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6月 21 2015

神の教えと悪魔の噂

11:06 AM ブログ

普段どれだけ取り繕っていても、結局、最後には(死ぬ時には)ボロが出るような、死ぬ時に死にたくないだの、まだ仕事がしたいだのいうような、未練タラタラの人生では確実に地獄行きなのですから、幸せな人生であった、そうして死ぬのもまた楽しみであると、死ぬ間際にバンザイが出来るくらいの人生であらねばならないのです。

今のままの人生でそれが出来ると思いますか?(百パーセント無理ですね)

だから、法をしっかり勉強しないといけないといっているのです。

すぐにでもやらなければ、そのような人生など送れないのだし、法を知ったところで、そういう人生を実践しないといけないのですから、法を知っただけで、そのような人生がすぐに送れるようになるわけでもないのだし、だから早くそれに気づいてくださいといっているのです。

現に法を知っている人はもう多いと思います。(このブログを読んでいる人もそこそこいるのだし、この近辺の人など、このブログの内容を知っている人も多いですから)

しかし、私のような奇跡が起きる人はいません。奇跡どころか、この辺りの人は災いが起きているのです。

法を知ってなぜ災いが起きるのでしょうか?

法を知っても何も実践しなければ何も起きませんが、この辺りの人たちは法を知るとともに間違った思想まで入れてしまい、間違った実践までしてしまったのです。

そこまでやってしまっては、いくら法を知っても(よいことをしても)災いが(悪いことが)起きるのは当然のことでしょう。(間違った思想とは、私が悪いという思想であり、間違った実践とは私に嫌がらせをしていることです)

法を知ると同時に、こういう間違った思想(怒りや憎しみ)も入れ、そうして間違った実践までしてしまうものですから、それで災いが起きているのです。

法を知っても、その法を説く者に、怒りや憎しみを持っているようではよいことは起きません。

この辺りの人は、釈尊やキリストに怒りや憎しみを持っているのと同じことをしているからです。釈尊やキリストに、怒りや憎しみを持っていてはいいことが起きるわけがありません。その心を反省しない限り、その人にいいこと(奇跡)が起きるわけがないのです。(天が味方しませんから)

いい加減自分たちの間違いに気づいたらどうでしょう。

昨日でもあんなブログを書いたものですから、怒っている人があちこちにいました。(それでも最近はそういう人も減りましたね)

しかし事実は事実です。ねたみやひがみ、狭い心のままでいるから、いつまでも不幸なことが起きるのです。

よく考えてみてください。

私のいうことを、そのまま聞いていた時は不幸な現象など起きていなかったのです。それどころか、神は存在し、来世もあるということを知って希望を持った人も多かったのです。(現に私は、あるお年寄りに希望が持てたといわれたことがあります)

しかし、私の悪い噂が拡まって、そうして私に嫌がらせを始める人が出始めてから(最初は市バス連中がブシュブシュ始めてからですが)あのサイレンは響くようになったのです。

私にみなが嫌がらせを始める前までは、あのようなサイレンは響いていなかったのです。(救急車のサイレンなど月に一、二度聞けばよい方でした)

しかし、私に嫌がらせをする人が増えてくると時を同じくして、あのサイレンも増えて行ったのです。(最近は嫌がらせをする人が減ったので、サイレンも減っていますが)

もし、あのサイレンの原因が私なら、私が嫌がらせを受ける前からサイレンはしていなければいけないし、最近のサイレンが減った理由も分かりません。

最近はサイレンを聞かない日もあるのではないですか。なぜ、サイレンを聞かない日があるのでしょう?私が嫌がらせを受けない日はないというのにです。

私は未だ嫌がらせを受け続けているのです。なぜ、サイレンを減らす必要があるのでしょう?私があのサイレンを起こしているというなら、私に対する嫌がらせがなくなるまであのサイレンを止めません。

しかし、現実には最近はサイレンを聞かない日もあるのです。それはなぜですか?

