1月 29 2015
自分が救われるには
イスラム国がいう二十四時間の期限が過ぎましたが、人質はどうなったんでしょう。
情報が錯綜(さくそう)していてよく分かりませんが、無事を祈るばかりです。(特別日本の人ばかりではなく、どの国の人質もです)
こういうことで世界を騒がしていては話になりません。宗教が世界を騒がすなら、奇跡で騒がしていただきたいものです。
そのような奇跡が次々に起きているようですね。この辺りではです。
また何か起きようですね。昨夜は態度が全然違っていましたから。(今日は皆さんやたら殺気立っているし)
もう観念されてはどうでしょう。それだけ恐ろしいことが起きているのです。これ以上突っ張れば突っ張るだけ、起きる現象の激しさも増すでしょう。
私に逆らっているわけではないのです。神に逆らっているのです。
神に逆らっていては勝てるわけがありません。
「本当の神の教えに逆らったばかりに、このような恐ろしい現象が次々に私たちに起こりました」
そうはっきり起きたことを公表して、心から神に詫びられてはいかがでしょう。そうすれば、その罪は許されるからです。
いま自分たちに起きている現象で、どれだけ恐ろしいことを自分たちはしているのか判断してください。
それが出来ないと(その罪を認めないと)その恐ろしい現象は止まらないからです。
その現象は私が起こしているわけではありません。自分たちの間違った心と行いが、そのような現象を現しているのです。
では、その間違った心と行いを自分で直すしか、その恐ろしい現象を止める手立てはありません。
だから、自分で判断するしかないといっているのです。
昨日も書きましたが、すべて自分で判断し自分で行うのです。そうしなければ真の救いは来ないからです。
多くの人は勘違いをしているのです。人が誰かを救うわけではありません。自分を救うのは自分しかいないのです。
だから「釈尊やキリストが多くの人を救った」といういい方は、厳密にいえば間違いなのです。
本来は「釈尊やキリストは人が救われる方法を説かれた。そうして、その釈尊やキリストがいわれた、人が救われる方法を実践した人だけが救われた」といういい方が正しいのであり、釈尊やキリストが、そのまま人を救われたわけではないのです。
実際は、釈尊やキリストが説かれた法を実践した人だけが救われたのであり、だから、釈尊もキリストも「私があなたを救った」などとは一言もいわれなかったのです。
「汝の信仰汝を救えり」(あなたの信仰があなたを救った)といわれたのです。
この本当の神の教えは、実践すれば奇跡が、邪魔をすれば恐ろしい現象が現れてくることになります。(この辺りの人はもうそれをご存知のはずです)
その奇跡も恐ろしい現象も、すればするだけ顕著に現れるようになるのです。(より実践するならより大きな奇跡が、必要以上に邪魔をするなら、より恐ろしい現象が現れてくるということです。それはモーゼの大奇跡を知れば分かるはずです)
法の流布を邪魔したばかりに、次々に恐ろしい現象が現れた、と多くの人が知るならばこの教えはどれだけ拡がるでしょう。
そのような評判は、もうあっという間に世界に拡がり(そういう時代です)世界の人々が知ることになります。
そのような評判が世界に拡がるなら、イスラム国のような間違った信仰をしている人々も、反省せざるを得なくなるのです。
自分たちがしている信仰と、あまりに違う、別次元の信仰が日本に存在することを知るからです。(現在この辺りで信仰している人たちと同じ気持ちになるのです。「自分たちの信仰は間違っていた」という気持ちです。現れることがあまりに違うからです)
何度もいいますが、日本の人たちが心を入れ替え、立ち上がるなら、世界を救うことが出来るのです。
この名古屋で起きていることを、世界に伝えるだけでも世界が変わるからです。
奇跡も恐ろしい現象も、洗いざらい公表されてはどうですか?そうするだけで世の多くの人を救えるのです。
それほどの力が、この『法』にはあるからです。
自分を救いたいのであれば、世界を救うくらいの大きな志は持つべきでしょう。それくらいの心にならないと、結局自分も救われないからです。(その自分も救えないくらい小さな心になっている人が多いからです。だからもっと心を広げないと自分さえも救えないのです)
現在世界は風雲急を告げています。(間違った信仰だけでなく、天変地変などの異常現象も次々に起きて来てです)
その世界の暗雲を祓うことが出来るのは、この『法』しかないのです。
この法を伝えることが世界を救うことになります。
世界を救うことは自分を救うことでもあります。もっと大きな心になってはどうでしょう。
そのような心になって、初めて自分も救われるからです。



人目の訪問者です。

「我は神の子である」この言葉は凄い言葉だということに気が付きました。
私は一流企業の役員です、とか私は何処其処の宗派です。などはほんの小さな塊の呼称でしかないと思いました。
しかし、我は神の子である。というのは、個人から全世界の人類に至るまで変わることのない普遍性のあるものだと分かりました。そんな凄い法に縁がありこうして日々精進できる事が本当に有り難きことと感謝するのみです。
その自分たちの考えがどれだけ小さいのか、ということに気づかない人が多いのです。
だから感謝も出来ない、だから自分たちがどれだけ危ないところにいるのかも分からない、したがって、この法の偉大さも理解出来ない、ということになるのです。
私たちが見本を示していく以外ありませんね。
名古屋で起きている事を徐々にローマでも伝えていきます。人の繋がりが増えてきて、法を広げる土台が進んできました(毎日どんどん変化していきます)。本はもうすぐ印刷の段階に入ります。その後、イタリア各地で法話と禅定の個人指導に行く予定です。
名古屋で起きていること、ぜひお伝えください。
そちらも頑張ってください。
はーい!
イタリアは高橋先生の言うように頭の輝いている人多いです(髪の毛のない人)
。
心の輝いている人どんどん増えてほしいですね!