2月 04 2015
パンドラの箱
昨日のことをもう少し補足しますが、同じ現象が起こるにせよ(地震でも台風でも大雨でもです)その起きた理由を知っているのといないのとでは、全く違うということです。
そのような現象が起きた理由を知らなければ、全然心の勉強にならないのです。
ところがこのブログを前から読んでいる人は、最近なぜ天変地変がよく起きるようになったのか、その理由を知っています。(それをどこまで信じているのかは別にしてです)
その起きている理由を知って大雨なら大雨、台風なら台風を見ているのと、知らないまま見ているのとでは、見方が全然変わってきます。(理由を知らずに見ている人は、単に温暖化のせいくらいにしか思わないでしょうから)
だから、起きた理由を知って見ている(あるいは体験している)人の方が、何倍も何十倍も心の勉強になるのです。
そういう意味では、このブログを前から読んでいる人は、最近よく起こる天変地変の本当の意味を知っている人が多いのです。(私がこのブログにその理由をよく書きますし、起きる前にも、このような理由でこういうことになります、と書きますから)
どれだけ心の勉強になっているのかお分かりでしょうか。
つまり、このブログを見ている人たちは、知らず知らずのうちに多くの心の勉強をしているのです。(だから私には感謝しても感謝しきれないほどなのですが、誰も感謝してくれません〔笑〕)
名古屋の人たちが私に嫌がらせを始めたのも、そのような起きる現象のせいであったはずです。(私が祈って地震を起こすだの、大雨を降らすだのです)
そういうことをする者が悪いという前にもう少し深く考えてください。
では、これまでにそういうことを起こす者がいたのでしょうか?(昔から書かれた書物の中にはそのような人も出てきますが)
そうして、これだけ天変地変の理由をはっきりいって、多くの人の心を変えた者がいたでしょうか?
そういう者がいたから、多くの人が心の偉大性を理解することができ、多くの心の勉強も出来たのです。
口だけでは誰も信じないのです。いうことと行うこと両方が揃って初めて多くの人が信じるのです。
まして日本の人々は(共産主義の国は別にして)世界で一番神の心から遠かったのです。
そういう人たちの心を神の方に向けさせるには、生半可のことでは無理なのです。よほどのことをしない限り、この日本の人々を神の方に心を向けさせることなど出来ないのです。
だから、起こしたのです。数々の現象をです。
そうしなければ、もっと大きな(もちろん悪い方のです)現象が日本に現れることになったからです。
だからといって犠牲者を出してもいいのかと問われれば、それはいけないでしょう。
しかしです。このブログを読んでいる人たちなら、もう理解していただかねばなりませんが、自分の心が神に近いのであれば、どのような現象も過ぎ越すのです。
もし、過ぎ越さなかった人がいたのであれば、それは自分の心が神から遠かったのであり、そうであるなら、その神から遠かった自分の心を反省しなければいけないのであって、自分が不幸になったことを人のせい(あるいは起きた現象のせい)にしてはならないのです。
どのような恐ろしい現象が起きても、心がよければその人は助かるからです。
それをお前が悪いなど、人のせいにしている人が悪いのであって、そういう悪いことが起きない心にならないといけないのです。
そんなこと知らなかっただの何だの、どんな言い訳も泣き言も通用しないのです。(それは知らない人が悪いからです)悪いことが起きたのなら、それは自分が悪いから起きた、それ以外の何ものでもないからです。(それがこの世の修行でもありますし)
現在の名古屋は、毎日毎日、救急車のサイレンが何度も響くという恐ろしい現象が現れています。
これを私のせいにしていても止まらないのです。(現に、いくら私のせいにしようとサイレンは止まりません)
もういい加減気づいてください。名古屋の人々はパンドラの箱を開けてしまったのです。(本物の神の使いに嫌がらせをするということでです)ギリシャ神話に出てくるパンドラの箱の物語が、本当に名古屋で始まってしまったということです。(そのパンドラの箱をあけたばかりに、名古屋の人たちは次々に不幸に見舞われるようになりました)
すでにパンドラの箱は開けられたのです。そうであるなら、外に飛び出してしまった災いはもう戻しようがないでしょう。
では、どうすればいいのでしょうか?
パンドラの箱は、最後に希望というものが出てきます。
では、その希望に託すしかないのではないでしょうか。
その希望とは、もちろん『法』しかありません。
このサイレンで運ばれている人は、私のせいにして怒っている人ばかりではなく、神に祈られた人も運ばれているのでしょう。お経を一生懸命上げられた人も運ばれているのでしょう。
しかし、そのような間違った信仰ではもう救われないのです。それが名古屋では一目で分かるのです。(このような現象が現れたせいでです)
もう名古屋の人々は、この法を勉強するしか(正しく神に祈るしか)救われようがないのです。(そうは思いませんか?私のせいにしていても、祈ってもお経をどれだけ上げてもサイレンは止まらないのです。ではもう本当の神の教えに従うしかないのではないでしょうか)
最初から、この道しかなかったのです。神の教えに従うほかなかったのです。
私は自分を犠牲にして、多くの人々に神の教えを説き、そうして多くの人々の心を変えました。
数々の奇跡も現しました。(それは現在においてもです。私が外に出て行けば、多くの鳥たちが寄ってくることでも、その事実が分かります)
それなのに、なぜ、多くの人は私を悪者にし、私のいうことを無視しているのでしょう。
それが災いの原因であるとなぜ気づかないのですか?
気づいているのに、意地を張って無視しているのでしょうか?そうであるなら、もうそういう場合ではないでしょう。
これほどの現象が名古屋に現れているからです。
名古屋に神からの警告が毎日のようになされています。早くそれを気づかなければいけないのです。
追伸…飯田さんのお母様のことを勝手に(一応はメールで連絡させてもらいましたが、時差の関係で返事をもらう前に書いてしまいました)書いてしまったことはお詫びします。
しかし、現在の名古屋は一刻を争うほどの状況なのです。(こうしている間にも急病人が救急車で運ばれています)
少しでも早く名古屋の人々に目覚めてもらわねば、どれだけ病人が出るか分からない状況なのです。
それで法の理解度が分かりやすければと書いてしまいました。
そのことは申し訳なかったと思います。またメールします。



人目の訪問者です。

未熟者の私ですが、ブログの読み方について意見を書きます。
私も最初にこのブログを読んだ時、あまり意味が分かりませんでしたし、先生の表現にも違和感がありました。多分ここまでは皆さんと同じかと思います。
しかし、ここから違ったのは何回も読み直しをした事を思い出しました。
疑問があったら、とことん追及していく。普段の小説とかはその様なことはありませんが、余程自分に納得ができなかったのも知れません。
考える事を通して、自発的な能力を開花させてこその自立となり得るのであると思います。
まさにそこなのです。
ウナッシーさんと他の法を知っている人との違いは、人の話を素直に聞くという謙虚さと探求心なのです。(法を知っている人というのは、まず自分の方がよく法を知っているというプライドがありますから)
そこを理解していただきたかったのですが、あまりそこは理解していただけなかったようです。
しかし、そのようなこともすべて心の勉強です。
どのように判断されようと結果がすべてを教えてくれます。そういう意味では分かりやすい時代となりましたね。