3月 03 2015
名古屋と他の地域の人々の差
川崎で起きた中学一年生の殺害事件ですが(この事件も、もう少し回りに愛があったなら起きなかった事件です。この法が拡がっていれば、防げた事件だったのではないかと思うと本当に残念です)その犯人の十八歳の少年が「取り返しのつかないことをした」といっているそうですが、やった後では本当に取り返しがつきません。
取り返しがつかなくなる前に気づかないといけないのです。
それは名古屋の人たちも同じでしょう。これほどの現象が現れているのです。取り返しがつかなくなる前に(自分に現象が現れる前に)気づかれたらどうでしょうか?
もちろん神の心にです。
しかし、本気で思っているんでしょうか。このサイレンは私が原因であるとです。
昨日もひどかったですからね。大人から子供まで、そこら歩いていると目の敵にされます。(くだらないちょっかいばかりかけてきます)
何度もいいますが、因果応報という言葉は誰でも知っていると思います。人にやったことは自分に返ってきます。そういうことが起きる前に、これもまた気づかれた方がいいでしょう。
そういうくだらないことをしてくる人に、最近は「何でそんな悪い者に鳥が寄ってくるんだ」ということにしているんですが、それを聞くと十人が十人、体をビクッとさせるか体が固まりますね。(笑)
そうして、それを聞いてもなお何かしてくる人もいれば、無視していってしまう人もいます。しかし、一人として、その質問に答えてくれる人はいないのです。
なぜでしょう。多くの人が私は(人を病気にさせるなどの)悪いことばかりしていると思っているはずです。
そんな悪いことばかりしている者になら、どのようないい方にせよ、やり込められるはずなのに、一人として私に意見した人はいません。そのような簡単な一言にさえいい返せないのです。
そうして逆に私の方が「何で自分が知らない人間を次々に病気にさせるんだ。そんなことをしても恨まれるだけだろう」とか「鳥や魚が寄ってくるということは釈尊やキリストにも起きていたことだけど、そんな釈尊やキリストと同じ奇跡が起きている者に嫌がらせなんかして大丈夫か?」とか「本当の神の業が現れているのに、正しい祈りも正しい信仰も知らなくて大丈夫ですか?私の祈りは天まで動かしますけど、聞きに来なくていいのですか?」とか散々いっているのです。
悪いことばかりしているはずの私の方がいいたいことをいい、悪いことをしていないはずの私に一方的な嫌がらせをしてくる人たちの方が(一方的な嫌がらせって悪いことではないんでしょうか?)何一ついい返せない(普通なら逆だと思うんですが)何でこんな逆転現象が起きているんでしょうか?
まったく不思議ですね。これでは第三者が見たら、くだらない嫌がらせばかりされている私の方が正しい人のように思えます。
マァ、このような人たちの態度が物語っています。正しいのは私で、正しくないのは私に嫌がらせをしてくる人たちなのです。
それは、誰が見ても分かります。いい返しても勝てそうもないから誰もいい返さないのです。それだけのことです。(「うるせえ」とか「なにいっとる」とかはいわれたことがありますが、そういうのはいい返しているとはいいません。単に怒っているだけです。先に嫌がらせをしてきたのはそっちの方なのに勝手なものです)
いつまで意地を張っているのですか?もう自分たちが悪かったと認められてはいかがでしょうか?そうしなければ名古屋は救われないからです。
私がいっていることは正しいのではないですか。現に、最近はサイレンが減りました。私にブシュブシュやる運転手が減ったからです。
こういうことが起きているのですから、もうお分かりいただけると思います。私が人を病気にさせているわけではないということがです。
私が祈って病気になった人がいるならば、それは、その人が病気になるだけの理由があったのです。その人は、病気にならなければいけない心であったということです。
決して、私が祈ったから病気になったのではなく、元々、その人には病気になって反省すべき点があったのであり、その気づきの現象が私が祈ることにより現れたにすぎないのであり、もし私が祈らなかったら、もっとひどい現象がその人には後に現れることになったのです。
そうして、私に嫌がらせをしたばかりに不幸になった人がいるのであれば、それは法を説いている者に、そのようなことをするのはどれほどの罪か知れないと、多くの人に知らせるため、それもまた天がそのような現象を現せたのであり、これもまた、その人だけではなく多くの人への気づきの現象なのです。
そのようなすべて天が起こされている現象を、たった一人の者が、小さな自分の考えで感情的に起こしていると勘違いしているのが、名古屋の人たちであり、そんなたった一人の者の祈りで、大勢の人が病気になるなどありえないことなのです。(一人や二人の者を、病気させるということなら誰にでもできますよ。例えば丑の刻参りとかすればです。しかし、そんな人を呪うような祈りなどすれば一発で自分も終わりです。人を病気にさせるような祈りなどすれば、自分も病気になるからです。私に何も起きないということが、私が人を病気にするような祈りなどしていない証拠です)
それは、名古屋の人たちも分かっている人が多いのではないでしょうか。それが分かっているから、私のいうことに誰一人反論できないのです。
もうこのような天の意志が、神の業が次々に現れる時代となったのです。
そうであるなら、その時代に合わせた行いをするしかないのではないでしょうか。時代が変わったのなら、そのような時代に合った生活をする以外、自分たちが幸せになる方法はないからです。
何も、神の業が次々に現れているのは名古屋だけではありません。ここ数日の北海道などの荒れた天気はどうでしょう。このような異常気象は日本全国に及んでいるのです。
この日本に次々起きる異常気象、これもまた神の業なのです。
この神の業は日本全国にも、そうして世界にまで現れ始めているのです。
ただそれに多くの人が気づいていないだけで、一つの都市で、多くの人がそれに気づいているのは名古屋の人たちだけなのです。
お分かりいただけるでしょうか。私が、名古屋の人たちが立ち上がらなければいけないという意味がです。
こういう現象を神の業だといって、笑わないのは名古屋の人たちだけなのです。それ以外の地域でこんなことをいえば、ほとんどの人が笑ってそれを信じないのです。
神の業を神の業と理解できず、ただの自然現象としか思わないからです。
では、何で名古屋の人は笑わないのでしょう。何で多くの人が異常気象を神の業と理解出来るのでしょうか。
それだけ分かりやすい神の業が名古屋に現れたからであり、それほどの業が現れたお蔭で、名古屋の多くの人が(異常気象をただの自然現象とは思わず)本当の神の業と理解することが出来たのです。
これだけの分かりやすい神の業が名古屋に現れたから、これだけ多くの名古屋の人たちが神の業を神の業と理解することが出来たのであり、それが理解出来たのであれば、もう、神の心を実践するなら、この神の業(異常気象)は現れなくなるということも分かるはずです。
神の心を実践すれば、恐ろしい神の業は起こらなくなる、そこまではまだ気づいている人は少ないのでしょうが、しかし、このサイレンが減ってきたことでもそれは分かると思います。
神の心を実践すれば、恐ろしい神の業は起こらなくなるのです。
名古屋の多くの人が神の業には気づいています。(こういうことは他の地域ではあり得ません。これだけでも心の面で、どれだけ名古屋の人々が進んでいるのか分かります)
あとは「神の心を実践する」そうすれば、この恐ろしい神の業は現れなくなるのです。
やっとここまで来たのです。くだらないことをいつまでも続けるのではなく、神の心を実践されてはいかがでしょうか。
そうすれば今度は、名古屋に奇跡が続出するからです。
奇跡が続出するならば名古屋から、日本のみならず、世界を救うことが出来るようになるからです。



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