10月 23 2014
善人のふりをする悪人
昨日は庄内川に行っていたんですが、岸で座っているとカニが私の前にいつの間にか来ていました。
「あれ、お前いつ来たの」とかいってると、そのカニが私の方にゆっくり寄って来て、なんと私の足元まで来ました。(いくら何でも平気で寄って来すぎです〔笑〕)
そうして、私が履いている靴を、片方のはさみでコンコンと二回ほど叩いて、またトコトコ離れていきました。
「何だよあいつは」と思っていると、もう一匹寄って来て、そのカニも同じように私の足元まで来たのです。(先ほどのカニを見ていたのでしょう)
そこまでは同じだったんですが、今度のカニは、はさみで叩くというより、私の靴についている泥を食べているようで、しばらく私の靴の泥を食べていましたが、そのカニも泥を食べるだけ食べるといってしまいました。
カニが離れていく時に、私が「またな、またな」と何度もいって、そのカニに向かい片手を上げたり下げたりしていると、なんとそのカニも片方のはさみを一度上にあげて、そうして離れていきました。
カニも魚も鳥も、みな私たちの言葉や仕草が分かっているようです。
そのような小動物たちは人の言葉が分からない、ではありません。私たちが思っている以上に、小動物たちは人の言葉や仕草を理解しているのです。
そのカニの態度が、あまりにかわいらしかったものですから、その場面をビデオで撮れなかったのを悔やみました。(昨日は雨が降っていたものですから、さすがにビデオは持って行きませんでした)
しかし、こんなチャンスいくらでもあるでしょう。また今度撮って皆さんにも、そのカニのかわいらしい仕草をお見せしたいと思います。(その動画ができてきたようです。ただやはり素人が撮ったものですから、画面が動くこと動くこと。すずめを撮った動画など、あまりに画面が動くので気持ち悪くなったくらいですが〔笑〕マァ、それは我慢して観てください。近々公開します)
それにしても、これだけ多くの小動物がたくさん私には寄ってくるのです。何で、そんな私が悪者なのでしょうか?
今日も、朝から嫌がらせをしている会社がありますが、ずいぶんいろいろ起きているようですね。(昨日に引き続き、今日も朝から異様なテンションです。何か起きていることがすぐに分かります)
特別、私が誰かに嫌がらせをしたわけでもなく、災いが起きている人が私に嫌がらせを繰り返しているのです。
その起きている災いを、みな私のせいにしているようですが、そんな災いばかり起こす者に、こうも気の弱い小動物たちが寄ってくるものでしょうか?(動画の中に出てくるだけでも、すずめや魚、カニや亀やコウモリまで、私の近くに寄ってきているのです)
なぜ、嫌がらせを繰り返している善人(?)には、少しもそんな小動物が近づかず、私のような災いばかり起こしている悪人に、気の弱い小動物が嬉しそうに近づいてくるのでしょうか?
起きていることが逆のような気もしますが、そこを聞いてもこの辺りの人、誰も教えてくれないのです。それどころか、そういうことをいうと、ほとんどの人が「ビクッ」として早足で行ってしまうのです。
そういう態度も不思議ですね。それだけ私が悪人なら「こういう理由でお前は悪人でも小動物が寄ってくるんだ」と堂々と、その理由をいえて当たり前だと思いますし、また「こういう理由で私たち善人には小動物が寄ってこない」と、これまた堂々と、自分たちに小動物が寄ってこない理由もいえないといけません。
しかし、そのような理由を私にいった人は一人としていないのです。
これだけこの辺りの多くの人が、私に嫌がらせを繰り返しているのです。では、相当の理由があって私は悪者だと思われているんだし、また自分たちには相当の理由があって、お前より自分たちの方が正しいと思っている人が多いはずです。
そうであるなら、その私が悪者の理由、そうして自分たちが正しいという理由をいえる人などいくらでもいるはずなのに、そのような理由を私に堂々といった人は一人としていないのです。(嫌がらせだけしていく人はたくさんいますが)
まったく不思議で仕方ないのです。私が悪いことばかりしているから、私は皆に嫌われ嫌がらせを受けているのでしょうが、その悪者の理由、そうして皆さんが正しいという理由を、私が(その嫌がらせをしてくる人たちに)どれだけ聞いても教えてくれないのです。
なぜでしょうか?
