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4月 12 2015

間違いを認める勇気

10:50 AM ブログ

何か大変みたいですね。(どこかの会社ですが)

昨日も、昼の少し前に急に怒り出してガンガンやる人がいましたが、それから様子がおかしくなり、明らかに何か起きたようでした。

あの会社、先週は昨日だけではありません。毎日様子がおかしかったので、毎日のように何か起きているのではないでしょうか。

もし、そうであるならずいぶん恐ろしことが起きているようです。(あまりに毎日起きていることが私と違いますね)

それでも私に怒って嫌がらせを続けているのです。どれだけ天罰が下れば分かるのでしょう。あまりに哀れです。そのような(心と)行いが、恐ろしい災いを生んでいるというのにです。

この会社だけではありませんが、そういう人たちはこの辺りにたくさんいますし、運転手連中でもそうです。私の顔を見れば嫌がらせをしてくる人がいます。そのような人たちの中にも天罰が下っている人がいるというのに、それでもまだ嫌がらせを続けているのです。そのような人たちもあまりに哀れです。

この人たちこのようなことを、なぜし続けているのでしょう。本当に自分たちが正しいと思ってこんなことを続けているのでしょうか?私のいうことに何一つ反論できないにもかかわらずです。

それに、このような人たちは、私に鳥たちが寄ってくるということも知っているのです。

私のいうことに何一つ反論できず、私に釈尊やキリストと同じ奇跡が起きていることも知っていて、それでもまだ私に嫌がらせをしてくる、このような人たちは一体何を考えているのかということです。

答えは簡単ですね。

この人たちは単に自分たちの間違を認めたくない、ただそれだけなのです。

このような人たちは、もう自分たちが間違っているということを知っているのです。知っていながら、それを認めようとはしないのです。絶対にそれは(それだけは)認めたくないからです。

なぜ認めたくないのか?それを認めてしまうと、自分たちは大変な間違いをしていたということになります。だから、それが出来ないのです。プライドが許さないからです。

だから感情的になるのです。こういう人たちは、自分の間違いを素直に認めることが死んでも嫌だという、お山の大将、裸の王様タイプが多いということです。

このような人たちは、そのような性格だけではなく、私に対するねたみやひがみもあります。それに私にそれだけ嫌がらせをしているのなら、人に対しても私のことをボロカスいっているでしょう。

自分の性格や、私に対し面白くないのはもちろんですが、自分のいっていたことが間違いであったと分かると、そのボロカスいっていた人たちにも顔が立たなくなります。

それで私がどれだけ自分が正しいという主張をしても、またそのような証拠(釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているのですから、これ以上の善人という証拠はありません)を見ていても、それを認めようとしないのです。

そのような私のいっていることの正しさや証拠よりも、自分の意地と見栄の方がはるかに大きいからです。

私に嫌がらせをし続けている人たちの多くは、そのような自分の意地と見栄のためだけに、未だ私に対し嫌がらせをし続けているのです。(本当に私が悪いと思っている人もいるにはいますが〔人の噂だけを信じてです〕もうそれほど多くはないと思います。これだけブログや辻説法をして、鳥が寄ってくるという奇跡まで起きているからです)

そうして、このような(小さな)考えで、私に嫌がらせを続けていれば天罰も下るでしょう。しかし、その天罰さえ私のせいにして(あいつが祈ったからこうなった)そうして私の悪口をいい、嫌がらせ続けているのがこのような人たちなのです。

このような人たちは、自分の意地と見栄と責任転嫁までして私を悪者にし続けているのです。こういう人たちの罪は重いと思わないでしょうか。(重いでしょう。この人たちが自分の間違いを認めず私の悪口をいい続ければ、私はずっと悪者と多くの人に思われ続けてしまいます。自分の間違いを認めるのが嫌で、罪のない者をずっと悪者にし続けるのですから、どれだけ罪が重くなるのか分からないくらいです)

こういう人たちに比べ、では私は何をしているのでしょうか。

神があること、あの世があること、人は永遠の生命であるということをはじめとして、様々な高橋先生、園頭先生から教えられたことを伝え、釈尊やキリスト、モーゼという方はこのような奇跡を起こされた、ということを実際に現し、釈尊やキリストに現れていた奇跡を動画に撮って、多くの人々に公開しているのです。

人からどれだけ嫌がらせを受けても、それを嫌がらせで返すということはなく、祈りと説法で返しているのです。(その祈りまで悪くいわれていますが、何度もいいますが、私は人を呪う祈りなどしたことはありません。すべて、その人のためになる祈りをしているのです。その祈りの結果ばかり〔悪い結果ばかり〕いいますが、私が祈り、よい結果〔奇跡〕が出た人もいます。私の祈りは、どの人に対しても同じです。その祈られた人の心次第なのです)

私のお蔭で、心が救われた人はたくさんいるはずです。そうして、知らないことを知った人もたくさんいるでしょう。私は、そのような人が増えていくことを願い、毎日そのための努力をし続けているのです。(このブログや辻説法、昨日のような動画まで公開していることでも、その事実はお分かりいただけると思います)

自分の意地と見栄だけで(そうして責任転嫁までして)人を悪者にしようと嫌がらせを続けている人たちと、人々に多くのことを伝え、奇跡の現象まで現し、一人でも多くの人を救おうと努力を続けている私と、一体どちらが善人なのでしょう。

私には奇跡が起き、私に嫌がらせを続けている人たちには災いが起きていることが、その答えであると思います。

私に嫌がらせを続けている人たちは、自分の間違いを認める勇気をもってほしいと思います。

その勇気がなければ、一番不幸になるのは結局自分自身であるからです。

2コメント

2 コメント to “間違いを認める勇気”

  1. ウナッシー2015/04/12 at 11:33 AM

    ようやく世の中のことが分かって参りました。
    昨夜もPCでニュースのツイートを見ていましたが、例えば万引きなどは悪いことだからいけない、迷惑が掛かるからいけないとありましたが、そんなことは良い人がするわけがなく、元々心が病んでいるから事を起こすのであるのに、大人の思考が逆転しているそんなツイートばかりです。本当に厳しい世の中なのだと実感してきました。

  2. gtskokor2015/04/12 at 1:33 PM

    法を知らないと表面上しか見ませんからね。
    しかし、あまり真剣にそういうツイートを読んだことはありませんが、あまりよいツイートを見た記憶がありません。
    多くの人の目に触れるものはよいことを書いた方がいいのです。多くの人の目に触れるということは、それだけ多くの人の心に影響を与えるということになりますから、それだけ徳を積むチャンスだからです。
    せっかくの徳を積むチャンスに罪をつくっていては話になりません。
    徳を積む努力は忘れないようにしたいものです。

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