6月 30 2015
法を伝える使命の重さ
だから、私のブログを読んでいる人たちは、このブログが面白いから読んでいるのではなく、心が救われるから読んでいるのです。
その自覚があるかないかは知りませんが、自分たちの心はそれを知っているのです。
法と触れ合えば触れ合うだけ心にはよいのであって(神のエネルギーがもらえるからです。例えれば法は心の肥料のようなものです)だから、私がブログを書かないとがっくりする人や怒り人までいるのです。(心に栄養をもらえるかもらえないかではずいぶん違うからです)
ウナッシーさんなど、私がブログを書かないとがっくりくるタイプなんでしょうが、この法に縁が深ければ深いほど、自分の心が高ければ高いほど、法に触れないつらさは大きくなるのです。(それこそ一日法に触れない日があるだけでがっくりくるのです。そのような人も、このブログを読んでいる人の中にはいるのではないでしょうか)
しかし、普通はこれだけ毎日のように法を伝えるということはありません。(園頭先生が書かれていた正法誌だって月に一回です。それ以外の時は、高橋先生や園頭先生のご本を読んだり、ビデオを観たりして自分で法の勉強をしていたのです)今がどれだけ異常事態なのか、このようなことでもそれがよく分かるはずです。(そういう法に縁が深い人、心の高い人が何もしようとしないからです)
自分で法を勉強し、法を多くの人に伝えなければいけない人の分まで(そういう使命のある人は、このブログを読んでいる人の中にいます)私がやっているのです。(しかもほとんど無報酬で)
それは私にばかり奇跡が起きるはずです。そういう人たちが自分の使命を果たさないため、本当はそのような人たちが得るはずであった徳が、全部私に回って来ているからです。(よく考えてみれば〔鳥や魚が寄ってくるなどの〕これほどの奇跡は高橋先生や園頭先生にも起きていなかったのです。そのような両先生にも起きていない奇跡が起きるのは、時代が変わったということもありますが、それとともに一人で法を説いているということもあるようです。〔使命を果たさなければいけない人たちがまったく使命を果たさない〕高橋先生や園頭先生には法の流布に協力される人はたくさんいたからです。私などほんの数人です。これでは徳が集中するはずです)
このように、徳がこの世に形になって現れてくるということも大変珍しいことなのですが、逆にいえば、それだけ使命を果たさなければいけない人たちがボッーとしているからでしょう。
だから、神がそのような人たちのやる気を促すため、このような世にも不思議なことをこの世に現されたのです。
世にも不思議なことなのではないでしょうか?
そこらにいる鳥や海や川や池にいる魚、犬や猫、亀やカニや貝に至るまで、あらゆるものが私に寄ってくるのです。このようなことが起きたのは、もしかしたら史上初かも知れないのです。
史上初の不思議なことまで起こして、そうまでして神は、そのような使命ある人たちを目覚めさせようとしているのです。その人たちの罪は重いといわざるを得ません。(これほどのことを神にさせた人間も、もしかしたら史上初かもしれません)
このブログを読めなくてがっくり来る人、怒っているような人など、法を伝えるなにがしかの使命はあるのです。
その使命を果たしてください。(何をするかは自分で考えてです。人にいわれてするのではありません。自分で考えてするのです。その自分からしたよいことだけが自分の点数となるからです。その点数〔徳〕がたまらないと当然ではありますが天上界に行けません。使命がある人は自分の本当の使命を果たさないと、その点数は加算されません。それがこの世の修行だからです)
私は、周りの多くの人たちに嫌われながらも、それでも法を伝え続けているのです。法を伝える使命がある人は、このような苦労こそしなければいけないことであり、金儲けや名声を得るための苦労など、それは、これから法を伝えるための肥やしとなるだけの苦労なのであって、自分たちがしなければいけない本当の苦労ではないということです。(それは釈尊の弟子たちや、迫害を受けたキリストの弟子たちを知るなら分かるはずです。そのような苦労こそ法を伝える使命がある人たちがする苦労であるのです)
使命ある人は、自分たちの様々な体験を通して、法を世の多くの人々に伝えていかなければいけないのです。
そのような、使命を果たさなければいけない人たちが使命を果たそうとしないため、世界中で異常現象が起こり始めています。
それも、使命ある人たちがその使命を果たさないからです。
例えば、口永良部島の噴火でもそうです。島に帰りたがっている人はたくさんいます。
しかし、噴火が止まらなければ島民は島には帰れないのです。火山の噴火を止めるには、そこに住む人たちが神の心(法)を知って祈るしかないのです。
それをするならあの噴火は止まるからです。
しかし、それを私一人では伝える術がないのです。(仮に伝えることが出来たとしても誰もそれを信じないでしょう)だからそれを伝えて、そのことを島民に信じさせることが出来る、そのような人が必要なのです。
そのようなことが出来る人はいると思います。
例えば、多くの人に信用がある地位や名声がある人など、その自分の地位や名声を利用して、多くの人に法を信じさせるのです。
そうすれば、そこに起きている異常現象を収めるだけではなく、その異常現象を起こさないことも出来るのです。
そのような適材適所で法の使命を果たすべき人たちが、その使命を果たしているなら、このような異常現象が次々に起きることなどなかったのです。
先ほど、使命を果たさなければいけない人たちが使命を果たそうとしないため、世界中で異常現象が起こり始めた、と書いたことが嘘ではないとお分かりいただけるはずです。
そのような異常現象を、起こすことも可能なら止めることも可能であるということは、私が数々現した様々な現象でお分かりいただけると思うからです。
私は自分の身を犠牲にして(どれだけ評判が悪くなろうと)そのような異常現象は、自分たちの心でどうとでもなるということを証明したのです。
私が自分を犠牲にして伝えたことを、今度は使命のある人が使命のある場所でそれぞれ伝えていただきたいのです。(それこそ自分の身を犠牲にしてでもです)
それが自分たちの使命であるからです。
そうすれば本当の世界平和が実現するからです。
この法の流布をじゃますることが、どれだけ大きな罪となるかはこのようなことからも分かると思います。(そのじゃましているところがまた何か起きたようですが…自業自得です)
この法を世界に拡げれば、本当の世界平和が実現するのです。
その法を伝えなければいけない使命の重さを、もう少し自覚されてはどうでしょうか。



人目の訪問者です。

今日はとても疲れた1日でした。肉体的でなく心的疲労なのですが原因は例のクレーム対応です。簡単に言えば失敗したことの原因追求です。心の問題ではなく仕事をするためのルールや第三者が分かるように説明する等、とてもハードルが高いのでエネルギーの消耗も多いのでしょうね。しかし、先生のお話のように使命がある分そのための苦労も大きなものであり、その事を通しての導きなのでしょうか。で無くても、与えられた環境で精一杯生きることが第一であり、しっかりと反省して明日の太陽を感謝で迎えられるようにします。
そういう導きもありますが、そのような時は祈りを忘れてはいけないでしょう。
祈りを忘れなければ、そのような気苦労は減って行きます。
祈りを忘れず、今ある環境に感謝され仕事をされて行くのであれば、また新しい道もついてきます。
頑張ってください。