8月 16 2015
正しい教えと間違った教えの違い
昨日も午後から家を出て行ったのですが、神社やお寺など通りかかると人がたくさんいました。
お盆ですからね。正月に続いてのかき入れ時です(?)そりゃ人もいるのでしょうが、大丈夫なんでしょうか?
私が歩いていると、前から来る人やバスやトラックの運ちゃんが嫌がらせをしていきますが、これも大丈夫なんでしょうか?
嫌がらせはしないまでも、私を凄い顔をして見て行く人がいます。(オバちゃんなどそうですが怖い顔でにらみつけたり、さげすむような目で見て行く人が多いです)こういう人たちもそうなんですが、私はよくそのようなことをしていく人たちに声をかけます。
「その聞いてる噂の真意は確かめたのか?」
「その噂が違っていたらどうするんだ。その噂が間違いなら、あんたはまったく罪のない者に一方的に嫌がらせをしていることになる。そうすると当然それは罪をつくっていることになるけど、それは分かってるんだろうな」
「そういうこと(罪のない者に一方的な嫌がらせ)をたくさんの人がしているなら、当然天罰を食らう人も出てくると思うが、それはどう思うのか」
「何で、そんな悪いことばかりしている奴に鳥が寄ってくるのか」
などというと、ほとんどの人が逃げるように歩いて行くのですが、自分のやっていることに自信があるなら、このような態度は取らないと思うのですが(堂々といい返しますよね。自分が間違っていないと思うなら)これだけ多くの人が私に嫌がらせをしていくのです。
では、私はよほど悪いことをしているのでしょう。
そうであるなら、自分のやっていること(嫌がらせ)は間違いでないという自信がある人も多いと思うのですが、しかし、そのようなことをしてくる人に少し私が何かいうと、自身なさげな態度で逃げていく人が多いのです。なぜでしょうか?(意地になって嫌がらせをやり続ける人もいるにはいますが、いい返してきた人は一人としていません)
私が人を病気にしているといいますが(直接聞いたわけではありませんが、多分そのようなことをいっているのでしょう)本当にそれは私がしていることなのでしょうか?
もし、それが天罰であるならどうするのですか?
それが天罰であるなら、その人が病気をしたのは私のせいではなく自分のせいということになりますが、そこの違いは、そのように私が人を病気にしているといっている人たちは分かっているのでしょうか?
そこが分かっていないから、先ほどのようなことをいわれると逃げていく人が多いのでしょうが、申し訳ありませんが、正しい教えが現れた時はこのようなものなのです。
多くの人は間違った教えしか知らないのです。(だから、お盆だからと神社やお寺に参詣しているだけで大丈夫ですか?といっているのです)
だから、何か悪いことをして罰が当たるなどといわれても、それはただの脅しでしかなく、実際は罰など当たらないと思っているわけです。
これまでの間違った教えでは、罰など当たらなかったからです。(当たったとしても、それが大分あとから来ますので、それが罰であったという自覚がなかったのです)
しかし、正しい教えが出現した場合、その罰は本当に当たります。(かなり早くそのお返しが来ます)
それが現在起きていることなのです。
それは何度もいいますが、聖書を見てもらえれば分かります。
モーゼは多くの天変地変を現しました。エリヤなど四百五十人もの偽預言書を殺してしまいます。エリシャも小さな子供まで殺しているのです。
もちろん、このような偉大な方々はそれ以上によいことをしていますが、こういう激しい現象も現しているのです。法(正しい教え)を理解しようとしない人たちにはです。
いま私の周りで起きていることと、それほど変わらない出来事が聖書の中にも書かれてありますが、この聖書に書かれたことを、では、私の周りの人たちはどう判断されるのですか?
私が悪いと思われている人たちは、モーゼやエリヤやエリシャも悪いといわれるのでしょうか?それとも、聖書に書かれた預言者たちが悪いわけはない、悪いのはお前だけとでもいわれるのでしょうか?
それはずいぶん都合のいい話ですが(やっていることはそんなに変わらないのにです)さすがに聖書の中に書かれている預言者を悪い人とはいえないでしょう。そんなことをいえば世界中の人から非難を浴びるからです。
聖書に出てくる預言者を悪い人とはいえないのですから(というか、聖書に出てくる預言者は悪い人ではありません。偉大な方々です)そうであるなら、私も悪い人ではないのではないでしょうか。
私もあのような予言者同様、神の教えを説き(このブログですが)神の力をこの世に現して多くの人々を正しい道に導いているからです。(結果的にこれだけ多くの人が私のことを知って心を変えたのです。〔唯物無神論から唯心有神論にです〕このように心を変えさせることを導くというのです)
皆さん方は本当の神の教え(正しい教え)を知らないのです。そうしてその正しい神の教えが出現した時に起きる現象もです。(聖書をよく読めば分かると思いますが…まさかそのような現象が実際に起きるとは思わないのでしょう)
だから、このようなこと(天罰)が起こると、それをみんな人のせいにしていますが、正しい教えが出現した時は、その教えに逆らったり、信じなかったりすれば、そのような人たちには天罰が下るのです。
正しい教えはすべての人が知らなければいけない教えであるからです。
だから、そういう神に逆らう人が多ければ、正しい教えが出現した時には激しい現象は常に起きたのです。
現在の日本は唯物無神論の人たちが多かったのです。そうであるなら、激しい現象は現れるでしょう。それだけ神の心から遠い人が多かったからです。(神から心を離すというこれも大きな罪です)
その自分たちが悪かったために起きている天罰を、全部私のせいにしているのですから、よけい激しい現象は現れます。
今、私の周りでは、それこそ大人から子供まで、多くの人が天罰を受けているようですが、それは自分たちの心が神から遠いからそのようなことが起きるのであって、もっと神に近づくのであれば、そのようなことは起きないのです。
しかし、いま私の周りの人たちを見れば分かりますが、どれだけ恐ろしい現象が現れても、それを人のせいにして(私だけのせいにして)少しも神を思おうとしません。(神などというと笑っている人もいるくらいですから)
これでは、天罰は下り続けるのであって、それをどれだけ人のせいにしていても、自分たちの心が悪いから、そのような天罰が下っているのですから、その心を直さないとその天罰は止まらないのです。
これだけのことがこの辺りで起きていて(多分、多くの人が病気になっているのでしょう。どこかの会社だけではなく、どこかのマンションも急に静かになりました。このような態度を見てもそれが分かります)それでも誰も神を思おうとしないのです。
よく考えてみれば、そのような心は明らかにおかしいと思いませんか?
