7月 24 2015
一億総中流
三十年ほど前までは日本は一億総中流といわれていました。
その頃までは、大企業が中小企業に払う仕入れ単価を毎年上げてくれていたからです。(もちろん自民党の政策もありましたが)
だからお金が日本の多くの人々に回り、現実にそのような奇跡が実現したのです。(あの時は、それに不足ばかりいっていましたが、いま考えればそのような時代は、多くの人たちにお金がそれなりに回る奇跡の時代だったのです)
しかし、大企業が仕入れ単価を下げるようになってから、段々景気が悪くなりデフレとなって二極化が進んだのです。
よく考えてみれば、デフレになったのも、今のように二極化が進んだのも、もとはといえば大企業が、アメリカの合理主義とは名ばかりの超利己主義を鵜呑みにして、それを実践してしまった結果なのです。(自分たちが、下請けに対し値下げをし続けたから物価も下がり続けたのです。〔デフレ〕自分たちがつくりだしたデフレに自分たちが苦しんでいるのです。まさに因果応報です)
自民党が、これまでどれだけいろいろな政策をしても、一向に景気がよくならなかったわけです。この不況の本当の原因は大企業にあったからです。(これまではずっとデフレでした。デフレでは景気はよくならないのですから〔インフレにならないと景気はよくなりません〕やはり、この二十年間は本当に景気がよくなった時はなかったと思われます。景気がいいといわれた時期は、一部の人たちの景気がよかっただけで、それが全体の景気を押し上げていただけなのです)
先の仕事にばかり目をやるのではなく、今ある仕事も(これまで散々お世話になった人たちも)大切にされることです。
そうすればまた一億総中流という奇跡が実現するからです。
(もう前の会社がまた凄いです。〔ガンガンでかい音をたてています。腹が立ってこちらもやっています。本当にブログもまともに書けません〕また何か起きたようです。だからいったのです。私に物など持ってきても変わらないと。自分たちが反省されるか、もうその会社をたたんだ方がいいのではないでしょうか。〔ずいぶん罪をつくりましたから〕そうしなければ、その現象は止めようがないからです。怒っている場合ではないでしょう。同じことを繰り返していては同じことしか起きません。どれだけ恐ろしい現象が起きれば気がつくのでしょう。本当に哀れです)
追伸…南シナ海だけではなく東シナ海でも中国はやりたい放題です。
あの東シナ海でのガス田開発は軍事利用が目的なのは明らかでしょう。
中国はドンドン軍拡を進め、北朝鮮は長距離ミサイルの発射準備まで進めているというのに、日本国内ではまだ「憲法を守れ」といっているだけの人がたくさんいるのです。
そういう人たちがいかに現実を見ていないか、本当によく分かります。(元総理まで「命を懸けて憲法を守る」と叫んでいます。では、日本は守らなくてもよいのでしょうか?)
憲法を守っているだけで日本が守れるのでしょうか?周辺事態はどんどん変わっていっているというのにです。
この時期にとか、危機をあおっているとか、中国のためとかいろいろな見方をしていますが、そういう理屈だけで大丈夫なんでしょうか?
外交でなんとかしろといっても、その外交は口だけでするものではありません。(口だけの国のいうことをどの国が聞くのでしょう)
こちらも抑止力を待たないと、その外交もうまくいかないのです。
憲法を守れといっているだけでは日本は守れません。(現に日本の周辺事態はドンドン悪化しています)外交だけでなんとかしろといっている人たちは、では、その人たちがその外交だけでなんとかしてください。
そのような人たちが外交だけで、中国を引かせることが出来たのなら(あるいは北朝鮮の長距離ミサイルの発射を止めることでも、竹島から韓国を引かせることでもなんでもいいです)それを信じます。
何か実際にしていただかないと信じることなど出来ないでしょう。そのような方々のいっていることは、口だけかもしれないからです。
安全保障のことに口を出す人たちは、外交だけで(あるいは憲法を守るだけで)実際に平和になるというところをまず見せてください。
見せてくれて初めて、それが可能であると分かるからです。
それが出来ない間は、あまり派手な安保法案の反対デモなど慎んだ方がいいのではないでしょうか?
出来もしないことをいって、それを多くの人が信じ、その通りのことをしてしまったら、その国はもう滅ぶしかないからです。



人目の訪問者です。

先日ニュース番組で北朝鮮拉致問題を取り上げていました。その中で被害者家族会の記者会見を見てました。もうすでに高齢者となっているこの会のひとりの方が「なんとしても私達が命ある間に子供を取り返す、それに命を賭ける」と話されていました。自分も子を持つ親として何とかその望みを果たされて、痛まれているその心を癒され悦びで満たされてもらいたいと思うのです。
しかし、不運にも命が尽きてしまえば慣性の法則により、その念を抱いたままの世界へと行くことになるのですね。望みが果たされ祝福されるか自分で気付かれて反省され祝福されるか、法との縁がある者と無き者、理解する者としない者。
複雑な世界の中で自分で何を選びその道を進むのか自由意志に委ねられているこの世は本当に厳しい世界とつくづく思いました。
それがこの世の修行なのです。
今こちらでも大変な修業をしている人たちがいます。どれだけ厳しい立場に立たされようと、正しいことを自分で気づかなければ自分は救われないのです。
どれだけ責任転嫁をしても同じです。
自分たちに悪いところがあったから、自分たちに悪いことが起きているのです。