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4月 08 2015

私に対する濡れ衣

11:03 AM ブログ

だいたい、これだけ鳥や魚が寄って来るという奇跡が現れている者が、悪い人間のわけがないでしょう。それだけ動物が寄ってくるということは、それだけ愛があるということなんですからね。(こればかりはまぎれもない事実でしょう)

そんな愛がある者が悪いことばかりしている(人を次々に病気にさせている)と思うこと自体、矛盾した考えのように思えますが、なぜ、名古屋の人はそんな噂を信じるのでしょうか?(あの愛を説いたキリストが、人を次々に癒すのではなく、人を次々に病気にさせているといっているようなものなのです。どう考えてもおかしくないですか?)

少し考えただけでも、その噂のおかしさは(私に鳥や魚などが寄ってくることを知っている人なら)分かりそうなものですが、それが分かる人がほとんどいないというのですから、人の噂の恐ろしさは計り知れないですね。(苦笑)

しかし、よく考えてみてください。そのような私の噂をしている人で、私のことをよく知っている人は一人もいないのです。私のことをよく知らない人が、さも私のことをすべて知っているかのように、あいつ(私)が悪いというのです。

それはどう考えてもおかしいでしょう。そういうのはただの悪口というのではないでしょうか。

名古屋の人たちなら分かるはずです。私はただ歩いているだけなのです。ただ歩いているだけなのに、いきなり走ってきたトラックやバスなどに、でかい音をたてられるのです。(たまたまや偶然ではありません。意識してそのようなことをしている、それはその場面を見ている人なら誰でも分かると思いますが)

そのようなことをしていく、ほとんどの人は(というかほぼ全員でしょうが)私と会ったこともなければ、話したこともないのです。

そういう私のことを全然知らない人が、よってたかって私に嫌がらせをしていくのですから、そういう人たちはずいぶん悪いことをしていると思わないでしょうか?

私のことをよく知っていて、そうしてあいつは悪いことばかりしているとか、あいつに嫌なことをされたとか、そのような理由がある人が私にそういう嫌がらせをしていくというなら、まだ話も分かりますが私のことなど全く知らない人が、人の噂だけ信じて、その人を悪者と思いこんで一方的に嫌がらせをしていくのです。

これはどう考えも、やられる方よりもこういう一方的なやり方をする方が悪いと思いますが、こういうのを悪行とはいわないのでしょうか。

仮に私が、その人たちが思っている通りの悪人だとしても、そのようなやり方は正しいとはいえないでしょう。それなのに、この人たちは、私が本当にそんな悪いことをしているのかどうか、自分でしっかり確かめようともせず(一人もいませんね。私に直接話をしに来た人など)単に人の噂を鵜呑みにして、そのようなことをし続けているのです。

それを考えればです。この人たちのしていることは『悪行』以外の何ものでもないでしょう。

本当にその者が悪いことばかりしているのか、それもはっきり分からないのに(誰一人、私に確かめた人がいないんだから、はっきり分かるわけありません)ただ人の噂を信じてその者を悪人だと思いこみ、その者によってたかっての嫌がらせです。

そういう悪行を、この人たちは何年にもわたって続けているのです。

では、そんな悪行を続けているこの人たちに天罰は下らないのでしょうか?

このような人たちに何も起きなければ逆におかしいでしょう。このような人たちは、天罰を食らっても仕方がないとは思わないでしょうか。これほどの悪行をもう何年も続けているからです。

これを、そんなに悪いことでもないだろうと思う人は、このことを自分に置き換えて考えてみてください。こっちが知らない人から次々に嫌がらせを受けるのです。(それも毎日です)

そんなことをされたら、ほとんどの人が気が滅入り、うつ病になる人も出てくるでしょう。人一人が、うつ病になってもおかしくはないほどの悪行を平気で続けているのです。

この運転手の人たち、ずいぶん悪いことをしていると思わないでしょうか。

その自分たちがした悪いことのせいで、自分たちに悪いことが起きたのに、その自分たちがしている悪いことは一切認めず、悪いことが起きたことだけを全部、私のせいにしたり、あるいは、病気など誰だってします。(だって、この法がない世なのです。誰だって悩みは多いでしょうし、飲みすぎや食べすぎなどの不摂生、それに年とともに体が弱る人もいるでしょう。病気になる理由などいくらでもあります)

その誰だってする(これも自分の責任なのですが)病気などの悪いことを、これまた全部私のせいにしたり、そのような諸々の悪いことをごっちゃにして、そういう悪いことは全部あいつのせいといわれているのが、今の私の噂でしょう。

直接その噂を聞いたことはありませんが、あの私を見た人のギョとする顔とか、凄い嫌な顔、あるいはコンビニなど行って、お釣りをもらう時に、手が震えていたバイトの子もいた、そのような態度を見れば、そのぐらいの噂はいわれている思います。

しかしその噂は、あっちこっちの悪いことを全部私一人のせいにしているものなのであり(私が祈るから、このように不幸な人が次々に出るとかいってです)完全な間違った噂でしかないのであって、人が(私が)人を不幸にさせているわけでは決してないということです。(そんな人を不幸にするような祈りをしたら、一変で自分も不幸になります。そんな祈り出来るわけありません)

その人が不幸になるのは、なるだけの理由が、その人にあるのであって、私の噂は、その自分たちがした悪いことは少しも入っていないということです。(だから、私が一方的な悪者になっているのです。自分たちがした悪いことは一切いわないからです)

もっとよく考えてみてください。そんなに次々に人を病気にさせることが出来る人など、これまでの長い歴史を見ても存在しないのです。

では、私が人を祈って次々に病気にさせているなどという人は、これまでの歴史上でも存在しえない化け物のような人間が、現代に現れたとでもいうのでしょうか?

そんな話は絵空事以外の何ものでもないのであって、私のことを悪くいっている人たちは、自分たちの悪いことは棚に上げ、諸々の悪いことを私一人のせいにしているだけなのです。そのようなまともな常識さえない非常識な人たちなのです。(ありえないことをいうのですから非常識ですよね)

その私の悪口(噂)をいっている人に、鳥や魚が寄ってくるのですか?その人に奇跡が起きているのでしょうか?

その人に、そのような現象が起きているというなら、その人のいうことを信じてもいいのでしょうが(それだけことが起きているなら、それだけその人は愛があり、心もきれいであるということですから)しかし、そういうことが一切起きていないのであれば、そのような人の話を鵜呑みにしない方がいいでしょう。

そのような現象が、まだその人に現れていないのであれば、その人はまだ愛が少なく、それほど心もきれいではないからです。

起きる現象に嘘はありません。しかし、噂は正しい噂もあれば正しくない噂もあるのです。

何度も書きますが、この鳥や魚が寄って来たり、人を癒したりする奇跡は(私も祈って病気がよくなった奇跡を体験しています)釈尊やキリストにも起きているのです。

では、その釈尊やキリストと同じ奇跡が起きている人を、信じた方がよいのではないでしょうか。

これも何度も書きますが、その起きている奇跡に嘘はないからです。

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