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4月 04 2011

正しい判断

10:27 AM ブログ

高橋信次先生のご著書である「心の原点」のはしがきには次のように書かれてあります。

<  はしがき

人間の生活は一見安定しているかのようにみえるが、一寸先は闇であり、不安定そのものだ。死と隣り合わせに住んでいる。生まれた以上、死はさけられないが、それにもかかわらず、人びとは目前の生活に追われ、五官中心の毎日を送っている。喜怒哀楽は人生劇場の台本に欠かせないものだが、しかし、人がそうした生活を続けるかぎり、人生の真の喜びを知ることはできまい。平和はこないだろう。人間が本当に平和を望むならば、物質にほんろうされない、五官中心の生活にピリオドを打たねばならない。なぜなら、五官六根からは、私たちの心の安らぎは、決して生まれるものではないからである。

表面的な教育や説法ではもはや神の子としての己を知ることはできないだろう。それには奥深い心の内面から正す以外に道はないだろう。

私たちは、通常五官の範囲内で生活しているが、実はもっと広い五官以外の次元を異にした世界に包まれ、その中にいる。

肉眼で見える範囲はきわめて狭く、きわめて不安定である。私たちの肉体はエネルギー粒子によって支えられているが、それを目で見ることはできない。形あるものはいつかは崩れる。形あるものは、形のない光の粒子によってつくられ、そうして絶えず新陳代謝をくり返しているのだ。

心の世界、魂の在り方もこれと同じで、私たちの生命は永遠の旅路を続けている、調和という目標に向かって。心や魂については、普通は見ることも触れることもできないが、しかし、五体が朽ちれば、次元を異にした世界で生活するのである。こういうといかにも唐突に思われるが、事実は曲げられない。

私たちが心の世界、魂の存在を認識したとき、五官や六根にふりまわされた生活のはかなさ、哀れさをハッキリと知ることができよう。なんとなれば、この世の生活は永遠の人生行路の一齣(ひとこま)であり、その一齣に、ほんろうされる無意味さを悟るからである。

心行(しんぎょう)という言葉は耳新しいであろう。だが、調和という目標を知っている私たちの心は、それに目を向けようと向けまいと、私たちの毎日の生活行為がそれに合致するよう望んでいるのだ。大自然の計らいと人間の在り方というものは、永遠に変わるものではないし、私たちの心はそれを知っているのだ。

ここに著した『心の原点』は、人間と大自然の関係を中心として、人間という心を持った、霊長生物を浮き彫りにし、物質文明の中で明け暮れる不安定な心の動揺は何に起因するか、どうすれば真の安らぎが得られるかを明らかにしようとするものである。

本書の意をくまれ、心の尊厳性を悟り、本書を毎日の生活の糧とされて、一人でも多くの人が安心した境涯に到達されるよう望むものである。

    昭和四十八年四月八日

                                           高橋 信次> 

私たちの世界は私たちだけの世界では在りません。次元を異にしたもっと大きな広い世界に包まれています。

私たちは、そのようなやがて帰るべき次元の違った世界から、五官六根の世界である、この物質界に生まれ、過去のすべてを忘れて、自分の心だけの判断で正しい生活をする修行の過程にあるのです。

今、日本は危急存亡の秋にあります。

このようになってしまったのも、残念ではありますが、日本に住む多くの人々が神の心を悟らず、物質中心の間違った考えに支配された結果であると言わざるをえません。

しかし、それを今さら言ったところで現状が変わるわけでもありません。

このような時だからこそ、高橋信次先生のご著書に書かれてあるように、五官六根に振り回されずに、自身の心の正しい判断が求められているのです。その正しい判断をするには、一人一人の心の奥にある、智慧に依って判断しなければなりません。

今のような状態になってしまった日本が生き残るには、一人でも多くの人が神の心に気づき、神の側に心を変えないと日本の未来はありません。

これからの日本は、そこに住む多くの人々のより正しい判断が、必要になってくるということです。

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