7月 12 2015
神の業
一昨日の話です。
今日はブログを書かない方がいいと天から教えられ、朝から家を出た私は庄内川に行きました。堀川などもそうですが、私は川の近くなどに行けば一日遊べるからです。(笑)
庄内川はまだ未知の生物(キジとカワウソなんですけどね)もいます。そのような動物を撮影したかったからです。
最初はいつも行く辺りで魚を撮っていたのですが、あまり跳ねません。(この前ほど二段、三段と跳ねる魚が少なかったです)それで庄内川の川岸を歩いて行きました。
その庄内川の川岸をずっと歩いて行くと藤前干潟に出るのですが、そこは一面海が広がってはいますが水鳥が多いのです。だから、魚はあまりいないようです。(その水鳥たちに食べられてしまってです)
その日も庄内川から藤前干潟に入るくらいの辺りで、鵜やカモが二、三十羽固まっていました。
「こんなにいたら魚も跳ねないな」と思いながら、藤前干潟に行って海に向かって呼びかけていました。
一時間ほど藤前干潟にいたのですが、案の定、魚は大して跳ねませんでした。(数匹跳ねたくらいです。その間にも、鵜があちらに行ったりこちらに行ったりと飛び回っていました)
これでは動画を撮っても仕方ないなと、帰りかけたのですが、藤前干潟を出る手前辺りで先を見ると、先ほど鵜やカモがいた辺りに真っ黒な塊が出来ていました。
「ン、何だあれ?」と思って、その塊を見ながら歩いていると、その塊は庄内川の川岸と中州に二つあって中州の方は、その塊の中のいくつかが飛んだり跳ねたりしてよく動いています。
その動きを見てすぐに何か分かりました。鵜がそこにたくさんいたのです。
「あの中州にいる黒い塊は全部鵜か。凄い数だな」と驚いたのですが、岸の方の塊がよく分かりません。(あまり動かなかったものですから)
「中州にいるのは鵜だけど、あの岸の方にあるのあれなんだ?」と思いながら、そちらに歩いて行きました。
「大きな石かなんかあそこにあったっけ?」私は本気でそう思っていたのです。その黒い塊が全部生き物であるとは思えなかったからです。(それだけ大きな塊であったのです)
しかし、近づいて行くとその塊が何か分かりました。その岸の黒い大きな塊もすべて鵜であったのです。
驚きました。もの凄い数の鵜がそこにいるのです。
「ハァァ、何でこんなにいるの」「お前らどこから来たんだよ」と声をかけていましたが、まったく不思議なことでした。
来る時は(ほんの一時間ほど前です)二、三十羽しかいなかった鵜が、帰る時には二、三百羽に増えているのです。考えられますか?
しかも、このたくさんの鵜がどこから来たのかも分かりませんし、いつ来たのかも分かりません。気がついたらそこにいたのです。
これだけたくさんの鵜が飛んできたのなら、いくら藤前干潟が広くても目に付くはずです。(しかも私は海に向かって呼びかけていたのですから)しかし(数羽の鵜が飛んでいるのは見ましたが)それだけ多くの鵜が飛んでいるところなどまったく見なかったのです。
多くの鵜が飛んでいるところなど全然見ていないのに、その藤前干潟を出るところにいつの間にか凄い数の鵜がいたのです。
まるで、鵜が急にその場所に現れたようでした。(だから最初私は、その黒い大きな塊を鵜とは思わなかったのです。鵜がそんな近くに大量にいるのなら、絶対にどこかで多くの鵜が飛んでいるところを見ているはずだからです)
本当に不思議でした。まるで神がそこに鵜をたくさん現したように感じたからです。
この前起きたカニの件でもそうですが、同じ奇跡がまた起きたのです。(その時もそうです。神がそこに多くのカニを現したように感じました。あまりに多くのカニを私は目の辺りにしたからです)
それにしても凄い数の鵜が目の前にいます。ビデオを撮っていても逃げようとしません。中には羽を広げて撮ってくれといわんばかりの鵜までいます。
信じられないことが目の前で起きているのです。(自転車に乗ってきたオジちゃんも私の近くに止まり、その鵜たちを見ていました。私が「凄い数ですね」というと、そのオジちゃんも「凄いね」といって驚いていました)
こういうことが必ず起きるのです。
何か面白い動画が撮れないかと出て行って、撮れなかった日はありません。必ず何かこのような不思議な、神が現したとしか思えないことが起きるのです。(撮れても撮れなくてもどっちでもいいやと思い出かけていくと、何も面白いものが撮れないこともありますが)
来る時には二、三十羽しかいなかった鵜が、帰る時には二、三百羽に増えていた。来る時には数十匹しかいなかったカニが、帰る時には数千、数万、とにかく数えきれないくらいに増えていた。あるいは海に向かって呼びかけると、それこそ数えきれないくらいの多くの魚が跳ねた。このようなことを人がやれるでしょうか?
このようなことは人の業なのでしょうか?それとも神の業なのでしょうか?
私は、このようなことは神が現したとしか思えないのです。
そう感じた通り、このようなことはすべて神の業なのであり、ということは、神の力がそこかしこに次々に現れているということになります。
どこかの会社の件でもそうです。神の業がそこに現れなければ、静かにするわけがないのです。
これほどの神の業が次々に現れているのです。
じゃまばかりするのではなく(今日もこの近所やっています)少しは協力されてはどうでしょう。そうすれば、そのような人たちにも神の業が現れることになるからです。
私は、その現れる神の業を逐一皆さんに報告しているのです。このような神の業を知るのであれば、それを知った人たちは、その分また心は救われ軽くなって行きます。
こういう神の業を知れば知るだけ、人間の心は軽くなって行くのです。すべての人間は神の子であるからです。だから神の業を知ると心が軽くなるのです。
私たちは、その神から常に力を与えられているからです。
その人の心が軽くなる、心が救われる仕事を私は日曜日も休まず続けているのです。(これだけしていれば、それは奇跡も次々に起きるはずです。休みなしで人を救っているからです)何度もいいますが、少しは協力されてはどうでしょう。
その方がよほど神の心に叶う(ということは人として正しい、徳が得られる)行為であるからです。
(いうだけ野暮ですかね。それでもいい続けるしかないのです。日本の人々が立ち上がらないと世界は救われないからです)



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