いわないだけですか?それとも答えられないのでしょうか?
もう何十人、何百人という人にその理由を聞いても、誰も答えないというのであれば、それは答えられないのでしょう。(答えられるのなら、これだけの人に聞いているのです。誰かその答えをいう人がいるはずですから)
では、多くの人が自分のせいと思いたくないから、このように起きている災いをみな人のせいにしている、ととっても間違いではないはずですし、そのようなことをしているから(そのような心の持ち主だから)罰(天罰)が当たっていると思われないでしょうか。
実際はそれが正しいのであり、すでに汚い心に天罰が下る、そういう時代(正法の世)となったのです。
では、昔からいわれている罰が当たる定義(?)を皆さん知らないのでしょうか。
罰はなぜ当たるのか?
「そんな悪いことをしているから罰が当たるのだ」と、昔からいわれていることは、それこそ子供でも知っていることです。(だから、このことは子供でも分かるということです)
その自分たちが悪いから起きている罰(災い)を、皆さんは私のせいにしているだけであり、自分たちが悪いことを認めたくないから私を悪者に仕立て上げ、私に嫌がらせを繰り返しているのです。
そのような理由だから、私を悪者であるというしっかりした理由もなく(ただ漠然と、お前が人を病気にさせていると思っているだけ)また、自分たちは正しいのである、という理由もなく(ただ自分たちは被害者と思っているだけ)だから誰一人、私がそういう質問をしても答えることが出来ないのです。
しかし、どれだけ自分たちが言い逃れしようと、起きている現象に間違いはありません。
私に気の弱い小動物がたくさん寄ってきて、皆さんには寄っていかない、このことがすべてを物語っているのです。
私が皆さん以上の愛ある善人であるから、小動物がたくさん寄ってきて(残念ではありますが)皆さん方が愛のない心の汚い悪人であるから、小動物は怖がって寄ってもいかないのです。
そのような人の心を、小動物たちはすべて知っています。だから、皆さんには寄っていかないのです。
心に愛がないということは、人に平気で嫌がらせができる、そのような行いにも現れています。愛深い人であるならば、そんなたった一人の者によってたかって嫌がらせなど、その人がどれだけ悪人であろうと出来ないからです。
いつまで、愛深い善人を悪人にしておくつもりですか?いつまで自分の心の汚さを隠して、自分たちは善人であると思い続けるのでしょう。
その心の汚さと責任転嫁を改めない限り、この災いは止まらないのです。



人目の訪問者です。

今日は久しぶりに心が晴れやかです。
というのも、ここ2~3日は訳がわからぬ心の重さに腑が落ちないのでありました。そんな中、今朝は午前4時頃に眼が覚めましてスッキリしない心を神への感謝と共に反省をしました。すると「全てを活かす」という言葉が出てきました。
少し考えたら、先日コメントさせて頂いた体調不良の方が浮かびました。
何があったか思い返すと、私は両親への反省で本来悪いものはなく自分がそう見ていたことの想いがあり、その事のお詫びをさせて頂いたのです。自分ではその事が分かったつもりでいたのが、体調が悪くて欠勤で暫く休んでいたことをネタに仲間との話が悪かったのです。本人が進退を決めるべきとか、会社が放置してる、幹部連中はやっていることが変だ等々言ってました。
それで朝に気付いたのは「全てを活かす」とは、本来悪いものはないということだから、その方も悪いのでなくどの様にすれば本人が活かされるのか、との事だということなのかと思いました。元々の職場から回されて来たのだけれど、ここの職場へきた時には仕事をしっかり教えていればいいのだということ、そうすれば体調が回復して元の職場へ返っても知識として活かせるのだからと思いました。
少し、その方を祈ってあげるとよいと思いますよ。
有り難く存じ上げます。
今晩に実践させて頂きます