5月 01 2015
悪人の証拠
昨日は男子プロゴルフの中日クラウンズを観てきました。
観てきたといっても、私の場合はほとんどまともに観ていられないのですが。(笑)
人が多いところにいると必ずいますからね。悪魔みたいなのが。(笑)怖い顔や表情も変えず嫌がらせをしてきて、なかには笑顔で話ながら嫌がらせをしていく人もいます。
笑いながらやっていく人など、顔だけ笑っていて心は怒りに満ちているのです。思いと表面の顔がまるで違ってるんですから、本当に悪魔のようですね。(苦笑)
昨日行った名古屋ゴルフクラブでも、すずめたちが近くに飛んで来て騒いでいました。そのような場面を見ている人でも、一切かまわず私に嫌がらせです。
「なんでそんな悪い奴にこんなに鳥が寄ってくるのか?」とそのような人たちに聞いたのですが、誰一人答えることが出来ませんでした。
そのような質問一つ答えることが出来ないのに、嫌がらせだけはやめようとしないのです。バカじゃないかと思いました。
ただ去年よりは多少ましになった気がします。(去年は凄かったですからね。あそこに来ているほとんどの人が私を悪者と思っているようでしたから)ソロソロ気づき始めた人も出始めているんではないでしょうか。しかし、まだまだ悪魔に洗脳された人は多いようです。
そのような洗脳されている人が多かったので昼にゴルフ場を出て、近くで昼飯を一人で食べていました。すると、またすずめやムクドリが寄ってきて鳴いたり騒いだりしていました。
本当にこれだけ嫌がらせを受けていて、これだけ孤独感を感じない人もいないでしょう。(笑)
昨日はそのあと、そのゴルフ場から少し離れた場所に大きな公園があるものですから(前日に地図を見て調べました)そこに行って、そこにいる鳥や魚たちの撮影でもしようと思い(私の場合どこでも動物たちの面白い動画が撮れますので)散歩がてら行ったのですが、途中で道に迷ってしまって、結局あのゴルフ場がある赤池の辺りを二~三時間グルグル回っていただけでした。
その公園には行けなかったのですが、しかし、公園に行くまでもないといえばなかったですね。どこにいても鳥が飛んでくるからです。
私が、しばらく歩いているとあちらからすずめが、こちらからムクドリが、そうしてむこうからツバメがと、何かかにか飛んで来て騒いでいます。
ある場所でなど、ムクドリが数羽飛んで来てギャーギャー鳴いて(あのムクドリの鳴き声の大きさは知っている人も多いと思います)そこにすずめも飛んで来て騒ぎ、そうしてツバメまで何羽も飛んでくるものですから、その場所が鳥で大騒ぎになりました。
そこは横の道路が広くてひっきりなしに車が通るので、鳥たちが騒いでいるのがあまり聞こえなかったんですが、それでもムクドリなど異様な声で鳴いていましたし、すずめも大騒ぎです。
そこにツバメたちも加わって飛び回っているのですから、その鳥たちの騒ぎを見て、空を見ている人、こちらを見ている人が何人もいました。
その辺りの人は、私のことを知っていたようなので「あいつのせい」とすぐ分かったようですが、これが私のことを全然知らない人ばかりの静かな町で、こんなことが起きたら、その町に住んでいる人は何事かと思うでしょう。
よく考えてみれば、こんなことが普通は起きるわけがないからです。(天変地異の前触れではないか、と思う人もいるのではないでしょうか)
それだけ不思議なことが起きていると思うのですが、名古屋の人はこのようなことが起きていても、それを不思議とも凄いとも思わず、なんだこいつとしか思わないようです。(苦笑)
しかし、これだけ鳥が寄ってくるのです。よほど愛がなければこれだけの鳥が寄ってくるわけはないと思うのですが、それだけ愛がある者が悪者であると思えませんし、このようなことは釈尊やキリストにも起きていました。
ということは、これだけ善人であるという証拠もないわけですが(まさか釈尊やキリストを悪人と思う人もいないでしょうから)私はこのように、毎日多くの人たちに自分は善人であるという証拠を見せながら歩いているのです。(私が外に出て行って、鳥が寄ってこない日などないですから)
しかし、私に嫌がらせをしていく人で、私が悪人であるという証拠を見せてくれた人は一人もいません。
一つで結構です。またどなたでもかまいません。私が悪人であるという証拠を見せてください。あのサイレンは私が原因であるという証拠でも何でもかまいません。
