2月 20 2015
この現象の原因
やっぱり、あのブシュブシュですね。このサイレンの原因はです。
昨日はやる人が少なかったんですが、そうしたらサイレンも少なかったですもんね。
名古屋で起きている、この現象は天が起こしているものです。天が起こしているのなら、ここに間違ったことを書けば、その逆の現象が現れるはずです。(それが間違いであると知らせるためにです)
しかし、このサイレンのことを書くたびに、ここに書いた通りの現象が現れます。
もう何度も同じようなことが起きているのです。(ということは、天が原因はそれであると教えてくれているんですから)ソロソロ結論づけてもいいでしょう。
あの運転手連中がやっている(責任転嫁丸出しの)エヤーか何かをブシュブシュやるあれがなくなれば、この名古屋のサイレンは止まりますね。
完全に止まらなくても、かなり減ると思います。現に、あれが少ない日はサイレンもあまり聞きません。こういうことがもう何度も起きているのです。(少なくとも嫌がらせが少なかった日に、サイレンをたくさん聞いたということはありません)
やはり、この名古屋で起きている恐ろしい現象の原因は、あの運転手連中が私にした嫌がらせであったということです。(よく考えてみれば、そこから始まったんですから、それが当たり前といえば当たり前なのですが)
どうします。それでもやめようとしませんか?
しかし、これからは、あのような嫌がらせを私にすればするだけ、そのやった人が名古屋の人を病気にしているということになります。
そのような人は、大変な罪をつくることになりますが、それでも無視して、私に嫌がらせを続けるのでしょうか。
それもまた執念ですが、私がその人に一体どれだけ悪いことをしたというのでしょう。悪いことをしてきたのはあなた方の方ではありませんか。
私は、そのような嫌がらせをしてくる人をまったく知らないのです。会ったこともない人もたくさんいるのですが、そういう会ったこともない知らない人が、私に一方的に嫌がらせをしてくるのです。
それは罪にはならないんですか?
人の噂を鵜呑みにし、それで私に嫌がらせをしてくる人も多いと思いますが、それは正しいことなのでしょうか?(その噂が正しいかどうかも分からないのにです。なぜ、そんな悪い者に鳥や魚が寄ってくるのですか?)
自分のことを棚に上げて、よく人をそれだけ悪く思えると思うんですが、そのような私に対する怒りとか(それも大分誤解されている部分があると思いますが…)ねたみとか、ひがみとかで、もうそんなことをしている場合ではないでしょう。
この名古屋で大変なことが起きているのです。この起きている現象を考えるのなら、その恐ろしい現象が止まるかもしれない方法があるなら、即座にそれを行うべきなのではないですか。少しでも人のことを考えるのであればです。(もちろん自分も危ないんですから)
「お前のいっていることが正しいかどうか分からないだろう」といわれる人は、ではそのようにいう根拠を教えてください。
これまで起きたことがないようなことが名古屋で起きているのです。そのように思う人は何を根拠に私のいうことが違うというのでしょう。このような体験をしたことがないのだから、それが正しいかどうか分からないでしょう。
私は自分なりに何度も実験して、そうして、これがなくなれば、このような恐ろしい現象は名古屋に現れなくなるといっているのです。
私に逆らう人は、何か自分で試したことでもあるのですか?それとも、このような体験をしたことが前にもあるとでもいうのでしょうか?(そういう体験でもあれば、どのようにこの現象を抑えればいいか分かると思いますが)
しかし、このような体験をした人は多分いないと思います。では、この現象はどうしたら止まるのか分からないでしょう。
そうであるなら、私が試したことを試されたらどうですか。他にこの名古屋のサイレンを止める方法などないのですから。
この名古屋の現象が止まるなら、とりあえず名古屋の人たちは救われることになります。
やってみる価値はあるし、逆にやらないとだめでしょう。このまま同じようなことを続けていても同じようなことしか起きないからです。
毎日、多くの人たちが病を発症しているのです。もう自分の感情だけで動いている場合ではないでしょう。一刻も早く、このサイレンが収まりそうなことがあるなら、それを試すべきではないでしょうか。
そうこうしているうちにも、また誰かが病を発症しているからです。
とにかく現在の名古屋は大変なことが起きているのです。その自覚を名古屋の人、一人一人がもっと持つべきであり、このような(自分では)どうにもならないことが起きてきた時は、人のせいなどにするのではなく、これまで自分がしてきたことをもう一度よく反省して、神に「どうぞ、お助けください、お救いください」と祈るべきなのです。
それ以外で救われる方法などないからです。(この現象は人の力で起きているものではないのです。神の力で起こされているものだからです)
それなのに、そのような態度を取る人はほとんどいません。(ゼロではないでしょうが)
これほどの現象が現れているのです。もう神に頼るしかないのではないでしょうか。
それなのに、誰も神に頼ろうともせず、同じような生活を続け、この現象の恐ろしさ、神の恐ろしさを知ろうともせず、人のせいにして怒っているだけなど、言語道断なのであり、どれだけ神に対し不遜な行為をとっているのか分からないほどです。(そのような不遜な心を反省しろと神はいわれているのですから)
神に祈る祈らないは別にしてとりあえずです。人の噂に惑わされ、人に一方的な嫌がらせをするのはやめられたらいかがでしょう。
もしかしたそれが(もしかしなくてもそれでしょうが)この名古屋に現れた恐ろしい現象の原因であるかもしれないからです。
追伸…今日は園頭先生が、この世に出生された日であり、亡くなられた日でもあります。
この日は、いつも自分は正しく法を説けているのか反省する日でもあり、園頭先生のことを改めて思いだす日でもあります。
現在の名古屋は恐ろしい現象が現れているただ中にあり、このような現象を見るにつけ、園頭先生が今この世にいられたらとつくづく思います。(名古屋に、ここまで激しい現象が現れることもなかったと思うからです。また、このような現象の、しっかりした対処方法も教えていただけたと思うからです)
しかし、それをいっていても仕方ないでしょう。このような現象一つ一つが私たちの心の勉強であるからです。
これからは法を知らないと、生きることさえ困難な時代となっていきます。この名古屋の現象一つとっても、それはよく分かると思います。
間違った行いをすれば、すさまじいまでの恐ろしい現象が現れるからです。(最近の激しい天変地変もそうですが)
それなのにまだ多くの人は二十世紀の心のままなのです。(これだけ起きて来る現象が違っているのにです)
「早く法を多くの人に伝えねばならない」今日という日を迎えて、また改めてそう思いました。



人目の訪問者です。

昨日のクレームの話。
私の勤務する会社は一般的にいうとメーカーであり会社で作られる物は、業界でもTOPを競うのであります。そしてそのメーカーとしての宿命なのか、顧客から入る些細な話も社内では死活問題として取り上げられるのです。その中でこれまで随分と気苦労をしてきました。しかし今回の私は、このブログのお陰で昨日のブログでも書き込んだ対応を実践しているので、心は以前とは比較にならないほどです。しかも出勤した今朝は、ふと心に思った「ここで共に働く仲間」に対して仕事中ではありましたが、感謝と祝福の祈りをしました。この輪がもっと広く広がってゆけたらいいなと思いました。
その通りですね。頑張ってください。