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7月 19 2015

法を拡げようとしない罪

11:02 AM ブログ

毎日何か起きているようですね。どこかの会社です。(もうキレキレですのでよく分かります)

しかし、それでも反省しようとしません。それどころか意地になってじゃまや嫌がらせを続けています。(末期的症状ですね)

では、ソロソロ終わりも近いのではないでしょうか。どこかで天は、そのような判断をされることになるからです。

ずいぶん恐ろしいことが起きているように感じますが(どこかのマンションなど急に静かになりましたし)それだけこのブログの書くのをじゃまする、法を説いている人に嫌がらせをするということはいけないことなのです。(だってこのブログには、心が救われる方法から過去の歴史の間違いや現代の常識のおかしさ、聖者といわれる人たちの起こされた奇跡の正しさ、その奇跡の起こし方から聖者といわれた人たちが説かれた本当の神の教え、天変地変を収める方法まで、ありとあらゆることを事細かにいろいろな例を出して書いているのです。ただのブログではありません。そのブログを書くことをじゃましているのです。そのような行為がどれほどの罪となるのか分からないくらいです)

だから悪いことが起きても仕方ない部分があるのです。悪いことが起きるのは、その悪いことが起きている人が悪いことをしているから起きるのです。それを反省出来ないというのであれば、最悪、死ぬ(あの世に引き上げられる)ということも起きてきます。

別にそれは人のせいでも、ひどいことでもなんでもありません。

この世の修行とは、そのようなものだからです。ただこれまでは、そのようなことを知らなかった(そのようなことが偶然とか、たまたまとか思っていただけだった)ただそれだけのことだからです。

この辺りの人たちは、そのようなことが偶然ではないと分かりかけてきた、だからそれを私のせいにしているのです。これまでそのようなことをすべて責任転嫁してきた(あるいは偶然とかたまたまそうなったとごまかしてきた)そのような心癖がなかなか抜けないからです。

だから私のせいにしているのです。自分たちに悪いことが起きたのは自分のせいとは死んでも認めたくないからです。

しかし、それを認める認めないは本人の自由ですが、ここに正しいことが書かれてあるから、それを書いている私には釈尊やキリスト、過去聖者といわれている人たちと同じ奇跡が起きているのだし、それを認めようとしない人たちには災いが起きているのです。

これ以上の正しさ、間違いの証明もないのではないでしょうか。目に見える形で、善悪がはっきり現れているからです。

その起きている悪いことを、全部私のせいにしているようですが(お前が祈って人を不幸にしていると)そのように思っている人に、それが正しいという証明は何一つ起きないのです。(そういう人には何の奇跡も起きていません。それとも何か起きていますか?)

それでは正しいかどうか分からないし、そのようにいう人は口だけなのではないでしょうか。(実際正しいことを、その人は人を悪くいえるほどやっているのでしょうか?正しいことを、それほどやっているのなら奇跡が起きて来ないといけないからです)

私が先週このブログに、やたらと口だけということを書きましたが、そのような口だけの人がこの辺りにも多いと思っているからです。

口だけの人では結局幸せになれません。(仮にこの世をうまく渡り切ったとしても、あの世に帰れば地獄行きなのです)

釈尊やキリストと同じ奇跡が起きている者を信じられてはどうでしょう。その者が嘘などつけば、一変でそのような奇跡は起きなくなるのです。その者が奇跡が起き続けているということは、これ以上その者がいっていることが正しいという証明もないからです。

私がそこらを歩けば、鳥たちが大騒ぎです。また川など行って呼びかけると魚たちが寄って来るのです。このような癒される現象もありません。(本当に漫画の中の世界のようですが、実際にそのようなことが起きているのです。そういう現象を見ているだけで楽しいですよ)

また、災いを忌み嫌う人も多いのですが、この災いが例えば、ストーカーなどに起きたらどうでしょう。あるいは人をいじめている人たちに起きたらどうでしょう。(人をいじめている人たちには実際起きているんですけどね。〔苦笑〕)

そういう悪いことをしている人たちに悪いことが起きたら、その悪いことをしている人たちへの反省を促せます。(悪いことをしているから悪いことが起きるのだとです)反省を促せるのであれば、そのようなことをやめる人もたくさん出てくるからです。

そうなればストーカー殺人やいじめられての自殺もなくなるのです。

ストーカーに殺される人や、この前あったばかりですがいじめを苦に自殺する人もいなくなるのです。そういう悲しい事件がなくなるのですから、これ以上よいこともないわけです。

こういう問題は、こうしたらいい、ああしたらいいと様々な意見が出るのですが、しかし、しっかりした解決策は出てきません。

結局、そのようなことは個人的な心の問題だからです。

その個人の心を外部からどうこうしたところで、なかなか変えるのは難しいからです。(例えば、ストーカー事件など警察などが出てきても、その場は収まるかもしれませんが、そのようにされた方はまず逆恨みをします。それで相手を殺してしまったという話はよく聞きます)

しかし「悪いことをしたら罰が当たる」

こういうことが現実に起きて、そうしてそのことが天罰だと起きた本人に分かれば、そのような悪いことが起きた人は百パーセント反省するのです。

なぜなら、人は誰でも小さな時に、悪いことをすれば、悪いことが起きるとみな教えられているからです。

その天罰は、自らが悪いことをしたから、天が自らに下した罰であると、人を恨むことなく自ら納得するからです。(つまり逆恨みもなくなるということです)

そんなことこの辺りでは普通に起きています。あとはこの辺りの人がそれを天罰と認めるだけなのですが、この辺りの人はそれをいつまでも認めようとしないのです。

しかし、この辺りの多くの人がこの法を認め、起きていることを天罰と認めて、この教えが全国に拡がるなら、このような犯罪まで減らすことが出来るのです。

結局、本当の神の教えを拡げるということは、これまで解決できなかった問題が解決できるということなのです。(このような犯罪だけではなく、天変地変までもです)

法の流布をじゃますることがどれだけ大きな罪となるのか、また、どれだけもったいないことなのか、お分かりいただけると思います。

法を知っている人たちが、モタモタしていればしているだけ不幸が増えるのです。

法の流布をじゃまする罪も大きいのですが、知っていてもそれを拡げようとしない罪もまた大きいといわざるを得ません。

昨日も書きましたが、このブログを読んでいる人たちが、少し協力してくれるだけで、状況は一変します。(鹿児島を見てもらうだけでもそれは分かるのではないでしょうか)

ただ読んでいるだけではなく、少しのご協力でけっこうです。してもらえないのでしょうか?

多くの人が少し動いてもらえるだけで、日本を変えることくらい出来るからです。

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