一つでよいですから、私が悪いという証拠をお見せください。もし、そのような証拠があるのなら、私は自分が悪いと認めましょう。
しかし、そのよう証拠が何一つないのであれば、私に嫌がらせをしている人が全面的に悪いということになりますが、そのような解釈で問題ありませんよね。
問題ないと思います。だって悪いという証拠がないというのであれば、それはすなわちその人が悪くないという証拠であるからです。(悪いという証拠がないのであれば、それはその人が悪くない証拠ですよね。その人が悪くないから悪いという証拠がないのですから)
今のところ、そのような証拠を私に見せてくれた人は一人もいません。ということは(あくまで今のところの話ですが)私に嫌がらせをしている人が百パーセント悪いということになります。
これだけ多くの人が私に嫌がらせをしているのです。さぞ確たる証拠があるのだと思います。そうであるなら早くその証拠を見せてください。見せてもらわないと、これまで私に嫌がらせをした人が全面的に悪いということになってしまうからです。
しかし、もし、何の証拠もなく、そんなことをしていたのなら、そのような人たちは、ずいぶん悪いことをしているということになります。
私が悪いという証拠がないのですから、私は全然悪くないかもしれないからです。
多くの人は、大変な間違いをしているのではないですか?
早く気づかないと取り返しのつかないことになるかもしれません。
(取り返しがつかなくなります。証拠がないというなら、全然悪くない者によってたかって嫌がらせをしているのかもしれないからです。〔その可能性が大ですが〕もしその噂が間違いなら、それは嫌がらせをしている方が百パーセント悪いということになり、その罪は計り知れないのです。そんな大きな罪をつくってしまっては、この時代〔正法の世〕必ず天罰を受けなければいけなくなります。だから取り返しがつかなくなるといっているのですが…もしかして、その天罰まで私のせいにしていませんよね。〔汗〕)
追伸…あちこちで、鳥がたくさん寄ってくるという奇跡が起きているのに、ほとんどの人がその現象を無視しています。昨日も〔ナゴヤ球場の横にある〕公園を通ると、そこで遊んでいる子供などが、でかい音を立てて嫌がらせをしてきました。
お前らそういうことはおかしいだろうと、私が何をいっても聞こうともせず、こちらに嫌がらせをしてきたり、無視したりしています。(そこにはもちろん大人もいました)
こういうことを平気でやっているのです。神の業が現れていても、それに驚くわけでもなく、逆に何でこいつばかりというようなねたみやひがみの心で、嫌がらせをしてきたり(自分たちがちょっかいをかけているのに)無視したりしているのです。
私は、このような神を神と思わない子供の態度を見て、何かゾッとしました。「このような不遜な者たちは滅ぼされるのではないか?」とフッと思ったからです。
これは何もこの辺りの子供だけではないでしょう。大人も同じなのです。
昨日も何か起きたのか知りませんが、どれだけ自分たちに神の業が現れても、それでも自分たちの態度を変えようとしない、どこかの会社の連中もしかりであり、いつまでたっても私に嫌がらせし続けている連中も同じでしょう。
そればかりではなく、昨日のテレビでやっていたある芸能人の癌の記者会見も同じだと思います。
その人は癌の末期であるにもかかわらず、それでもまだ仕事が出来ないのが悔しい、このような病気なったのが悔しいと、悔やんでいるのです。
私は唖然としてしまいました。
その人はもう死が目前に迫っているというのに、それでも神を思おうとはしないのです。自分を反省しようとはしないのです。
そのような病気なったのは、自分自身の心と行いに原因があったのであり、もう神に祈って自分のこれまでのことを反省する以外、救われる道はないのに、それでもまだ仕事のことをいって、病気になったことを悔いているのです。
本当にこのような人たちが哀れです。
この癌の人もそうであるし、どこかの会社の連中もそうで、昨日公園で遊んでいた子供らもそうなのです。
死は常に生と隣り合わせにあるのであって、単にその死を自覚するかどうかの問題だけであり、死がそんなに遠くにあるわけではないのです。誰であっても五分先には死んでいるかもしれないのです。(心筋こうそくかなにかでです)
