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2月 10 2015

法に逆らうことの恐ろしさ

11:11 AM ブログ

昨日はずいぶん寒かったようです。

今季最強寒波が日本を覆っているとのことですが、北海道や東北では、日本海側を中心に大雪になっているところがあるようです。

暖冬との予報もどこへやらドカ雪が何度も降ったところもあり、今日もまだ北日本や北陸など警戒が必要なようです。

そのような寒波だけではなく、最近はまたノロウイルスの集団感染が起こり始めています。

インフルエンザのピークが過ぎたと思ったら、今度はノロウイルスの集団感染ですか…本当に現在の日本はろくなこと起きません。(本当に祟られています)

この辺りも祟られているようですが、何か恐ろしい現象が止まらなくなったところもあるようですね。(次々に何か起きているようです)

どうするつもりでしょうか?救われる手立ては何かあるのでしょうか?

日本中でお祓いでもされ、日本の人々が心を入れ替えられたらどうでしょう。そうするだけでも少しは状況が変わるからです。(少しは変わると思いますよ。その心を入れ替えられた分だけはです)

ここに祈ると天が動く者がいますが、その者のいうことは聞かないんですよね。

なら、仕方ありません。日本はこれだけ祟られているのです。せめてお祓いくらいされ心を改められたらどうでしょうか。(あっ、私のいうことは誰も聞かないんでした。〔苦笑〕)

せっかくですから昨日の阿弥陀如来(あみだにょらい)の話を少し書きますが、阿弥陀如来は浄土宗、浄土真宗の本尊であり、西方十万億土の極楽世界にあって、衆生を救済される仏様ということになっています。

この阿弥陀如来は「阿弥陀経」(あみだきょう)や「無量寿経」(むりょうじゅきょう)の中に出てきます。(例えば、阿弥陀経の中には「これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽という。その土に仏ありて、阿弥陀と号す。いま、現にましまして説法したまう」と説かれて極楽浄土の壮厳さが書かれてあります。一心不乱に念仏をすれば臨終に阿弥陀如来の来迎〔らいごう〕にあい、西方の極楽浄土に往生することが出来るというのです)

この阿弥陀如来には様々な解釈がなされ、仏教学者の中には、阿弥陀如来は釈尊であるという解釈をされている人もいますが、それは違います。

厳密にいうなら、この阿弥陀如来という方はイエス・キリストのことであったのです。

この阿弥陀経の話は、釈尊がイダイケというある国の国王の妃に説かれた教えが元になっています。

そのイダイケ夫人は囚われの身となり、もう自分の死期が近いことを悟ります。そうして最後に釈尊の説法を聞きたいと、自分が囚らわれている牢まで釈尊を呼ばれます。

そこで釈尊は、このイダイケ夫人に「インドより西の地でアモンという方が法を説かれました。その方は西の浄土にいられます。あの世に行っても心配することはない、あの世ではそのアモンの教えを信じて行きなさい」と説かれたのです。

この説法が元となって、阿弥陀経はつくられるのですが(かなりいろいろ付け加えられてです)釈尊がいわれたアモンといわれた方は、釈尊が生まれる数千年も前にエジプト(エジプトはインドより西の方にあります)で法を説かれたキリストの前世のことであり(キリストは釈尊滅後の方ですから)この釈尊の教えを分かりやすく現代風にいうなら「エジプトにキリストが出世されて法を説かれました。キリストはエジプト上空の天上界にいられます。死んであの世に帰っても心配することはない。そのキリストの教えを信じて行きなさい」と釈尊はいわれたのです。

このアモン(キリストの前世)という名が、時を経るに従いアミーといわれるようになり、それがアミダといわれるようになって、阿弥陀如来といわれるようになっていったのです。

キリスト教で「アーメン」とよくいいますが、これは「アモンの教えを信じます」という意味なのです。

このように、この世で法を説くことは各地バラバラに行われているように思いますが、実はあの世(浄土)で計画され、その計画に従って光の大指導霊がその国に生まれて法を説いているのであり、その光の大指導霊がどこに生まれて法を説いたのか、この世に肉体を持った光の大指導霊はみな知っているということです。(高橋先生が「百五十年後にキリストがアメリカに生まれる」と予言されていることがそのよい例です)

つまり、あの世では光の大指導霊や大天使たちは一つのグループなのであり、みな仲間なのです。

ということは、この世で高橋先生を裏切った人や園頭先生を裏切った人たちは、あの世に帰ったらどうなるのでしょう。

高橋先生(エル・ランティー)や園頭先生(ガブリエル)は同じグループの仲間なのです。

その仲間を裏切ったということになれば、同じグループにはキリストもいられます。モーゼもいられます。

そのような人たちをも裏切ったということにならないでしょうか。

では、そのような人たちは、あの世に帰っても(高橋先生や園頭先生を裏切った心を反省しない限り)そのような方々の指導も教えも受けられないということになります。

それでは、先ほどの釈尊の説法と違い、死んであの世に帰っても心配でならないのであり、地獄に堕ちても、いつまでたっても天上界に上がることが出来ないということになります。(法や反省を知らないと地獄界から、なかなか天上界には上がれませんから)

とにかく、この世で一人でも光の大指導霊や大天使に逆らうと、もうあの世での救われる道も断たれてしまうということです。

この世で高橋先生や園頭先生、そうして、その教えに逆らうことがどれほどの罪か、お分かりいただけるのではないでしょうか。

高橋先生の弟子たちや園頭先生の弟子たちには猛省を望みますが、この私のいうことをちっとも聞こうとしない人たちもそれは同じでしょう。

現在法を説いているのは私一人です。

その私のいうことを全然聞こうとせず、私を悪者に仕立て上げ嫌がらせまでしている人があるというのですから、そういう人たちは、一体どれほどの罪をつくっているのか分からないほどです。

しかし、そのような人たちは、この世だけでなく、死んであの世に帰っても救われる術はないのです。キリストも釈尊もみな、そのような人たちを救おうとはしないからです。

理由は先ほど説明した通りです。

いつまで私のいうことを無視し、嫌がらせを続けるのですか?

そういうことを続けていては、生きている間はもちろんのこと、死んだその先も救われる道はないのです。

ずいぶん恐ろしいことをしていると思われないでしょうか。(だから恐ろしい目に遭うのです)

法を無視する、法に逆らうということはそのようなことなのです。この世だけで済む問題ではないのです。

それでもまだ、法を無視し逆らわれるのですか?

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