8月 04 2015
自業自得
昨日はまたどこかの会社がうるさかったものですからね。早々に書くのを諦め出て行きました。
今日はどうなんでしょう。(チョコチョコやっていますが、また何か起きたみたいです。少し引いてますから)本当に勝手な話です。こちらはただブログを書いているだけなのにです。
最初からそうです。この連中はこちらの小さな音を気にして怒りまくり、何かにつけてでかい音を立てて嫌がらせを続けているのです。(もう何年にもわたりです)
こういう悪いことをし続けているくせに、このブログはしっかり読んでいるのです。そうしてこのブログでいろいろ知ったくせに、そのお礼は一言もいわず、ただパソコンの音がうるさいと怒りまくり、内容が気に食わないとまたそれでも怒って、何でもかんでも怒ってよってたかって嫌がらせです。(もちろん、あまりにうるさくてブログが書けなくなったこともあります)
この連中、私がいる間は四六時中嫌がらせですからね。(かわるがわるよってたかってです)これで私がうつ病にでもなっていたら、この連中どうしたのでしょう。
マァ、悪いとも思わなかったでしょう。ザマーミロくらいにしか思わなかったのではないでしょうか。(悪いという気持ちがあるなら、ここまでしないでしょうから)
では、このような人たちに悪いことが起きてくるのは、ある意味当たり前のことなのではないでしょうか?
この連中は、そのような(私が病気になってもいいという)心があったからです。だから、自分たちが病気になっているのです。人を病気にしてもかまわないという心が自分たちにあるからです。(逆に、そういう心がなければ、この会社からこれだけ多くの病人が出るなどあり得ません。自分たちの心にないものは自分たちの回りに現れないからです。人を病気にしてもいいという心が自分たちにあったから、自分たちが病気になったのです)
だから自業自得であるというのですが、しかし、そういう反省はまったくしようともせず、悪いことが起きてきたのを全部私のせいにして、そのような現象にも怒り、なおでかい音を立てている、これでは罪に罪を重ねていることになり、なお悪いということになるのですが、それもこれも全部私のせいです。
ずいぶんひどい話なのではないでしょうか?(自分たちの心と行いを棚に上げてです)この人たちは理不尽極まりないと思うのですが、他の地域の人たちはどう思われるのでしょうか?
こういうことをし続けていては(人を病気してもかまわないという心があっては)病気になっても仕方がないと思うのですが、不思議なことにこの辺りの人たちは、この人たちがこれだけ悪いことし続けていても、それでも病気になる方は悪くなくて、病気にする方が(別に私が病気にしているわけではないのですが)悪いと思い続けているのです。(またそういう人たちに限って、怒っている割には私のブログはしっかり読んでいるのです。よくそんな悪い奴のブログを読みます)
それはこの辺りの人たちばかりではなく、バスやトラックの運転手やそこらじゅうの人たちがそうなのです。(私があちこち回った感じでは名古屋以外の人までそう思っているようです)
とにかく、悪いことが起きている方がよくて、悪いことが起きていない方が悪いと、そう思いこんでいるようです。
そうして、私の顔を見れば嫌がらせです。
こちらの言い分は一切聞かずに一方的な嫌がらせなのです。こういうことをしている人たちもやはり悪いことをしているといわざるを得ません。(悪いことが起きている人たちの心と行いをまるで知ろうとしないからです)
だから悪いことが自分たちに起きるのですが、それを同じようにみな私のせいにしているのです。
しかし、私のせいにする前によく考えてみてください。自分たちは悪いことをしていないのかとです。(その行いだけではなく心もです。自分たちの心に人が不幸になってもよいという心があるのなら、自分が不幸になるのです。〔多くの人が私など不幸になってもかまわないと思っていますよね〕そのような心が不幸を呼ぶからです。どういう悪人であっても不幸になってもよいなどとは思わないことです。その思いが自分に返ってくるからです)
善因善果 悪因悪果が神理なのです。(もちろんこれは心も含まれています)自分たちの心と行いが悪くなくて、自分たちに悪いことが起きるわけがないのです。
人のことより、まず自分の心と行いなのです。
その自分の心と行いが悪くて、不幸になるのは結局自分自身であるからです。
もう一度よく考えられてはいかがでしょうか?本当に悪いのは誰であるのかということをです。
(そんな悪い奴に釈尊やキリストと同じ奇跡は起きないでしょう。もし、ここに書いたことが嘘であるというなら、いくらでもコメントください。〔特にどこかの会社は違うというのならコメントをください〕こちらはいくらでも議論する気があるからです。皆の見ている前で大いに議論をしようではありませんか。私は来たコメントは必ず公開するからです。〔ただ無記名ではダメですよ〕誰もコメントくれないというなら、私のここに書いたことは百パーセント正しいということになります。それでもいいならコメントくれなくて結構ですが、それだけガンガンやっていて何もいえないではあまりにだらしがないですね。〔笑〕)
追伸…これまで魚類は思考や推論を伴う「認知能力」がないとされてきましたが、大阪の学者のグループが、熱帯魚の一種は論理的な思考力を持つということを実験で明らかにしたそうです。
科学はずいぶん遅れているのですね。
やっと魚の一部が論理的な思考力を持つと分かったというのですから。
論理的な思考力は別に一部の魚が持っているだけではありません。すべての魚が持っていますし、魚類以外でもカニやエビのような甲殻類から貝類まで、そのような「認知能力」はあると思います。
私の公開している動画を観てくださればそれは分かると思います。(まだカニやあのマテ貝の動画は公開していませんね。多少の寄付でもいただけるのであればすぐにでも公開するのですが、何せ皆無ですから。〔笑〕)
それを思うと、ここに書いているブログだけではなく、公開している動画も、これから解明されるであろう、そのような動物たちの本当の思考(心)を先取りしていると思わざるを得ません。
このブログは人間ばかりでなく、動物たちの心の中まで、正しいことが書かれてあるのです。(自分でいうのも何ですが)これほど貴重なものもないと思うのですが、しかし、その割には扱いがずいぶんぞんざいですね。(笑)



人目の訪問者です。

最近自分に何か変化があるのです。それは何か分かりませんが感覚が変わってきているのです。神を一日中想い続け働いている自分を、途中振り返ると力が沸いてくるような何か安心感とも違う、自問自答しても答えの分からない感覚があります。そしてまた大切なものを頂きました。それは気付きです。昨日の気付きは「神よ、ありがとう」と口で言ったり、心で思うことが神へのお礼ではなく、誠意を持って日常を過ごすことが真の神への感謝なのである。ということが浮かんで来ました。これまで何回と迎えてきた朝の日々、神に生かされていることを知りながら誠意を持って過ごせてこれなかったことに、心を痛めます。
それ故に、尚一層自分の日常を真剣に過ごしているのです。慌てず、しっかりと日々を歩むことで環境を固めていこうと決意しました。また、この先も先生にはお世話になります。
そうですね。行即光ですからね。