5月 15 2015
謙虚さ
「実るほど頭が下がる稲穂かな」
高橋先生がよく講演でいわれていた言葉ですが、稲穂は実れば実るほど頭がたれていきます。
地位などが上がれば上がるほど、あるいは人気などが出れば出るほど(それだけ周りにお世話になった人が増えるのですから)より謙虚にならなければいけないのであり、それを高橋先生はいつもいわれていました。
それは園頭先生も同じでした。謙虚さを忘れてはいけないとくどいくらいいわれていました。その謙虚さを忘れたばかりに、大失敗した高橋先生の弟子たちをたくさん見ていたからです。
これは何も、地位が高い人や人気がある人ばかりにいえることではありません。誰であっても謙虚さを忘れてはいけないのです。
それが人として(神の子の人間として)当たり前の態度であるからです。
その謙虚さがないばかりに、大変なことが起き始めているところもあるようです。(昨日も昼に何か起きたみたいですね。それで終わりでしたか?)
毎日のように神の業が現れているにもかかわらず、それでも神に頭を下げようとしない、その傲慢さ、少しは謙虚になり反省されてはどうでしょうか?
それをしなければもう救われる道はないからです。
頭から「お前のいうことなど聞けるか」という態度ですが、そのお前(私のことですが)には、釈尊やキリストと同じ奇跡まで現れているのです。
そのような居丈高な態度を取れる状況ではないように思いますが、これは、周りの人たちにもいえることなのではないでしょうか。
私は毎日(鳥などが喜んで寄って来るという)釈尊やキリストと同じ奇跡が現れています。
ということは、毎日「自分は善人」という証拠を、見せながら歩いているのと同じことなのですが(釈尊やキリストと同じ奇跡が現れているのなら、これ以上善人であるという証拠もありません)私が悪人という証拠を見せてくれた人は一人もいません。
もう大分前から「私が悪人という証拠を一つでも見せてくれたら、私が悪いということを認めます」ということをいって歩いていて、そうしてこちらは毎日善人という証拠を見せているにもかかわらず、その悪人という証拠が(あのサイレンと私が何か関わりがあるという証拠が)未だ出て来ないということは、そのような証拠はないといっても間違いではないのではないでしょうか。
その間、私に嫌がらせをしてきた人はいくらでもいたからです。(ここ一週間、十日の間に、私に嫌がらせをした人はたくさんいましたが〔そういう人に「私が悪いという証拠を見せてくれ」といったのですが〕その誰一人、私に「これがお前が悪いという証拠だ」というものを見せてくれた人はいませんでした。そればかりか「お前が悪いという証拠がある」といった人さえいなかったのです)
ということは、善人という証拠はあっても悪人という証拠はないのですから、そうであるなら私は善人ということになります。(しかも相当なです。〔相当な善人といういい方が正しいかどうか知りませんが〕釈尊やキリストと同じ奇跡が現れているくらいですから)
ということは、多くの人々が長い間(ここ数年の間)罪もない善人に罪を擦り付け悪人にしていたということになり、そのような人たちはずいぶん悪いことをし続けていたということになりますが、それは反省しなくてよいのでしょうか?
もし、それが事実であるなら、あのサイレンは、そのような人に対する天罰と考えられなくもありませんが、そこはどう思われるのでしょうか?(元々あのサイレンが始まったきっかけも、私に対するバスやトラック、電車の運転手連中の嫌がらせ〔ブシュブシュ〕から始まったものですし、罪のなかった者によってたかって嫌がらせをしたのなら、そのようなことが起き出しても決して不思議ではないからです。現に最近はサイレンも減ってはきています。そのような嫌がらせも減ってきているからです。あまりに合いすぎていませんか?)
それに悪魔のように嫌われている私には、善人という証拠が現れていますが、そのように、私に嫌がらせをしている人たちには善人という証拠が現れていないのです。
では逆に、私に嫌がらせをしている人たちこそ善人という証拠が何一つないのですから、もしかしたら悪人であるかもしれませんし、そういう悪心があるから証拠もないのに人に平気で嫌がらせができるのではないですか?
そういう行いこそ、悪人の何よりの証拠なのではないでしょうか?
本当の善人であるなら、証拠もないのに根も葉もない噂を信じて、人に嫌がらせなどしないからです。
私には悪人という証拠がないのに、私に嫌がらせする人たちには悪人という証拠があるのです。
そうであるなら、私が善人で、私に嫌がらせしていた人たちが悪人ということになってしまいますが、それに反論できる人がいるのでしょうか?
私に嫌がらせをしている人たちは、本当に善人なのですか?思われていること、いわれていることは正しいのでしょうか?
もし自分たちが本当に善人で、思われていること、いわれていることも正しいのであれば、私と同じ現象が現れないといけないのです。(釈尊やキリストは思われていることも、いわれることもすべて正しかったからです)
しかし、私と同じ現象が現れている人はいません。では、嫌がらせをする人たちの方が悪人で考えも違っているのではないでしょうか?
あなたたちが善人であるという証拠は何一つないのですから。
もう少し謙虚になられたらどうでしょう。そうすれば、ここに書いたことの正しさは誰でも分かるはずだからです。
しかし、傲慢であるならば、ここに書いたことも理解出来ないでしょう。「お前が悪いに決まっている」としか思わないからです。その傲慢な心が、正しい意見さえも否定してしまうからです。
しかし、そのような人々の心に関わらず正法の世は日一日と深まって行きます。
ということは日にちがたてばたつほど、神の業が現れる比率が増していくのです。(だから神の業が現れる頻度が増しているのです)
謙虚な心になれば奇跡が起きてきます。(現に私には起きています)
いつまで傲慢な心を持ち続けるつもりですか?
この時代、そんな心を持ち続けているのは不幸でしかないのです。



人目の訪問者です。

今、勤め先の会社で職場の5Sについて議論が出ています。
5Sは整理整頓清潔清掃と言われる基本的な職場管理の方法です。最近は現場任せの職長もとで実務のほか管理的業務も仲間とやっているものの、細部にまでは管理が行き届かないのが現状なので言われても仕方ないのです。しかし、指摘されているので何とかしようと考えてみれば、数人とはいえ同じ意識で取り組まないと達成できないと事なのだと気付きました。一人で綺麗にしても他で散らかしていたら何も変わらない当然の事がわかりました。仲間内でコミュニケーションをとって管理された良い職場と言われるようにしたいです。
そうですね。みなさんで頑張ってください。