1月 16 2015
愛の心
少しこの辺りの雰囲気も変わってきましたかね。(相変わらず残念な人はいるんですが)
いつまでも同じ態度では起きることも変わりません。この名古屋で起きている現象を甘く見ていては最後には滅ぼされてしまいます。
名古屋で、これだけの神の業が現れているということは、それだけ名古屋の人々は神に愛されているということです。
その神の愛に早く気づかなければいけないのです。
いつまでも私に逆らうのではなく、私の意見に耳を傾けられてはいかがでしょうか?そうすれば奇跡が起きてくるからです。
昨日は雨であったので(人が少ないと思い)白鳥公園に行きました。鳥たちに雨は関係ないからです。
するとやはりカモメやすずめ、水鳥たちが騒いで楽しいものでした。(少し寒かったのが玉に瑕ですが)
圧巻だったのは、鵜の大群が私のいた横の堀川に降りてきて、そこでしばらく騒いでいたことです。(数十羽はいました)
その鵜たちが私の横で騒いでいましたので、私が「お前らあまり魚を取るんじゃない」とか「お前らあまり魚ばかり食べるんじゃない」とかいって歩いて行きましたが、すると、その鵜の大群が私の後をついてくるのです。
歩くとついてくるので、止まってその鵜の大群を見ていると、今度はその場で堀川にもぐったりして私から離れようとしません。そのうちに前から船が来ました。
ところが、その鵜の大群は逃げようとしないのです。普通なら、前から船が来ると分かったら即座に飛び立つはずなのに、私の横にいる鵜たちは飛び立つそぶりも見せません。
船に乗っている人たちはしきりに鵜を気にしています。(あまりに逃げようとしなかったからです)それで私が「お前ら逃げないのか。分かった、ではひかれろ」とか冷かしていたんですが(魚をたくさん食べる鵜には、私はあまりいい感情を持っていませんので。〔苦笑〕)もう船まで数メートルというところまで来て、先頭の鵜たちから飛びたち始め、全部の鵜が飛びたちました。
当然ですが、そこらじゅう鵜だらけになりました。(笑)
その鵜たちを、凄いなと笑って見ている人たちもいましたが、あまりよい印象を持っていない鳥たちまで私の近くに寄ってきて遊んでいるのです。こういう奇跡的なことが私には毎日起きて楽しいものです。
同じ名古屋で、このようなことが起きている者もいるのです。では、このようなことが他の人に起きても何も不思議ではありません。心さえ変わるのなら、このようなことも起きるのです。
同じように名古屋に住んでいて、いつか自分にも病気が発症するのではないかと(この状況では当然そうなります。現在の名古屋は、もう誰がいつ、どのような病気になるのか分からないのです)おびえながら生活するのか、それとも、今日はまたどんな生き物が寄ってくるのだろうと、楽しみを感じて生活をするのかでは天と地ほど違います。
そんな不安を心に秘めたまま生活をしていては、どれだけよい家に住んでいても幸せなはずがないからです。(このように考えますと、物で幸せを買えるものではない、やはり心が健康でなければ人は幸せではないとつくづく思います。物などどれだけあっても、心に不安を抱えていては、そのような人は不幸でしかないのです)
その不安を解消したいのであれば、この教えを学んでみてはどうでしょうか。
現に、この教えを知っている私には、次々に奇跡が起きているのです。
これほどの差が目の前に現れていても、それでもまだ無視しますか?この現象を私のせいにし続けるんでしょうか?
それほど愚かな行為もないでしょう。どれだけこの現象を私のせいにしたところで、この現象が収まることはないからです。
もう気づかなければいけないでしょう。自分たちの間違いをです。
日本の人々は、あまりに神を無視し続けた(唯物無神論)結果、大変な現象が日本に現れ、その神を無視できなくなって来ているということです。
だから、もう神の教えに従うしかないということです。
この神の業を、無視しようと逆らおうと、そのようなことをしている間は、それではいけない(災い)という現象は出続けます。
あとはもう、いつ多くの人が改心するか、それだけなのです。
この名古屋のような災いが起き続けている地であっても、奇跡が起きる者もいます。愛の心があるところに奇跡は起きます。
傲慢な心を捨てられてはどうでしょうか。
追伸…フランスは、イスラム過激派の一連のテロ事件を受けて、テロとの戦争にかじを切るとのことですが、そのような判断が正しいのでしょうか?
フランスにも問題はありますよね。あのような風刺画はイスラム教を冒涜しているという、イスラム教徒が現にいるのですから、では、あのような風刺画を控えればいいのに、表現の自由をたてにして、また同じような風刺画を描いています。
日本のテレビでいっている人も多いのですが、何でもかんでも自由ではありません。自由とはいえ秩序のない自由は争いを生むだけです。まさに今のフランスがそうなのではないでしょうか。
このままいけば、また多くの犠牲者が出ます。フランスはキリスト教の人がほとんどのはずです。では、キリストの言葉を思い出されてはいかがでしょうか。
キリストは次のようにいわれています。
「目には目、歯には歯といわれることあり、されど汝らにいっておく、汝の敵を愛し、責め憎む者のために祈れ」
表現の自由を守れ、という前に、キリストがいわれた『愛』を忘れてはならないのです。
(私など、キリストがいわれた通りのことをしているのに〔私を責め憎む者のために祈っています〕私が祈るとギョッとする人が多いのです。私の祈りは愛の祈りです。勘違いされては困ります)



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