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5月 10 2015

奇跡が起きる時代

11:22 AM ブログ

昨日は歩いているとよくお年寄りを見かけました。

家の前をうろついていたり、庭の花に水を与えている人などもいましたが、たまたまでしょうか?

私が歩いていれば鳥が騒ぎますので、私が近くを歩いていることはそこらの人にはすぐに分かります。だから、たまたまそこにいたということも考えにくいのですが、昨日も書きましたがお年寄りは時間がありません。

救われる方法を聞きたいのであれば、素直な気持ちになり、私をお釈迦様かイエス様だと思い聞きに来られることです。

そのような謙虚な心にならなければ、私の話など聞けないからです。

私をまだ悪魔だとか、お前より自分の方がよく知っているとか、そのような横柄な心であれば私から何を聞いても心に入っていかないでしょう。

しかし、それだけへりくだった心になれば、誰のいうことでもよく心に入っていきます。(釈尊やキリストが話していられると思うなら、どのような話でも真剣に聞くからです)それに私にはお釈迦様やイエス様と同じ現象が起きているのです。

ということは天上界より、お釈迦様やイエス様が常に指導してくださるから同じ現象が起きているのであり、その聞く人の心によっては、そのお釈迦様やイエス様が直接その場に来てくださり啓示をくれるかもしれないのです。(私を通してです)

悪いことを考えれば地獄と同通し悪魔が寄って来ます。しかし、逆もまたしかりであり、よいことを考えれば、それは天上界と同通し光の天使が来てくださるのですから、その人の心によっては、光の天使だけではなくお釈迦様やイエス様も来てくださるかもしれないのです。(よほどその人が、お釈迦様やイエス様のことを、正しく真剣に思っていなければ来てはいただけないでしょうが、可能性はゼロではありません)

少なくとも、他の宗教指導者よりは私の方が、お釈迦様やイエス様の来られる確率は高いと思います。他の指導者で私と同じ現象が起きている人はいないと思うからです。(ということは、その人は釈尊やキリストから指導を受けているわけではないということです)

そのような点でも、私に話を聞いた方がよいのではないでしょうか。

私は口だけではありません。現にそのような現象が現れているのですからそうでしょう、と理論的に話しているのです。

ただイエス様とか、お釈迦様とか、いわれているだけの人よりよほど信用できるのではないでしょうか。いっていることと起きていることが同じであるからです。

「求めよ、さらば与えられん」です。現代はもうどのような奇跡が起きるか分からない時代となっています。一人一人の心次第で、あり得ない奇跡を起こすことも不可能ではないのです。(これまた私が実証しています。私が祈っていろいろなことが起きているからです)

年など関係ありません。勇気を出して一歩踏み出してください。その先に天上の世界が奇跡が待っているからです。

しかし昨日でもそうです。自分の間違いを認めたくなくてジタバタしている人が多かったように感じます。未だ悪魔に騙されている人はともかく、自分の間違いが分かった人は、その間違いを素直に認め私に詫びを入れることです。

それをしなければその罪は消えないからです。

罪が消えないのであれば、その償いはいずれ嫌でもさせられます。名古屋にいる人ならそれは十分わかるのではないでしょうか。

それにしても、名古屋ではこれほどの現象が起き、私がいろいろいったり書いたりするので、それでまたいろいろな知識を得て、そうして私の周りに起きている奇跡を直接見ている人も多いので、そのような奇跡を目にすることでまた自分の知識が増え、聖書や仏典に書かれてあることの事実を肌で感じている人も多いと思います。

聖書や仏典に書かれたことを実体験しているのですから、これだけ勉強になることもないと思うのですが、これほどの勉強を今生していて、ほとんど感謝する人がいないというのもまた凄まじいですね。

こんな体験、私がいなかったらやれました?また、私がいなかったら、これほど仏典や聖書の事実を知ることが出来たのでしょうか?

聖書や仏典の奇跡をまじかに見るなど、そんな体験そうは出来ません。それに聖書や仏典の本当の事実も知ることもなかったと思います。下手すれば、そのような書物と一生縁がなかった人もいたはずです。

では、私がいたお蔭でずいぶん神との縁が深まったと思われないでしょうか?

「別にこんな体験や知識など得たくはなかった。神との縁など持たなくてもよかった」という表面意識だけの意見はともかく、潜在意識ではこのような体験と勉強、そうして神との縁が深まったことを百人が百人喜んでいるのです。

特に神との縁が深まったことなど大喜びでしょう。(私たちは神の子であるのですから、それは当たり前でしょう)

人々の心の奥の潜在意識を知るなら、すべての人がこのような体験と勉強が出来たことに感謝しているのです。これだけの体験を、ただ一度の人生で経験できるなど考えられないことであるからです。

またこれだけのことが起きているから、神の存在も神の心も知ることが出来たのです。(唯物無神論であった日本の人たちでさえです)

私がいなかったら、これだけ多くの人が神を信じることも、また神の本当の心も知ることはなかったのです。

私たちは神につくられた神の子であるのです。その神の子である私たちが、神の心を知ろうとしなかったならばどれだけ不幸か知れません。

その不幸なまま死んでいかなければいけなかった(あの世に帰らなければいけなかった)多くの人の心を私は救ったのです。それこそ自分の身を犠牲にしてです。

犠牲にしたのも同じことでしょう。これだけの悪評を買ってまともな生活など出来ていないんですから。

しかし、私がこれだけの悪評を買ったから、多くの人が神の存在を信じ、これまで分からなかった神に関する多くのことを知ったのです。

そうして、その神に関する多くのことを多くの人が知ったから、本当に救われる人がこれからたくさん出てくるのです。その神に関する多くのことを知らなければ、神の子である私たち人間は本当の神の救いを得られないからです。

私がいたから多くの人が救われていくのです。(本当の心の救いです)私がいなければ、本当の神の救いを知らずに多くの人があの世に帰って行ったのです。本当の神の救いを知らずに帰れば、この世に出てきた意味のそのほとんどは失われていたのです。

私は、そのほとんど意味をなさないまま帰るはずであった、多くの人々の人生を意味あるものとしました。

神の子である人間が、神に関する多くのことを知ったのです。これほど意味のある人生もないでしょう。

それなのに私は未だ悪者であり感謝の一つもありません。

このようなことを知っても、まだ多くの人は私に感謝しようとはしないのですか?

そのような心が多くの災いを招いているのです。

追伸…これは何も名古屋の人だけにいっているのではありません。

このブログを見ている、私のことを知っている、多くの人々に対しても同じなのです。このブログを知ることで多くのことを知ったはずです。(動画なども貼り付けていますし。動物たちがあのような態度を取るなど誰が知っていたでしょう)

しかし、感謝一つされません。それはあまりといえばあまりの態度ではないでしょうか。

時間合わせや服装の色を合わせたところで、それが何になるのですか?『その程度のことではやったうちに入らない』神がそう思っていられるということは、日本に起きている異常現象でお分かりいただけると思います。

このブログを読んでいるなら、もう少し愛を出していただけないでしょうか?

そうすれば、この異常現象も段々と収まり奇跡が起きて来るからです。

(それだけでは全然愛が足りないということです。顔形が愛らしいだけではなく、本当に愛があるというところをぜひ見せてください。そういう実践がない限り神は許されないからです)

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