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8月 22 2015

神を思う

10:23 AM ブログ

昨日また奇跡的なことが起きました。

これだけ異常な暑さだとさすがに動物たちも元気がありませんが、少し涼しくなってくるとまた動きが活発になるようです。

昨日も庄内川に行ったのですが、川岸を歩いていくと行きと帰りでは様子が変わります。というのも同じ川岸を歩いていても、帰り道は多くのカニたちが出てきているからです。

行きに「オイ、お前ら元気か」と草むらに向かって、声をかけながら歩いて行くのですが、そうすると私が歩いているのが草むらの中にいるカニたちが気づくようで(そんなことしなくても気づいているようですが、より多くのカニたちに分かるようにです)帰りにはたくさんのカニたちが出てきています。(最近は特にたくさん出てくるようになりました。そうなると、あの無表情なカニたちでも可愛く思えてくるから不思議です)

昨日は雨あがりでしたので、特に多かったです。(というか、また奇跡的なことが起きたようでした)

とにかく帰り道の二~三キロ(早足で歩くと一時間弱、ゆっくり歩くと二時間くらいかけて歩きますので、それくらいの距離ではないかと思われます)の距離のいたるところにカニがいるのです。

凄いですよ。ほとんどのカニが草むらから少し出てきたあたりにいて、私が近づくと草むらに逃げ込むんですが、中には道の真ん中あたりまで出てきているのもいます。

あるいは水たまりの中にいて私が横を通っても逃げないのもいます。

カニも性格がいろいろ違うようです。

そのカニたちを動画に撮っていたら、あっという間に動画のSDカードがいっぱいになり電池もなくなってしまいました。あまりにたくさんのカニが、広範囲にいたからです。

こういう奇跡が起きているのに、横を通って行く人たちは知らん顔で通って行きます。(不思議なものでカニを相手にしない人たちが横を通っても、カニはあまり逃げないようです。カニに関心がない人にはカニも関心がないようです)これだけ多くのカニが出てきているのに、不思議とも何とも思わないようです。

この辺りの人たちは、これだけ多くのカニが出て来ても、たくさんの魚が跳ねても、また多くの鳥たちが飛び回っていても、さほど関心がないようです。

そういう奇跡が次々に目の前に展開されても、それに興味を持つ人はほとんどいません。わざと無視しているのか、それとも本当に関心がないのか、どちらか分かりませんが、どちらにしても不信心、不信仰なことでしょう。

これだけの神の業を無視しているからです。

これでは起きるでしょうね。恐ろしい現象がです。

だって、どんな奇跡を起こしても神に関心を持とうとしないのです。では、恐ろしい現象を現すしかないのではないでしょうか。

自分に恐ろしいことでも起きない限り、このような人たちは、これっぽっちも神仏を思おうとはしないからです。

自分の命に関わるようなことが起きて、初めて真剣に神を思うからです。

では、恐ろしい現象を現されても仕方ないのではないでしょうか。あまりに多くの人たちが神から遠いところにいるからです。

この辺りの人たちは悪いことを全部私のせいにしていますが、では、自分の不信心は悪いことではないのでしょうか?(間違った信仰をしている人たちも同じです。真剣に神を思うなら正しい信仰をしているところに行くからです。そのように導かれるからです。間違った信仰をし続けているということは、神を思う真剣さが足りないのです)

すべてを神からいただいているのに、その神を少しも思おうとしないことは悪いことではないのでしょうか?

日本の人々は、唯物無神論という大変恐ろしい思想に毒され続けてきました。

神など存在しない、罰など当たるわけがない、それが当たり前の考えであったのです。しかし、それは大きな間違いであるということが、これから分かることになります。

各地で起きる天変地変、名古屋で起きているサイレンなどの異常現象(私の周りに起きている奇跡もそうですが)このようなことはすべて、唯物無神論などという恐ろしい思想の人が多かったため、起こされている気づきの現象であるのです。

しかし、その気づきの現象をいつまでも気づかないふりをしていれば、もっと恐ろしい気づきの現象が現れてきます。(そうしないと、いつまでたっても誰も気づこうとしないからです)

異常な暑さが和らいだと思ったら、今度は台風が近づいてきています。ゲリラ豪雨、突風、地震、火山の噴火などの異常現象も相次いでいます。

早く気づかれることです。神の心にです。そうしなければ、このような異常現象はその激しさを増していくことになるからです。

人が悪いのではなく神を思おうとしない自分が悪いのです。

これだけの奇跡が現れている者もいるのです。もう少し、その者のいうことを聞いてはどうでしょうか。

その者のいうことを聞くのであれば、同じ奇跡が起きてくるからです。

(奇跡と恐ろしい現象とどちらがいいのでしょう。私は奇跡が起きた方がよほどよいと思うのですが、災いが起きてもいいと思っている人もいるようです)

追伸…今日はずいぶん静かです。どうしたのでしょう。昨日まであれだけうるさかったのにです。

一体どうしたんですか?…なんてね。先ほどもいいましたが、そちらに起きた恐ろしい現象はすでに聞いています。(天からですが)

だから私はいっているのです。そんなことをしていたらもっと恐ろしい現象が起きてくるとです。

私は嘘はつきません。嘘などついたら奇跡が起きなくなるからです。(冗談はいいますけどね。〔苦笑〕)私のいうことを少しは聞かれたらどうでしょう。

そうすれば、その恐ろしい現象も段々なくなって行くからです。(逆に、逆らえば逆らうだけよけい恐ろしい現象が現れてきます。気をつけてくださいね。どこかの会社の皆さんもこの辺りの人たちも、そうして運転手の人たちもです。昨日などずいぶん調子にのっている人もいましたが〔ブシュブシュやってきた人ずいぶんいましたが〕知りませんよ、本当に癌になってもです。現にこの近所は凄い現象が起きているところもあるからです)

2コメント

2 コメント to “神を思う”

  1. ウナッシー2015/08/22 at 10:45 PM

    今夜はTVで愛は地球を救う24時間TVをやっています。聞こえは良いですが内容は健常者目線の構成で障害者が奮起して前進する姿を美化したものと思って良いかと思います。それぞれが心の勉強に最適な環境を選んで来ているのであって、その環境とは立地条件とか親子関係だけではなく自分の体でさえも自分が望んでいたものであり、健常者等と分け隔てるのはこの世のことであり心の勉強のことが分かれば、全ては平等であることが感謝すべき事であり決して他者を隔てることがなくなるのです。とは言え、その様な環境で生まれた方に慈愛を持って接することも、その場に居合わせる方はまた心の勉強として成り立つのでではないでしょうか。愛って何だろう?平和って何だろう?追求していけば今夜も眠れなくなりそうです。

  2. gtskokor2015/08/23 at 1:26 PM

    そうなんですか。
    あまりあの番組を真剣に観ていないのでよく分かりませんが、しかし、心の勉強をしていない人たちは、そのような詳しいことまで分かりません。
    とりあえず、愛ある行為はよしとしなければいけないのかもしれません。
    早く法を拡めないといけませんね。

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