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10月 01 2014

本当の愛と本当の幸せ

10:57 AM ブログ

私のいうことを無視するのは結構ですが、何が起きても知りませんよ。

台風十八号も近づいています。また大きな被害が出ないといいんですが。(残念ですが、このままでは出るでしょう)

これだけ恐ろしい現象が続けて現れていても、それでも自分は関係ないと思っている人が多いんですから、それはそれで仕方ありません。では話題を変えましょう。

昨日、堀川に行ったんですが水面は静かなものでした。魚が出てくるような気配もありませんでした。

それで私が「オオイ、お前ら元気か」とか「いたら顔出せよ」とかいいながら川岸を歩いていると、しばらくすると魚が一匹、二匹と跳ね出しました。

向こうの川岸には人が何人かいたのですが、皆さん川をあまり見ようとしません。(普通なら川に向かって呼びかけている者がいたら「何やってんだあいつ」と私の方を見る人がいてもよさそうなものですが、みな私のこと知っていますので、意識的に無視しているようです)

そのうちに少し大きな魚が高く跳ねて、それがそのまま水面に落ちたものですから「バシャ」とずいぶん大きな音がしました。

その音に驚いて「ビクッ」としている人もいるんですから笑えます。(笑)

無理して無視をせず、こういう奇跡が起きているんですから、素直に川を見て少しは驚けばいいのに、チラチラ見ていて、魚が跳ねると向こうを向く人もいて、本当に素直でないな、と改めて思いました。

それまで静かだった川の水面が、私が声をかけるとあちこちで魚が跳ね出すのです。不思議なことではないでしょうか。

私が歩いていると、そこらにいる鳥たちが騒ぎ出すのです。これもまた不思議なことではないでしょうか。

こういう現象が次々に現れているのに、それでも無視したり、もっとひどい人は「やかましい」と怒っているんですから呆れてしまいます。

このような不思議な現象を「不思議だ」と素直に思えなくなってしまった人が多いのは、やはり唯物論の影響が大きいでしょう。

人間の生命や自然の生命よりも「物と金」が大事であると唯物論者は教え、それを多くの人が信じました。

その結果、金をもらえば何でもする(人を殺すこともです)という人がたくさん出てきて、人間の生命や自然の生命を軽んずる人が増えたのです。

しかし、人が物や金にとらわれるようになると、鳥の声に耳を澄ませたり、野の花の美しさに目を慰められたりすることを忘れます。そうして自然の不思議さや、その神秘さに感動する心もなくなるのです。

そのような不思議や、神秘に、感動を失った人生など、殺伐とした荒野を一人進むのと同じで、これほど味気なく不幸な人生もないでしょう。

幸せになりたいと思うであれば、物事に感動する心を忘れてはならないのです。

鳥が騒いだり、魚が飛び跳ねたりする、そのような不思議なことが起きている人がいたら、なぜ素直にそのことに感動し「どうしたらそのようなことが起きるのですか?」「何で鳥や魚が寄ってくるんですか」と聞きに来ないのでしょう。(そんな人一人もいません)

起きている不思議なことに素直に驚き、興味を持つことは自分の心を豊かにし、成長させるのです。

しかし、この辺りの人はその逆のことばかりやっています。それでよいことが起きてくるはずがないではないですか。それでは自分の心を退化させているだけだからです。

これは別にこの辺りの人だけでもないでしょう。こういうことが起きているのに、それに驚き感動する人がどこにもいないというのですから、本当にその心の殺伐さに驚きます。

ここに書いている、鳥や魚の出来事に驚き感動する人がいるなら、寄付をされないはずがないからです。私に協力してくれないはずがないからです。

そのような人が一人、二人しかいないということは、やはり他の地域の人も同じで、こういう奇跡が起きていても、それに驚くことも感動することもなく、ただ「そんなことも起こるんだ」程度にしか思わず、物、金にとらわれた人生を送っている人が多いということです。

そのような心では幸せで豊かな(もちろん心がという意味です)人生を送れるべくもなく、ただ金があって物がたくさんある人生を、幸せだと勘違いしているだけなのであって、そのような勘違いを直すため、現在のような異常現象が起こされているのです。

そのような人生は本当の幸せな人生ではないからです。外見だけが華やかなだけで、心は空虚であり、その心が愛と感動で満たされないと、人の本当の幸せは得られないからです。

愛と感動のない人生を送っている人が多いということは、世相を見ても分かります。

幼い子供を殺したり、親が子供を餓死させたり、子供を車の中にほっといて熱中症で死なしたり、危険ドラッグなど吸って平気で車を暴走させたり、このような事件が多発しているのです。

これなど愛や感動がない、殺伐とした心の持ち主が多い証拠ですし、またここまで凶悪な事件でなくても、例えば、この前少し書きましたが、自殺した歌手の嫁は(ずいぶんカメラの前では泣いていたようですが)やはりもう離婚寸前であったというではないですか。

嫁のそのような愛のなさが夫を自殺においやったのです。

こういうことが次々に起きていて、それで幸せな人生を送っているなど勘違いも甚だしいのです。

このような人たちの心の中には、怒りや妬みやひがみの心はあっても、愛の心などないからです。感動する心などすでに忘れてしまっているからです。

本当の愛や感動する心を思い出してもらわねば、人の本当の幸せは得られません。本当の幸せを得られなければ、心の成長もないのです。

その本当の愛と感動が理解できるのは、この法を勉強し実践するしかありません。

だから多くの人がこの法を無視しているため、異常現象が起きているのです。

見せかけの愛、見せかけの幸せでは、この世に生まれてきた意味がありません。

つまり法を勉強しなければ、この世に生まれてきた意味がないのです。

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