1月 06 2015
正しい教えと正しい祈り
原油安が止まらないようです。
今年に入り食品の値上げが相次ぐところに、この急激な原油安です。ガソリンなどの油が下がることで、食品の値上げの影響もかなり相殺されるでしょう。
この原油安を、経済界では神風とまで呼んでいるそうですが、アベノミクスではありませんが、アベノミラクル(安倍総理の奇跡)はまだ続いているようです。
せっかく政治や経済で奇跡が起きているのです。それ以外のところでも奇跡を起こされてはどうでしょう。それ以外のところで災いばかりが起きていては、その災いに足を引っ張られ景気がよくなることはありません。
本当に日本をよくしたいのであれば、この数々起きる災いをなくすことです。
その災いをなくすには、日本の人々の心を変えねば出来ません。いい加減本当の神の心に気づかれてはどうでしょうか。神の心に気づかないとよい方向に心が変わらないからです。
例えば、今年も多くの人がいろいろな神社などに初詣に行きました。
しかし、その初詣に訪れた人が祈ることといえば「家内安全」とか「交通安全」とか「今年は景気がよくなりますように」とか「よい大学に入れますように」とか「よい会社に入れますように」とかいうことばかりです。
一見このような祈りは正しいように思いますが、このような祈り自体、すでに神を冒涜しているのです。
いい加減それに気づきませんか。このような祈りがいかに浅ましいかです。(こういう祈りが正しいと思っているから災いが次々に起きるのです)
だって、そうでしょう。このような祈りは、すべて自分たちの欲望を祈っているだけで、誰も神に対しての祈りをしていないのです。
神を下僕のように思い、あれをしてくれこれをしてくれと頼むだけ頼んで、そうして自分たちがよくなればそれでいいという、自分たちだけの祈りなのです。こんな祈りをしていて神を冒涜していると思わない方がおかしいのです。
初詣に行き「今年は神のために尽くします」とか「今年は神の心を知るため一生懸命勉強します」という祈りをする人などいません。(いってはいけませんが、神の子の人間としてこういう祈りが普通の祈りなのです)
神に対し、あれをくださいこれをください。天変地変を起こさないようにしてくださいなど、頼むだけ頼んでおいて、そうしてわずかなお賽銭を出すだけで、あとはお礼さえいいません。(いわないですよね。何か幸運が続いても日本で神に感謝する人などいませんし、よい天気が続いても、それを神に感謝する人はいません。自分で神に祈っておいてです)
わずかなお賽銭を払うだけで、その何十倍何百倍もの物をもらおうというのです。物だけでなく、天変地変が起きたら、一体どれくらいの損害が出るのか分かりません。そのもの凄い損害も出ないようにしてくれと頼むのです。
考えてみれば神に対し、どれだけ浅ましく厚かましい祈りをしているんでしょうか。(よく恥ずかしくありませんね)
これではいけないでしょう。こういう自分のことだけ自分の欲望ばかり祈ることが、いかに神を冒涜しているのか、それに気づかなければ、この日本に起きている災いは収まらないのです。
だから私は、神に対し傲慢な人が多いといっているのであり、もっと謙虚にならないといけないといっているのです。
これがこれまでの宗教の教えであり(末法の宗教)このような祈りで、その祈ったことがきかれるはずがないのです。
これまでこういう祈りをしていて、祈りがきかれたようなことが起きているなら、それは自分がそうなるよう努力した結果、そのような結果を得られたのか、元々そうなるような順序があったからそうなったのかのどちらかであり、決して祈りがきかれたからではないということです。
それは、先ほど書いたことを知ってもらえれば分かると思います。そんな祈りを神がきいてくださるわけがないからです。
そういうきかれるはずのない祈りの方法で祈らせておいて、そうして何かいいことがあると、それは祈りのお蔭ですと、後付けみたいなことをいうのがこれまでの宗教でした。(現代の科学とよく似ています。末法の世の科学や宗教とはこのようなものでしょう)
だから、これまでの宗教が教える祈りでは、その祈りがきかれたのか、きかれていないのか、よく分からなかったのです。よく分からないはずです。そんな祈り方では祈りなどきかれるはずがないからです。
しかし、この法の祈りは違います。確実に祈りがきかれたか、きかれていないのか分かるのです。
祈りが何らかの形で現象として現れるからです。
正しい祈りをすれば、その祈りはきかれます。間違った祈り方をすればきかれませんが、そのどこに間違いがあったのか、それも教えてくれます。
正しい教えを実践すると、確実に天の導きがあることが分かるのです。
正しい教えを学ぶのであれば、これまでの宗教ではあやふやであった祈りが、確実にきかれているということも分かり、現象も次々に現れ、そうしてこの世の理(ことわり)だけではなく、あの世の理まで分かり(ということは死への恐怖も段々なくなっていきます)そうしてこれからの自分は何をなすべきなのか、その道まで天が導いてくださるのです。
これ以上よいことはないのではないでしょうか。
この法を学ぶのなら、どのような心になればいいのか、それも分かり多くの人がこの法に従い心を変えるなら、現在の日本に起きている災いも段々減っていくのです。
ただ、心を変えてもこの災いはなくなりません。よい方に変えないと災いはなくなっていかないのです。そのよい方向を教えるのが、この法なのです。
本当に日本をよくしたいのであれば、多くの人がこの法を学び実践するしかないのです。
いつまで、この法を無視しているのですか?いつまで私一人を悪者にしているのでしょう。そんなに悪い者が、これだけ多くのことを伝えることが出来ますか?これだけ多くの人の心を救うことが出来るのでしょうか?
私は口だけではありません。それだけのことをしているのです。
悪いことを私のせいにしているだけではなく、その行いを見て(また鳥が寄ってくるなどの起きている現象も見て)正しい判断をしていただきたいものです。
そうして、この次々に起きる現象を知るのであれば、この教えはとても無視できる代物ではないと分かるはずです。



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