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1月 13 2015

神の業と人の業

11:01 AM ブログ

フランスのデモは、フランス全土で三百七十万人もの人が参加する「フランス史上最大」の規模となったようですが、それほどの反テロデモが行われたにもかかわらず、昨日またナイジェリアで少女の自爆テロが起きたようです。(しかも今回は二人の少女だそうですが)

どれだけ大規模なデモが起きてもテロは収まる様子を見せません。そのような思想信条よりも信仰心の方がはるかに強いからです。

この少女のテロは、イスラム過激派のボコ・ハラムという組織が行っているそうですが、このようなイスラム過激派は、人の業には強いのであり、だから、どれだけ不利な戦いになろうととことんやり返すのです。(神の後ろ盾があるからです。その神と信じているものは本当は悪魔なのですが)

それが神から与えられた、自分たちの使命であると思いこんでいるからです。

しかし、人の業に強い者たちは神の業には弱いのです。人には逆らえても、その神には逆らうことが出来ないからです。

例えば、いま問題になっているイスラム国に、モーゼが起こされた奇跡が起きたらどうなるでしょう。

イスラム国は、シリアからイラクにかけてを領土としていますが、そのイスラム国の川の水が血に変わり、カエルやあぶやイナゴがイスラム国全土を覆い、人や家畜には膿の出るはれ物が広がり、空から大量のヒョウが降り注ぐ、そんなことが起きれば烏合の衆であるイスラム国は、それこそ天罰が下ったと大騒ぎとなり雲散霧消(うんさんむしょう)するでしょう。

つまり、このような信仰心でつながっている組織は神の業には弱いのであり、このような者たちに対しては、人の業より(鉄砲や爆弾より)神の業なのです。

それとは逆に神の業に強く、人の業に弱いのが日本の人々です。

名古屋の人たちを例にとっても分かりますが、これほどの神の業が現れているにもかかわらず(今もしていましたが、昨日もサイレンがよく聞こえていました)少しも神の方に顔を向けようとしないのです。

そうして、神の業を人のせいにして、怒っているだけなのです。

これほどの現象を(毎日数人から数十人の人が病院に運ばれている)本当に人がやっているとしたら、名古屋の人たちはどうしたでしょう。

もし、一人の者が武器を持ち、毎日数人から数十人の者を病院送りにしていると知ったら、名古屋中の人が震え上がりパニックになるでしょう。しかし、私のように何も持っていないと「お前一人が悪い」ととたんに強気になり、たいして恐れもしないのです。

しかし、起きていることは、それこそイスラム国よりもっと恐ろしいとが起きているというのにです。(もうこの状況が二年以上も続いているのです。〔毎日ですよ〕どれだけ多くの人が病院送りになったか分からないくらいです。この状況はイスラム国より恐ろしいのではないでしょうか)

信仰心の篤い者は目に見えない力を恐れ、信仰心が薄い者は目に見える力しか恐れないのです。

それがこのような悲劇を生んでいます。

どちらの悲劇も、もう少し智慧を働かせ自分たちの状況をしっかり見られるなら、その間違いに気づくはずですが、どちらの人たちも、その智慧を働かせるということをあまりしないようです。

ただ表面上だけ見て、自分たちの考えを変えないまま進んでいるようです。

しかし、どちらの人たちもこのまま進めば、その先は大きな悲劇しか待っていないのです。

とりあえず、遠くの人より近くの人でしょう。近くの人を救わないと遠くにいる人を救えるわけもないからです。(順序が違っていますから)

名古屋の人たちにいっておきますが、何で私が知らない人を次々に病気にさせないといけないのでしょう。

私が、このサイレンの犯人であるというなら、このブログを書いている最中でも、私は知らない人を病気にさせているということになります。(今もサイレンがしていましたので)

そんなことが一人の者に出来ると思いますか?そんな、あれもこれもやりながら人を病気に出来る者など存在するのでしょうか?(動画を撮っている時にもサイレンがして来た時がありますが〔サイレンが聞こえている動画がありますので〕そのサイレンも私のせいということでしょうか?)

仮に、私が祈って人を次々に病気にさせることが出来たとしても、何でそんなことを私がしなければいけないのでしょう。その動機は何ですか?

特別私は、世の中に恨みがあるわけでも、人生を捨てているわけでもないのです。(それはこのブログを読んでもらえれば分かると思います)そんな私が、何で知らない人たちを次々に病気にしないといけないのでしょう。まったく意味が分かりません。

それに、そんな次々に人を病気にさせているような恐ろしい者に、何であれだけ気の弱い鳥や魚たちが喜んで寄ってくるのでしょう。(餌もやっていないのにです)どう考えても、このサイレンを私一人のせいにするのは、無理があるように思いますが、そこはどうなんでしょうか。

このサイレンは私のせいではありません。(それは上記の説明で理解していただけると思います)

名古屋の人たちは、理由のわからない現象が起きてきたので、単にそれを一人の者のせいにしているにすぎません。このサイレンの原因など、本当は誰も分からないのです。

このサイレンの原因が誰も分からないのであれば、このサイレンの止め方も誰も分からないということになります。

よいのですか?本当に私一人をこのサイレンの犯人に仕立て上げておいてです。

もしかするとです。このサイレンを止める方法は、その私しか知らないかもしれないからです。

なぜ、鳥たちは私一人に集まるのでしょう。なぜ、魚たちは私に寄ってくるのでしょう。

もしかすると、そのような動物たちが、このサイレンを鎮めることが出来る人を知っているのではないでしょうか。その動物たちが、この名古屋を救える人を知っているのではないでしょうか。

その動物たちが教えていることを、名古屋の多くの人たちは見逃しているのです。

名古屋の多くの人たちが、このサイレンの犯人にしている者が、もしかしたら唯一、この名古屋を救える者かもしれないのです。

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