だからこそ、いつ死んでもいいように(神に召されてもいいように)常に神を思わなければいけないのであり、反省を忘れてはいけないのです。
私たちは神に生かされ今あるにすぎないからです。
それなのにどの人も不遜極まりないのです。自分で生きていると勘違いして神に生かされているという、その自覚がないのです。
現在の日本に毎日のように異常現象が起きている、その意味がよく分かります。あまりに神の心から遠い、そのような人が多いからです。



人目の訪問者です。

朝方に夢を見ました。丸い目をした可愛らしい赤ちゃんを喜んで抱いていました。既に子供は授かっているのでその計画がないものですから不思議な夢もあるものだと感心しました。また、朝に感謝の祈りをしていると、ふと会社そのものの祝福の祈りをしたくなり「この会社は既に神の祝福で満たされている、感謝します」と祈りました。これまで職場や仲間の感謝と反省をやっていましたが、会社そのものを一つの個体として祈ったのは初めてでしたが、それもありとして納得しました。
夢はどんな意味があるのか分かりませんが、大きな祈りはした方がいいと思います。
たまには、日本や世界の調和の祈りもした方がいいと思います。(私もたまにします)
大きな祈りをすればするほど自分の徳となるからです。
http://lmr.cc/introduction_mission.html
僕の周りでは動物はほとんど騒ぎません。犬で、性格の荒いのもおとなしくなってしまいます。周りの人は僕の心の安らぎに犬が反応して癒されてると言います。これは悪魔現象ですか?それから周りの人はとても明るくなります。知らない人も明るくなります。皆、笑顔で答えます。僕の弟子達は『光あり』と言って笑っております。これは悪魔現象ですか?
お久しぶりです。
動物でいうなら、私も最近は寄って来るだけではなく、辻説法をしていると、すずめが飛んで来て聞いているくらいですから、まさに二千五百年前の釈尊がされていた説法の時と同じ現象が現れています。(釈尊が説法を始められるとすずめや鹿などが来て聞いていた、という仏典などに書かれている同じことが起きています)
明るい現象が起きているというなら、それでよいのではないでしょうか。
悪魔といっても、それが年がら年中憑いているわけではなく、心の針が地獄に向いた時だけ寄ってくるのであり、その時々の心の状態で心の針は天上界にも地獄界にも通じているのです。
飯田さんには、お弟子さんまでいるのであれば、そのような人が私に何かを聞いてくることもないでしょう。(何せ私は一人でブログを書いているだけですから)
何事も自分でご判断ください。
そちらはそちらで、こちらはこちらで法の流布に頑張りましょう。
自分が正しいか、正しくないかは、いずれあの世に帰れば分かることであるからです。
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現在の天上界の計画をお知りください。心を一つにしましょう。正法を知る人が手をつないで一般の人を導いていく時代です。
あの世に帰らずとも、心が開いていれば正しい、正しくないは分かります。
心が開いていれば正しいか、正しくないかは分かるといわれますが、では、何で高橋先生の弟子たちは失敗したのですか?心を開いていた人はたくさんいたはずです。
いってはいけませんが、このような質問を見ても、私は高橋先生の弟子たちと飯田さんが同じように見えるのです。
だから、一緒にやってもうまくいかないと分かるのです。あまりに法の理解が出来ていないからです。
まだ法の理解が出来ていないうちに、光やら霊やらいうのは非常に危険なのです。
もう少し法の勉強をしっかりして実践されてはどうでしょう。
心を一つにするのは、それからでも遅くないと思います。(この前、私がメールで指摘したことを反省されていないのは残念です)
何度も言いますが、現在の天上界の計画をお知りください。でないと話がかみ合いもしないし、人として協力もできません。
http://lmr.cc/introduction_mission.html
話がかみ合っていませんかね?(何かごまかされているだけのような気がしますが)
その天上界の計画はそちらでやってください。
こちらも何度もいいますが、こちらはこちらでやりますから。