをかければ憎しみが、その人自身に戻ってきます。
鳥や魚たちが分かることを、なぜ人間が分からないのでしょう。
少しは改心されてはどうでしょう。それが万物の霊長である人間の当たり前の姿だからです。
追伸…昨日テレビでカジノの特集をしていましたが、やはりカジノ賛成の人が多いですね。
しかし、聞いていると日本の周りにはマカオ、シンガポール、韓国とすでにカジノ大国があるので(マカオなど現在は、ラスベガスを抜いてカジノの売り上げがダントツNo1です)そこから客を日本に引きこもうとするなら、相当大きくて、いろいろな施設が入った複合施設をつくらないといけないようで、東京以外にカジノをつくっても勝算はないそうです。
とてもではありませんが、カジノをつくれば、外国の観光客が激増するなど夢のまた夢のような感じでした。(現実はやはり厳しそうです)
他の手を考えた方がいいと思いますよ、カジノなんかつくれば、また何が起きてくるか分からないですし。
私の周りは次々に奇跡が起きているのです。もう少しこの法を活用されてはいかがでしょうか。



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