3月 24 2015
中道への目覚め
もう少し中国のことを書きましょう。
今度中国は、抗日戦争勝利七十周年パレードを大々的に行われるそうですが、そのパレードに安倍総理の出席も打診しているそうですね。
しかし、お国柄の違いと申しましょうか、小国が大国に勝利したというのであれば、そのようなパレードをする理由もまだ分かるんですが、大国が小国に勝利したことを、なぜそれほど大々的に祝う必要があるのでしょう。(勝って当たり前なのですから、かっこ悪いだけのような気がしますが…?)
しかも、その大国が小国に勝った戦勝パレードに、その負けた国の総理大臣を呼ぶというのですから、ちょっと神経が分かりません。
勝って当たり前だった戦争に勝って、なおまだ、負けた国の総理まで呼んで、それで一体何をされようというのでしょう。
そこでまた過去を思い出して、日本の総理をけなそうとでもいうのでしょうか?(まさか褒めるために呼びはしないでしょうから)それとも、総理に頭でも下げさせるつもりなんでしょうか?(かさにかかって、そのようなことをするのもまた、かっこ悪いだけのような気もしますが)
日本は小国でありながら、大国であった清、露に勝利した過去がありますが(どなたもご存知だとは思いますが日清、日露戦争です)特別その勝利を、大々的に祝おうなどとは思いません。
その戦争の悲惨さをよく知っているからです。
自国の多くの軍人が命を落としただけではなく、他国の軍人たちの多くも命を落としたことを悲しみ、とても戦勝の祝いなど出来ないからです。
ずいぶん、中国と日本では、その考えが違っていますが、日本とはこういう国なのです。
自国の人間だけではなく、他国の人間も同じように見て、そうしてその人たちの不幸を同じように嘆き悲しむことが出来る、心優しい人が多いのです。
それはもちろん、日本の国民だけがそうだとは思いませんが、そのような優しい心の人が多い日本を、かさにかかっていつまでも「お前の国は悪いことをしたのだから謝れ」といい続けることが、大国のやることでしょうか。
また、そういういい方をされ続ければ、心優しい人が多い日本ですので、それは謝り続けるでしょう。現に日本は戦後、五十年も六十年も謝り続けているではありませんか。
それなのに、まだ謝れとは、ではどれだけ謝れば気が済むのですか?
いっていること、やっていることが、あまりに度が過ぎていると思われないでしょうか?
中国は大国ではありますが、未だ中華思想がその根底にあるのではないでしょうか。もし、そのような心は少しもないといわれるなら、今度行われる抗日戦争勝利七十周年パレードなど行われるはずがないからです。
大国が小国に勝利するなど当たり前のことであり、それを大々的に祝うなど普通はしないでしょう。自国がどれだけ弱かったか、それを世界に宣伝するようなものだからです。(それとも、日本がそれだけ大国であったと認めていられるわけですか?それなら分かります。そんな大国に勝利することが出来たということで祝うということがです)
それに、そのパレードに負けた国の総理を呼ぶというのもそうです。それは必要以上に自国を誇示したいだけであり、このような態度を知れば知るほど、自国を中心にしか考えていない『中華思想』の発想しか私たちには見えてこないのです。
あまりに日本と中国ではやっていることが違っているのです。しかも極端にです。(中国はあまりに自国に走りすぎ、日本はあまりに他国の言葉を聞きすぎてです)
私は日本も悪いが中国も悪いと思います。
なぜなら、この両国はどちらも中道のやり方をしていないからです。どちらも、やっていることが偏っているからです。
片方は自国に走りすぎ、もう片方は他国の意見ばかり聞いているのです。
こんなの中道でも何でもありません。こんな偏ったことをしているから、いつまでたっても調和しないのです。
釈尊がいわれた『中道』はどのような場面にもいえることなのです。(この世の法則ですから)お互いに中道のやり方をして、そうして初めてそこに調和が生まれるのです。
この中道に沿ったやり方をするならば(それは即ち法則に沿ったやり方ですから)そこに調和が生まれ、そこに調和が生まれるなら、そこに奇跡も起きるのです。
日本中国ともにです。ソロソロ中道に目覚める時が来ているのではないでしょうか。



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