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3月 29 2015

天上界と地獄界

10:55 AM ブログ

最近、私が歩いているとウロウロするお年寄りが増えたような気がします。

私が道を歩いていると、そこらじゅうで鳥が鳴きますので、すぐに私がいると気づかれるのですが、少し前までは、そのように私がいると気づいて出てくる人は、百パーセント嫌がらせをしにくる人ばかりでしたが、最近はそういう人ばかりではなさそうです。

何か聞きたそうな顔でこちらを見ている人も多いからです。(そういう人はお年寄りがほとんどですが、しかし、そういう人の中でも、まだ半分くらいのお年寄りは怒っていますね…半分以上かな?)

お年寄りは死がまじかに迫っているのです。切実でしょうね。(これまでやってきた信仰がまったく意味がないかもしれないのです。本当に切実でしょう)

そういう諸々のことが(信仰などのこれまでの間違いが)名古屋の人たちは分かってきたのです。

いつまでも怒っている場合でしょうか。(特にお年寄りはそうでしょう。残された時間が少ないのですから、もう怒っている場合ではないでしょう)

今の(心の)ままでは地獄に行く人がほとんどなのです。どうされるのですか?まだお前が悪いと怒って嫌がらせしているだけなのですか?

その悪い私がいたから、いろいろな間違いが分かったのです。少しは感謝されてはどうでしょうか。

それに、その悪い私しか、天上界に導ける人がいないのです。(誰か他にいますか?天上界に導ける人がです。今までの信仰が間違いだと分かったんですよね。〔名古屋の人はですけど〕)

それでもまだ私に嫌がらせをし続けるのですか?

すべての人に寿命はあります。誰もみな遅かれ早かれ死んでいくのです。

その死後の世界が、天上界に行くのと地獄界に行くのとでは、本当に天と地の差があるのです。

このような天上界も地獄界も多くの人たちは、体験として知っているはずです。ほとんどの人たちが、夢の中で、そのような場所に連れられて行ったことがあるはずだからです。

私もそのような体験があります。

私の体験を少し書きますと、天上界に行ったと思われる夢を観た時は、あの教育研究会未来をやめようと思った時のことです。

その日私は、未来の幹部と大ゲンカをし(園頭先生のことでです)もうこの会をやめようと思ったその夜のことです。不思議な夢を観たのです。

その夢の中で私は、ある簡素な家の中にいました。その家の窓から外を見ると真っ青な空が広がっていて、太陽の光もその窓から入ってきています。

部屋の中は畳がひいてあって床の間があるだけでした。部屋の中には何も飾っていないのですが、ただ一つ、その床の間にある柱に一輪花が飾ってありました。

普通であれば「殺風景な部屋だな」と思うはずですが、その一輪飾ってある花が妙にきれいで、その花があるだけでその部屋の中が安らぎ華やいでいます。

「ここは心が安らぐ場所だな」と思っていると、目の前に、その当時の未来の名古屋の支部長さんが座っていて「君はこの未来をやめようとしているが、まだ未来をやめてはいけない」と私にいうのです。

私は「まだ誰にも未来をやめることはいっていないのに、何でこの人それを知っているんだろう」と不思議に思っていましたが「支部長がそういわれるなら」と考えを変えたところで目が覚めたのです。

目が覚めた後も心は安らいでいて、あれは天上界に行っていたのだなと実感しました。(この時、未来をやめなかったことで、あの癌で次々に未来の人が亡くなるという現象を体験したのです)

このような天上界に行った時の夢と比べ、地獄界に行った時の夢を観た時の気分の悪さといったらどうでしょう。

地獄界に行ったと思われる夢は、虫だらけの洞窟に行ったり、墓場のようなところで婆さんに追っかけられたりするような、そんな夢でしたが、その場所の雰囲気の悪さや恐怖感といったらありませんでした。

これは私だけではなく、このブログを読んでいる誰にも経験があることだと思います。

天上界に比べ、あの地獄界の恐怖感、劣悪な雰囲気は気分が悪いにもほどがあるのではないでしょうか。そのような場所に、今の心のままではほとんどの人が死後、行かなくてはいけなくなるのです。

ゾッとしませんか?そのような場所に人によっては数百年もとどまるのです。(自分の心を反省出来るまでです)

そのような地獄界を知るのであれば、私が「もう怒っている場合ではない」といっている意味もお分かりいただけるのではないでしょうか。(それでも、そういう想像ができない人は、最後まで怒っているんでしょうが)

すぐにでも、この法の勉強を始めないといけないし、この法に合わせて自分の心を反省しないといけないのです。

そのような反省をして、自分の心をきれいにして、そうして(法に照らして)自分の心と行いを変えて、ようやく天上界に行ける準備が整うのです。

それを知るなら、今現在、天上界にストレートでいける人が果たしてどれくらいいるのでしょうか?

だから、特別、法を勉強しなくても、そのようなことがすでに出来ている人なら、それはかまいません。その人は地獄界に行くことなく天上界に行けるからです。

しかし、それくらい心が出来ている人なら、私のように鳥や魚が集まってくる奇跡も起きています。鳥が一羽も寄ってこないようでは、自分が天上界に行けるような人とはとてもいえないでしょう。

名古屋のお年寄りの人たちが切実なのはよく分かります。(名古屋にいたから分かったんですからね。自分たちのこれまでの信仰が意味がなかったと)では、そんな何か聞きたそうな顔をしているだけではなく、実際私に聞きに来てください。(「どうしたら救われるのですか」でも「法を勉強したいのですが」でもなんでも結構です。現時点で出来ることを話させていただきますから)

そうしないと救われないからです。

人にいわれたから、あるいは仕方なくではダメなのです。自分で疑問を持って、本当に救われるにはどうしたらいいのか、自分で確かめないと、自分は救われないのです。

法はすべて自力です。他力本願ではありません。(他力では救われないからです)自力本願なのであり、自分を救えるのは自分しかいないのです。(私は単にアドバイザーにしかすぎません)

もう現在の信仰では救われない、今のままでは天上界に行けそうもないと実感している人は多いと思います。(特に名古屋の人は)

では、どうされるのですか?

一歩踏み出す勇気が、自分自身を救うのです。

追伸…プロ野球が始まりましたが、どこかの球団、予想以上のつきのなさですね。(何せ、開幕戦、二戦目ともにサヨナラ負けですからね。開幕戦など勝ててた試合ですし)しょっぱなからこんなこと、球団史上初の出来事だそうですが、こういうことになるのです。

法を説く人に嫌がらせなどすれば、一変に天がソッポを向きます。そうなると、こんなつきのない試合が続くのです。

名古屋は、そのようなつきのない人が続出中なんですが(何せ、私に嫌がらせする人が続出中ですから。〔苦笑〕)このようなつきのない現状を打破するためにも、私に詫びを入れ、そうして少々の寄付くらいされてはどうでしょう。

そうすれば、つきもよくなり、よい成績も上げられるようになるからです。(そういうことをするなら天も協力するからです)

名古屋の有名球団が、それを真っ先にやって成績がよくなるなら、名古屋の人たちもまねする人がたくさん出てくると思います。ぜひ、名古屋の人たちを救うためにも、それをしてください。

などと書いたところで、どうせそんなことするわけありません。この球団、やはり私がいった通り、今年はBクラスでしょう。(下手したら最下位かもしれませんね)

そのような調子が悪い球団に比べ、サッカーの日本代表チームは調子がよさそうです。あの監督は期待できるそうです。サッカーの日本代表チームは頑張ってほしいですね。

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