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4月 16 2015

天上界と地獄界に往く人の違い

11:11 AM ブログ

昨日も長野県で突風が吹いたり、あちこちでカミナリやヒョウが降ったりと荒れた天気になりました。

今日は比較的安定した天気になるそうですが、それもつかの間のことで、またすぐ不安定な天気に戻るそうです。

おかしな天気が続いています。

そのような天気ばかりか、こちらのおかしな現象も続いているようです。

昨日も何か起きたみたいで、朝からやけくそ状態です。(どことはいいませんが)

しかし、もうどうしようもないでしょう。何をいっても聞かないのですから。(聞かないですよね。それとも気が変わった人でもいますか?)

どちらにしても、日本もこの辺りも、私のいうことを聞こうとしないのなら異常現象は起き続けます。(それは、今のままではいけないという気づきの現象なのですから)

気が変わった人がいるようなら、そのような人から私にご協力ください。この教えを勉強すればするだけ自分も幸せになり、幸せになる人が増えてくれば、日本に起きている異常現象も減っていくからです。

現に私は異常なことなど起きていません。よい意味での異常なことは起きていますが、それは心が癒されるのですから、異常とはいわないでしょう。

それは奇跡というのです。

家で、犬や猫などのペットを飼っていて、その犬や猫に癒される人はたくさんいるようですが、私の場合、そこらじゅうにペットがいるのと同じ状態なのです。

道を歩いていれば、あちこちからすずめや他の鳥が飛んできて「ピィピィ」鳴いてかまわれます。これは家で鳥を飼っているのと同じですし、川など行けば魚が寄ってきて跳ねています。これは魚を飼っているのと同じです。

おまけにコウモリやカニなどにもかまわれ、水族館や動物園に行けば、そこにいる動物たちにもかまわれるのです。

道を歩いているだけで、家でペットに癒されているのと同じ状況になるのですから、これだけ安らぐこともないわけです。(それだけ癒されても、人がいるとおじゃんですけどね。すぐに嫌がらせをしてきますので。〔苦笑〕)

例えば名古屋だけ考えても、法を勉強している私は、道を歩いているだけでドンドン心が癒され、法を勉強していない人たちは(例えば、どこかの会社の人たちなど)いつ自分が病気になるのかヒヤヒヤで、それを人のせいにしていますので心は怒りに満ちています。

法を勉強するかしないかで心の中はこれだけの差があるのです。

心にこれだけの差があるなら、一方は天上界に往き、もう一方は地獄界に往く、という話も納得がいくところではないでしょうか。

死後の世界であるあの世は心の世界であるからです。そのような自分の意識が、そのまま反映される世界であるからです。

あの世は、類は友を呼ぶ(波長共鳴の法則)がまともに現れる世界であり、同じ心を持った人が集まります。怒りで心が満ちている人は、怒りで心が満ちている人ばかりのところに集まり、心が安らいでいる人は、心が安らいでいる人たちばかりのところに集まるのです。

天上界に、怒りの心を持った人ばかり集まる世界などありませんから(もちろん心が安らいでいる人たちが集まる世界はあります)当然その人は地獄界に往き、そのような人たち同士の中で、そのような怒りの心を持っていてはいけないということを悟るまで、その世界で勉強するのです。

究極の「人のふり見て我がふり直せ」の世界が地獄界なのです。(誰も自分の悪いところなど教えてくれる人はいません。全部自分で気づかなければいけないのです。地獄界は、本当に大変辛い世界であるのです)

だから私は「早く気づかないといけない」というのであるし「反省しないといけない」ともいうのです。

地獄に堕ちれば、それを嫌でもしないといけなくなるからです。今の心のままでは地獄に堕ちる人がたくさんいるからです。

今日もお坊さんが家に来てお経を上げていきました。(月一の月参りです)

しかし、このようなことをいくらしても救われることはないのです。それを多くの人はすでに知っています。

心と行いを変えれば救われる、といわれても、では、どう変えればいいのか?それが分からなければ救われる道は結局分からないのです。

だから法を学ばなければいけないのです。その救われる心と行いの変え方を法が示しているからです。

しょっちゅう怒っていては死後確実に地獄に行きます。また、間違った信仰をしたままでもそれは同じなのです。(間違った信仰をしている人は、その間違った信仰をしている人たちばかりが集まって、一つの地獄界を形成していると高橋先生がいわれていました。例えば、お経を上げることで救われると信じて死んだ人は、そう思っている人ばかりが集まりお経ばかり上げているそうです。それが間違っていると自分で気づくまでお経を上げ続けるのです。それはそれできつい世界です)

そうしてそれは、神を神と思わない人生を送った人も同じです。(日本の大半の人がそうなのでしょうが)

地位や名声を得ることばかり考えていた人は、そのような人ばかりが集まる世界に、金儲けのことばかり考えていた人は、そのような人ばかりが集まる世界に集まって、その世界で、地位や名声や金儲けをするため必死に競争をし続けているのです。(もちろん、そんな安らぎのない世界は地獄界です)

そのようなことばかりやっていることがいかに間違っているのか、神の子である人間は、神を思うことや愛や慈悲の心がいかに大事であるのか、それに気づくまで、そのような地獄界で、同じような考えを持った人たちと競争をし続けるのです。(これはスポーツなどでも同じです)

私たちの本来の目的は、自分の心を磨き広く大きく豊かにすることであり、地位や名声や金儲けは、その心を磨くための手段であって、それが目的ではないのです。(例えば、地位や名声を得るにしても周りと調和しながら地位や名声を得ていって、周りの人も幸せにするとか、金を儲けて、その儲けた金で不幸な人を救うとかです。そのようなことをすればするだけ〔周りと調和すればするだけ、自分の金で人を救えば救うだけ〕自分の心は磨かれ広く大きく豊かになっていくのです)

ところが、その地位や名声を得ること、お金を得ることを最終的な目的にして、単に自分の欲望を満たしたいだけにそれをしていては、自分の心など磨かれるわけはありません。(それではかえって心を汚すだけです。自分の心を汚すなら、その心は逆に狭く小さく貧困になっていきます)

ですから当然、その目的と手段をはき違えている人は地獄に堕ちるのです。

そのように考えれば、なぜ私に奇跡が起きているのかも分かるはずです。

私は、このブログを人助けのために書いているのです。

このブログで自分が有名になりたいとか、お金を儲けようとかいう気持ちは一切ありません。

お金がほしいのは、この法を拡げたいからお金が必要なのであり、自分がいい生活をしたいからお金がほしいわけではありません。

法が拡がれば救われる人もそれだけ増えてくるんですから、だから協力してください、といっているだけであり、私の考えは何から何まで人助けであり、愛が満ちているのです。

だから、次々に奇跡が起きてくるのです。

そのような考えはずいぶん心が磨かれていくからです。(心を磨くことをしていれば、黙っていても天は協力してくれます。だから奇跡が起きるのです。またその奇跡が私がここに嘘を書いていない証拠です)

あまり自分のことを書いていてもいけませんが、ただ、このような考えで、私のような行いをすれば誰でも奇跡は起きてくるということです。もちろん、死後天上界にも往けるということです。

奇跡が起きることと災いが起きること、そうして死後天上界に往くか、地獄界に往くことになるのか、その違いを書いてみました。

少しでも皆さんの参考になれば幸いです。

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