2月 14 2015
キリストの心
昨日の北日本では発達した低気圧の影響で、台風並みの強風が吹いて暴風雪になったところがあるようで、神奈川県の厚木市では突風(竜巻)まで発生したようです。
名古屋も小雪がちらついてずいぶん寒かったんですが、何か各地、大荒れの天気になっているようです。
そんな寒い中、私は昨日久しぶりに熱田神宮に行ってきました。
熱田神宮の中には池があったんですね。昨日初めてそのことを知りました。(近くではありますが、あまり熱田神宮には行かないし、行ってもこれまでは本殿を見るか、お参りするかくらいでしたからね)
その池に行くと岸の辺りにすでに鯉が何匹かいました。池に向かい呼びかけていると二~三十匹の鯉が寄ってきたのですが、ずいぶん大きな鯉がたくさんいましたね。
熱田神宮の池にいる鯉は、白鳥庭園にいる鯉より大きいですね。六~七十センチはあるくらいの鯉がゴロゴロいました。
さすがに歴史が違います。熱田神宮の鯉は何か鯉の主のようでした。(笑)
この熱田神宮は、三種の神器の草薙の剣(くさなぎのつるぎ)が祀られた、由緒正しき神社であり、伊勢神宮に次ぐ権威ある神社で、ここに参拝する人はたくさんいます。
しかし、ここで参拝した人も名古屋では救急車で運ばれているのです。
このような状況を考えますと、この熱田神宮はいろいろな祭典や神事、祈祷なども行われていますが、そのご利益はいかほどあるのかと疑問でいっぱいです。
熱田神宮の中には、食べ物屋まであるのですが(少し前までは、あの「ひつまぶし」で有名なあつた蓬莱軒などいくつかの店も熱田神宮の中にありました)このような、あまりご利益がなさそうな神事や祈祷、そうして熱田神宮の中での商売など見ますと、キリストが怒られた意味がよく分かります。
聖書に次のような場面が出てきます。
マルコによる福音書から抜粋します。
<それから一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や鳩を売る者の腰掛をひっくり返された。また境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。そして、人々に教えていわれた。
「こう書いてあるではないか。
『わたしの家は、すべての国の人の
祈りの家と呼ばれるべきである。
ところが、あなたたちは
おれを強盗の巣にしてしまった。』」
祭司長たちはこれを聞いて、イエスをどのように殺そうかと謀った。群集が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。>
ご利益のない神事や祈祷、また商売などを、由緒ある熱田神宮の境内でしていてよいものでしょうか?
やはりあのような場所は、神聖な祈りの場とすべきであり、あまり観光などに重点を置くべきではないのです。(観光の場は観光の場でまたつくればいいのだし)
キリストがなぜ、そのようなことをしていた人たちを怒られたのか?
そのキリストの心を、現代の人たちはもっとよく知らないといけないのです。
(キリストの心を知らないと、各地で起きている異常気象も、名古屋で起きている異常現象も収まらないからです)



人目の訪問者です。

今日は、入院中の知人へ面会に行って来ました。会話からは、本人は末期ガンとは知らされてない様子でした。聞くところ、定年で退職後に毎月定期的な検査を受けていたのですが、今月に入り異状があることを知らされて、入院となったようです。会話の中で何とか感謝と反省の話をしようかと思ったのですが、なかなか糸口が見えなくて結局話さず終いでした。しかし、夜なって面会の事を振り返ってみると、案外と良かったのかなという思いに至りました。それは、これまで先生のブログに出会え、自分のやってきた事を通して話すことはもしかして、他の面会人とは違う視点で話していることが考えられるからです。相手のいることですし相手の環境や現状を考えれば、ただ単に神だ、あの世だ、この世が、等と場の雰囲気も考えない話し方もどうかなと思えば、話の仕方もまた知恵のいるところだと分かりました。そういうことで、今日は本当に良い経験ができたと思いました。
そうですね。
法を知っている人が話をすると、そのものずばりをいわなくても、伝わっているということはよくあります。(守護、指導霊が心の内より伝えてくださるからです)
あとは、その方のことを祈ってあげればそれでよいと思います。