それに、自分に嫌がらせをして来た人を病気にした、というのならまだ話も分かりますが、自分が嫌がらせを受けているからとはいえ、その自分と全然関係ない人たちを次々に病気にしてそれが何になるのでしょう。

何でそんなことをするのですか?うさ晴らしですか?

しかし、それだけ危ないうさ晴らしもないでしょう。そんなことをすればするだけ自分が恨みを買うからです。

そんなことをしていたら(うさ晴らしで、自分と全然関係ない人を次々に病気にしていたとしたら)そこらじゅうで恨みを買います。こちらの命まで狙われるかもしれないのです。

そのような行為は、百害あって一利なしだと思うんですが、何でそんな自分にとって不利でしかないことを私はやり続けなければいけないのでしょう?

どう考えても、あのサイレンを私がやっていたとしたらマイナスにしかならないのです。

何で私が自分に何一つ益のないことを、これほど長くやり続けなければいけないのでしょうか?まったく意味が分かりませんね。

せっかく法を知っても、このようなデタラメな噂を信じ、怒りや憎しみまで入れてしまっては法を知った意味がないのです。

そのようなデタラメな噂は早く心から抜いてください。そうして法だけ心に入れて実践されれば奇跡が起きるのです。

デタラメな噂を信じ私を憎み続けたところで、それでどうなるのでしょう。人を憎めば憎むだけ、その憎しみは自分に返ってきます。その憎しみが自分に返って来れば当然自分に災いが起きるのです。

そうなったらどっちみち不幸になるのは自分自身ではないですか。そんな噂を信じ続けても損はしても何一つ得はないのです。

それどころか、そんな噂を信じたばかりに、自分たちが不幸になっているとまだ気づかないのでしょうか?

それが悪魔の噂の怖さなのです。人の心に怒りや憎しみを植え付けるのです。

そうすると、その怒りや憎しみはいずれ自分自身に返ってくるのです。そうなれば百人が百人不幸になります。

名古屋に不幸な人が続出しているのは、そのような悪魔の噂を信じたからなのです。

だから(よけいです)私のいうことを聞かないといけないといっているのです。

悪魔の噂などに心を汚された人は、その汚れはなかなか抜けないからです。その汚れをきれいにするには、心を神の光に満たすしかないからです。

その心を神の光に満たすことが出来るのは、この法しかないのです。だから、早くこの法を勉強した方がいいといっているのです。(だからこれは特に名古屋の人たちに対しいっているのです。相当の人が悪魔の噂に心を汚されているからです)

この法だけ信じていた時は、多くの人の心が救われたのです。

しかし、その後、悪魔の噂まで信じてしまった結果、名古屋の多くの人たちが不幸になりました。(信じなかった人たちはそうでもないのでしょうが、しかしそれでもです。周りが悪魔の噂を信じている人たちばかりです。その影響はかなりあると思います)

悪魔の噂を信じるだけでも人は不幸になるのです。それが名古屋で起きた現象ではっきり分かったのです。

それでもまだ、この神の教えを無視するつもりですか?

悪魔の噂など、そこらじゅうに蔓延(まんえん)しているというのにです。(心に悪影響を与えているものなどそこらじゅうにあるのです。多くの人はそれを知らないだけなのです。だから神の教えを知らないといけないのです。唯一心を浄化できるものだからです)

2コメント

2 コメント to “神の教えと悪魔の噂”

  1. ウナッシー2015/06/21 at 4:14 PM

    今日は父の日ということで子供からスイーツを頂きました。気持ちを形にして分かり易く伝えてくれました。自分の若い時は考えもしない事で、子供に反省を教えれました。毎日会社でお世話になる周りの方々の事を考えていたら、そのような彼等に私の出来ることは「祈り」ということが浮かんできました。
    これまで沢山の人に背中を押され過ごしてきたことに感謝が足りなかったことを思い、これから順に感謝の祈りをさせて頂こうと思います。k

  2. gtskokor2015/06/21 at 9:11 PM

    それはよかったですね。本当にそうですね。父は亡くなりましたが、父の日に何かあげたことなどなかったです。(だいたい昔は父の日などなかったし…いつ出来たんですかね?)
    その調子で頑張ってください。

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