こういう恐ろしいことが次々に起きているというのに、神を思わず人を憎んでいるというのですから。(どう考えても見当違いです)
普通なら、これほどのことが起きているのです。いい加減、自分たちの行いを反省し神に救ってくださいと祈るはずですが、この辺りの多くの人たちは、どれだけ激しい現象が現れても少しも神を思おうとせず、それを全部人のせいにして人を恨み続けているのです。
このような考えはどう考えてもおかしいでしょう。
その心に慈悲も愛も反省もないからです。すべて、あいつのせいという憎しみしかないからです。
すでにそのような心が、人の心からは大きくかけ離れた心であるということを自覚してください。
そんな心の人が多いから、この辺りは恐ろしい現象が現れ続けているのです。その恐ろしい人とは思えない心が神の怒りを買っているからです。
しかし、そんな心の人たちとは裏腹に、私の周りでは多くの動物たちが集まってくるという、愛ある現象が毎日のように現れています。
このようなことからでも分かるのではないでしょうか?
あまりに愛から離れてしまった人たちと、その愛を心に持ち続けている人との違いがです。
正しい教えが現れる時は、その人々の心が大きく世に現象化します。
悪いことが自分の周りに現れているのなら、それは自分の心が悪いからなのです。その悪い心が現象化しているのです。
人のせいにしても悪い現象は止まりません。
何度もいいますが、自分が反省するしかないのです。その反省が唯一自分を、そうして周りを救える道だからです。
(それはこの辺りだけではありません。日本中に異常現象が起きているからです。この地域以外の人々も早くそのことに気づいてください。自分たちの心を変えない限り〔もっと神の心に近づけない限り、ということは、もっと愛と慈悲の心を深めない限り〕この異常現象は止まらないのです)



人目の訪問者です。

だいぶ天候の荒れ模様が各地で見受けられる様になり、全国ネットで報道される機会も増えて来ました。これでも多くの人は平和な世の中と思っているのでしょうか。戦争がなければ平和な世の中、弾丸で殺される分けでもありゃしない。なんて思っているわけでもないと思うのですが。本当に平和について真剣に考えて議論して人生の意義を見直す、そんな機会があれば私も参加したいと思うのです。
本当にそうですね。大きな天災が起きれば下手な戦争よりも、多くの人が亡くなるかもしれないというのにです。(この前起きた東日本大震災などそうですが)
最近の日本に起きている異常気象は異常の度が過ぎています。
例えば桜島の噴火が激しくなっていますが、これなど桜島周辺だけではなく、東京も危ないのですが、また明日ブログが書ければそのようなことも書きたいと思います。
どこかの会社次第ですね。(今日など私のブログを止めてしまったものですから、なんか大変なことになったようですが…)
今の子供達は戦争をどうとらえているのか。戦争は悪い、その悪い人達がいなくなれば戦争は無くなる。などと安易に考えているとしたら間違いですね。
争いは正義vs悪者、ではなく正義vs正義であるが故に起きるものであり、単に
TVで放送される戦隊者シリーズのような感覚で正義が悪党を倒し、正義が私達を守ってくれる等と考えているとしたなばら先行きが思いやられます。
今朝のニュースでタイの中心部で爆発による死傷者がでました。その中で現地にいた日本人が「まさか自分が事故現場に居合わせるなんて」とコメントしていましたが、本当にいつどこで日常が崩壊しても不思議でない世の中と思います。行く先が不透明で、絶対という言葉などあり得ない現実を数々の事故や天災で見せられている今の世の中だ、という事を知って日々の日常を生きることが肝心な
ことですね。
子供だけではなく、大人も短絡的な人が多いのではないでしょうか。
とにかく自分がそうならないと分からない、想像できない、そういう人が多いようです。
例えば、隣の人にどれだけ不幸なことが起きても、自分がそうならないと分からない、そういう人は本当に気の毒です。
これだけの神の業が現れているのです。(天変地変は人の業でしょうか?神の業でしょうか?鳥が寄ってくるなどの釈尊やキリストに起きていた奇跡は人の業なのでしょうか?神の業なのでしょうか?)
もう少し神を思えばいいのに。本当にそう思いますね。
(もし、私のブログを読みたい人がいるなら、寝る前に一分で結構です。「神よ、前の会社がこれ以上法の流布のじゃまをしないよう、正しくお導きください。前の会社の人たちに光をお与えください。調和と安らぎをお与えください」と祈ってください。一人でも多くの人が祈ってくだされば、その分、祈りが早く聞かれることになるからです)