4月 27 2015
心の維新
ネパールで起きた大地震は凄い被害となっているようです。
二千五百人以上の人が亡くなり(新聞によっては二千八百人以上ともいわれていますが)六千五百人以上の人がけがをし、ネパールと中国にまたがるエベレストでは、その地震の影響で雪崩まで起きて、そこでも人が亡くなっているそうですが、とにかく被害が広範囲にわたっているようです。
ネパールの首都カトマンズでも大きな被害が出て、世界遺産である歴史的建造物まで倒壊してしまったそうです。
これほどの被害が出ていて、まだ世界の多くの人は気づかないのでしょうか?
何かおかしいとです。
無神論の日本はともかくです。共産圏以外の世界の人々はみな神を思い、毎日祈りをささげています。それでもこのようなことが起きているのです。
なぜ、神が存在していて、これほどの大地震が起こされるのでしょう。
そうして、その大地震で数千もの人が亡くなっているのでしょう。しかも、その神を祀ってある歴史的建造物までその地震で倒壊しているのです。
おかしくはないですか?
神が存在するなら、このような無慈悲な、そうして自分が祀ってある建物まで壊わしてしまうほどの大地震を、起こされるはずがないのではないでしょうか?
なぜこんなことが起きているのでしょう?
だから、この法を早く世界に伝えねばならないと、私は何度もいっているのです。
日本もそうですが、世界の人々もです。同じように神に対する態度が間違っているのです。だから、このようなことが起こされるのです。
そのような神に対する間違いが、はっきり分かる時代となったからです。
神を思い、毎日のように祈りをささげている人たちでも、それでもその人たちの神に対する思いが間違っているなら、神はこのような現象を現し、その人たちに気づきを与えるのです。
たとえ神が祀られている建造物であっても、形だけの物などこのように壊されてしまうのです。その建造物には、本当の神に対する正しい思いが入っていないからです。
すべて、そこに住む人々の心の在り方一つなのです。そこに住む人の心だけで、そこに起きることは天と地ほどの違いが出てくるのです。
このネパールに、私が説いている法が伝わっていたのであれば、これほどの被害は出なかったのです。
そうして、その法を理解し私と同じようにすべての動物に愛される、そのような人が五人でも十人でもいたのであれば、このような大地震も起きることはなかったのです。
そのような愛ある人たちが数人でもいれば、神はこれほどの現象を現さずとも、この(ネパールの)人たちは、いずれ本当の神の心を知ることが出来ると理解されるからです。
しかし、残念ではありますが、ネパールに法は伝わってはいませんでした。だから、これほどの現象が起こされたのです。
これからは法が伝わっていないところには、このような現象が多発することになります。何度もいいますが、そのような時代となったからです。もう本当の神の教えを知らなければいけない、そのような時期が来ているからです。
とはいえ、では法があるところにはこのような現象が起きないのか、といえば、そうとばかりはいえません。その法にあまりに逆らう人が多ければ、その場所には、もっとひどい現象が起こされることになるからです。
その法があるところに出ている人たちの、その使命は、どの人たちよりも重要であるからです。
今日も朝から、切れたようにこの法の流布のじゃまをしている人たちがあります。この人たちは切れもするかもしれません。もうこの人たち今週も自分たちに何か起きると、すでに知っているからです。
しかし、それを悟っていながら、まだ同じことをし続けているのです。何と愚かな行為ではありませんか。
世界では、このような大惨事が次々に起きているというのに、自分たちのことだけしか考えない、特別、この人たちだけではありませんが、なんとそのような人が日本には多いのでしょう。
この法が出現しているというのにです。
先ほども書きましたが、法があるところに出ている人の使命は大変大きいのです。しかし、それをいつまでたっても理解せず、自分のことばかりやっている、このような人たちもまた、まことに愚かというほかありません。
今現在、世界に二つとない現象が起きているところは日本だけなのです。(私に起きている現象ですが)
そういう現象を、横目で見ているだけで何もしなくて本当によいのでしょうか?
昨日の花燃ゆではありませんが、国を思う幕末の志士たちが動いたから、日本は変わったのです。
人が動かなければ何も変わりません。
幕末の時代は日本を変えるということでしたが、しかし現在は、世界を変えないといけないのです。
というか、幕末の志士たちは、いまでいう世界を変える、そのような感覚であったと思います。だってあの頃は、藩が自分たちの国であった時代だからです。
あの頃の日本を変えるということは、世界を変えるという感覚であったでしょう。
幕末の志士たちが、すでに持っていた感覚を、現在の日本の人たちが誰も持てないというのでは、あまりといえばあまりの心の狭さでしょう。
昨日の花燃ゆは、吉田松陰が処刑された場面をやっていましたが、その松陰の辞世の句は次のようでした。
「身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かめし 大和魂」
この松陰の辞世の句と松陰が命を捨てることにより、多くの幕末の志士たちが動き始めます。
幕末の志士たちさえ持っていた感覚を、現代の人々も少しくらいは持ってほしいと思います。なぜなら現代は、その幕末同様、心の維新が始まっているからです。(幕末は物質的な維新でしたが、現代は精神的な維新です)
人が動かなければ世の中は変わりません。しかし、日本の人々が法に気づいて、それに従い動くのであれば、世界が変わるのです。
いつまでも小さなことにこだわっている場合でしょうか。
追伸…ネパールが大変な時に、ネパールの人々が悪いから、このようなことが起きた的な書き方をしてしまいましたが、もちろんそのようなつもりは毛頭ありません。
日本の人々が、動こうとしないのは(この法を知りながらです)それほど多くの被害をもたらすということを書きたかっただけです。
世界は今それほどの危機に瀕しているからです。自分のことだけやっている場合ではないでしょう。
このような大災害を、二度と起こしたくないからこのような書き方をしているのです。
法が世界に伝われば、多くの天変地変を防ぐことになります。この年々激しくなる天変地変は温暖化のせいではないからです。
それだけでも、この法を世界に伝える価値はあると思います。



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